アパートの洗濯機が壊れた。
 もともと新しいものではなかったからなんとなく予想のついた悪夢だったが、やはりいやなものはいやだ。洗濯というものはただでさえ面倒なのに、これからはそればかりかコインランドリーにまで出向かなければならないという厄介なファクターが加わるのだ。もう溜息しか出ない。
 住んでいるこの池袋という街にコインランドリーなんてあるのだろうか。なんて、ないわけはないのだろうけれど。実際、路地裏にこっそりあったコインランドリーは意外にも住んでいるアパートの近所だった。
 小さくて、あまり広くない店内。そういえば洗濯が終わるまで結構時間がかかるよな。なにか時間をつぶせるようなものも、あいにく今は持ち合わせていない。これでコインランドリーに女の子の客でもいれば話は別なのだが、やっぱり人生そううまくいかないらしい。
 古びたコインランドリーにいたのは、金髪の長身な男。シンプルな服を適当に着ているのかもしれないが、スタイルが良いためかなかなか決まって見えた。けれど、ぼんやりとした顔はこっちが心配してしまうほど覇気がない。めんどくさい。その言葉を体現しながら、彼はひたすら洗濯機を見ている。はやく終わんねえかな、という声が聞こえたような気がした。
 その時なぜ彼に話しかけたのか、それは今でもよくわからない。気まぐれか、もしくは洗濯がめんどうだとここまでさらけ出している男に親近感を抱いたのか、はたまた―――よく見ると整った顔に少しだけ興味をそそられたのか。

「お兄さんも洗濯ですか?」

 当たり障りのない笑顔を浮かべて尋ねれば、彼の眉間にわずかにしわが寄った。これはおそらく、「見りゃわかんだろ」といったところか。俺はなんだか楽しくなってきた。

「そう嫌そうな顔をしないで。俺も洗濯中のひまつぶしを持ってくるのを忘れたんで、よかったらはなしに付き合ってよ」

 コインランドリーに洗濯物を押し込みながら、さらりとそう告げた。あ、また彼が少し怒ったような顔をする。「年上には敬語使えよな」と小さくつぶやいた彼は、それでもこの暇な時間を憂いていたのだろう。瞳を動かして、話の先を求めた。

「俺はアパートの洗濯機が壊れちゃって。だから仕方なくここに来たんだ」
「……俺も似たようなもんだ」
「壊れちゃったの?」
「いつか壊しそうだったから、ハナから買わなかった」

 壊しそう、だなんて、彼はこう見えて重度の心配性なのだろうか。俺は思わず小さく噴き出して笑った。こんな大きなおとなが、まさか壊れるのが怖くて洗濯機を買わないとは。滑稽を通り越して、いっそかわいらしいじゃないか。
 俺としては好意的な笑みだったのだが、どうやら彼は気に食わなかったようだ。こわい目をしてこちらを睨んでくる。だが、こちとら少しは場数を踏んでいるし、さっきの洗濯機を壊しちゃいそう発言がまだツボに入っていて、そのいっそ凶悪な睥睨にちっとも恐れを感じなかった。そんな俺に、彼は今度はいっそ戸惑ったような顔をする。言うなれば、俺の反応にひどく驚いたという表情。

「お前、ちょっと変なやつだな」
「出会ったばかりの人間のなにがわかる、と言いたいところだが、出会ったばかりでもわかることもあるもんな」
「そういうものか?」
「そういうものだよ」

 俺なら出会ったばかりの女の子の素晴らしいところを、会って数分でいくつも挙げられる自信があるね。そう言うと彼は一瞬呆気にとられた後、声を立てて笑い出した。それに少し、目を奪われる。

「お前、ちょっと変なやつじゃねえ。すっげえ変なやつだな」

 それは決してほめ言葉じゃないはずの文句。それなのになぜだか嬉しくて、たぶん、それから俺の思考はまともじゃなくなったのだろう。気がつけば俺は彼の手を取り、彼の耳元に唇を寄せてこう呟いていた。

「あんたは、その笑顔が殺人級に素敵だ」

 彼がきょとんとしたのは本当に一瞬だけだった。次の瞬間、腹に重いパンチが一発入る。続けて壁に向かって放たれた拳は、めりっと古びた壁に小さなクレーターを作った。
 ぱくぱくと何かを言おうと口を動かすが、多分なにも言えないのだろう。彼はチッと一度舌打ちをすると、いつの間にかに洗濯を終えて動きを止めていた洗濯機から乱暴に衣服を取り出し、肩を怒らせてコインランドリーから出て行ってしまった。

「いてえ」

 腹に決まったパンチはかなり痛い。けれどもこれでも加減したほうなのだろう。俺に加減して、収まりきらなかった怒りが壁に穴を作ったのだから。
 洗濯機を壊すって、こういうことかよ。俺は苦笑した。
 なにに苦笑したのか、信じられない恋の予感に自分を嘲笑ったのだろうか。洗濯機を易々と壊してしまう膂力のあの男がかわいらしく思えるだなんて、これはまた重症だ。

 とりあえず、次会った時に名前とメールアドレスを聞こう。そう思うと、口許がやわらかく緩む。なんたって、この恋はまだはじまったばかりのようだから。






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