☆来神

 ニィと口許を吊り上げた嫌な笑み。余裕げなその表情に嫌悪以外の感情を覚えはじめたのはいつからだろう。
 近頃、気がつくと自分の目は臨也に向かっている。取り巻きやクラスメイトに囲まれて完璧な笑みを浮かべる臨也。彼から目が離せない。
 そんな無遠慮な視線を臨也が見咎めないわけがなかった。それからあまり日が経たぬうちに、彼は愉悦と侮蔑が混じりあった瞳を静雄に向けて、悪魔のように甘く囁いてきた。

「シズちゃん、俺のこと好きでしょ」

 ああそうなのか。この胸のうちにある焦がれるような想いこそが恋なのか。突き付けられた言葉の内容に呆然とする静雄を見て、臨也はにっこりと仮面のような笑みを浮かべた。

「シズちゃん、大好き。愛しているよ」
「……なに言ってんだてめえ」
「あれー? おかしいな、俺を好いてる女の子たちは、こう言ってやるだけで頬を染めて黙り込むのに」
「馬鹿じゃねえの」

 その言葉が嘘だなんて、臨也に好かれることがあるはずもない化け物の静雄にはよくわかる。甘い言葉に酔いきれず、その耳に優しい音は静雄に現実を突きつける。臨也の愛は人間へのものなのだ。彼は人間を愛している。それ以外は愛されない。
 静雄の沈黙をどう受け取ったのか、臨也はふうんと感情の読めない声で呟いた。そして少しなにかを考えるようなポーズを見せてから、再び口許に微笑みを浮かべる。

「愛してるよ」
「だから、そんな嘘は俺には、」
「嘘だけど、毎日言ってあげる」

 ふわりと笑んだその顔は綺麗だったけれど、静雄はぞっとした。なんて残酷なことをする気なのだろう。この男に心なんてあるのだろうか。
 しかし、それでこそ折原臨也だった。それが、静雄が惹かれた彼なのだ。







「好きだ」
「愛しているよ」

 囁く言葉は単調で、けれども確かに愛を伝えてくるストレートな言葉だ。甘い甘い、物語のような囁き。だが、静雄はその中身がガラガラの空洞だと知っているから、それらはただの言葉の暴力でしかない。
 うんざりとした様子で臨也を見ると、彼は瞳を細めて「好きだよ」と微笑んだ。
 あの日から、臨也は静雄にナイフを向けなくなった。その代わりに向けられるようになった言葉の方がかなり凶悪なのだが、静雄は嫌そうな顔をしながらも精力的にそれを拒まない。理由は簡単だ。偽物だと知っていても、彼からの愛が欲しかった。自分でも馬鹿だなと思うくらい、愚かでかわいそうな理由だ。

 今は昼休みで、ひとりで屋上で昼食をとっていた静雄のもとに臨也がふらりとやってきた。そして飽きることなく偽物の愛を囁いている。彼はこうやって、周りに人気がないときを狙って、静雄に刃を向けにくるのだ。
 こっそりと、耳許で囁くような愛の言葉。なるほど、少しでも臨也に関心があるやつならば、これだけでもうノックアウトだろう。自分がほだされないのはひとえに真実を知っているから。
 臨也は化け物を嫌悪している、そんなことを知らないまま馬鹿みたいに嘘の愛に溺れられたらどんなにいいか。

「どうしたの? もっと好きって言って欲しいの」

 臨也の声はとろけるように優しい。けれど勘の良い静雄はその中に潜む侮蔑を敏感に感じ取ってしまう。まさにこれこそリップサービスだ。この口上だけで、きっと彼はひとを殺せる。

「臨也」
「なあに?」
「……もう、いらない」

 溺れることも逃げることもできない宙ぶらりんは一番息苦しい。いい加減、その手を離してほしかった。

「うそつき」

 そんな静雄の懇願は、けれどもやはり聞き届けられない。だってそれがこの男の残酷さなのだから。
 穏やかに微笑む臨也の瞳は、ひとをいたぶることを確かに楽しんでいた。

「欲しいんでしょ? もっと言ってって君の目は言っているよ」
「……いらない」
「うそはだめだよ。いいじゃない、いくらでもあげるよ」
「お、れはっ、そんなの!」
「愛しているよ、静雄」

 振り上げた手がそのまま止まる。
 中身がないからっぽな言葉のくせに、俺のことなんて蔑んでいるくせに、嘘だってわかっているのに。
 それなのにどうして自分の手はこのひどい男に伸ばされるのだろう。

「素直な子は嫌いじゃないよ」

 臨也は静雄の手を取って、それをやわらかく握る。触れ合う温度なんて、ごちゃごちゃな頭ではうまく感じることができなかった。
 だから、静雄の手を触れた臨也の手がひどく熱かったような気がしたのは、きっと自分の気のせいなのだ。それか、本物を求める自分の妄想。
 どちらにせよ、今日も静雄はこのうそつきの手を離せなかった。




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