!ギルバートが女の子

 昔から変わらないことがある。自分が女であるということは、ギルバートにとって厄介な事柄でしかなかった。女である自分にとって、持てる力は限られている。幼心ながらに、その貧弱さを恥じた。
 だからあの頃のギルバートはわざと男の子のような服を着て、周りのひとたちから不思議がられ、時には初対面のひとから男の子と間違えられた。
 主人であるオズは「女の子の服を着ろ。その方が可愛いから」と可愛らしい洋服を何枚も贈ってくれたけれど、彼女はやはり格好を変えることはなかった。女の子である自分の無力さをにせめてもの抵抗をしたかったのかもしれない。
 けれど、ギルバートはやはり普通の女の子である。だから、綺麗な服を見て、可愛いものを見て、心躍らないわけがない。時折、主人やその叔父が贈ってくれたドレスをまとって鏡の前に立つこともあった。短い髪の自分が着てもエイダのように可愛らしくなかったが、それでもギルバートにとってきらびやかな洋服を着ることでまるで自分がお姫さまになったかのように胸がドキドキしたものだ。

 男にならなければという使命感と、心の片隅に残っている少女としての自分。その不安定な均衡はけれどもある意味安定していたから、ギルバートは特に悩むことなく幸せな時期を過ごした。
 それにピリオドが打たれたのは、やはり「ナイトレイ」になったあの日であろう。暖かな世界から冷たい場所へ足を踏み入れた、あの光との決別の日。幸せはいとも容易く崩れ去ったのだった。











 任務終了後、くたくたな体をベッドに投げ出す。疲れた。夜通しの任務にかかわらず、全くの成果なし。笑えるほどに無駄足だった。
 こんな日はシャワーを浴びてすぐに寝てしまうのがいい。そう思って重たい上着を脱いだ。そのままバスルームに向かうが、途中で扉を礼儀正しくノックする音を聞き、ギルバートはため息を吐いて玄関に向かう。扉を開けば、そこには大体予想していた姿があった。

「……お前が玄関から入ってくるなんてこともあるんだな」
「当たり前ですヨ。私をなんだと思ってるんだい」
「紳士なら、こんな時間に訪ねてこない」
「あいにく、深夜まで紳士を演じるつもりはないんですヨ」

 日中のお前のどこが紳士なのだ。今のギルバートにはそんな嫌みを言うほどの気力もなくて、眉間にしわを寄せつつも黙ってキッチンへと向かった。こんな夜深くに訪れた客に、せめてもの皮肉として色濃いコーヒーを出してやろうと。
 袋からコーヒー豆を取り出していると、後から続いてきたブレイクは「お茶は結構」とギルバートの右手首を掴む。そしてそのまま、彼女が着ているワイシャツの袖を肘まで捲った。

「ああ、パンドラの職員の話は本当だったんですネェ……」

 現れたのは白い腕に巻かれた純白の包帯。ギルバートの女性にしてはやや痩せすぎの華奢な腕には、その手当てがやけに痛々しく見えた。
 ギルバートは顔をしかめて、「離せ」と短く言う。その顔は不機嫌そうというよりか、むしろバツが悪そうに歪められていた。

「かすり傷だ。問題はない」
「どう見ても、そういう風には見えませんケド?」
「……メイドが、大袈裟に手当てをしただけだ」

 ギルバートはため息を吐く。メイドも同行していたパンドラの職員も、ギルバートの怪我を見て真っ青になった。義理とはいえ、四大公のひとつであるナイトレイ家の令嬢に傷がついたのだ、彼らにとっては大事なのだろう。
 ああ、本当に自分は男であればよかったのに。そう思えば思うほどに、ギルバートはレースやリボンを遠ざけるようになっていった。男物のコートと短い髪の毛。そんなもの、なんの意味もなさないというのに。ギルバートが女であるという事実は、なにをしたって変わらない。

「君には自分の体以上に優先することがあるのは確かだケド、あまり感心しませんネェ」
「……女だから、傷は作るなって?」

 ハッと乾いた笑い声を上げる。その嘲笑は、ブレイクではなく自分に向けられたもの。守られるだけの女にも、傷を恐れず戦う男にもギルバートはなれない。
 可愛らしいものを遠ざけつつもこっそりとそれに焦がれる。自分は昔から中途半端なのだ。そんな自分が嫌になる。

「歪さゆえ、いや危うさゆえの美しさかな」
「は?」
「私は別に君が『女だから』傷を作るなと言っているわけじゃないんデスガ」

 するりと包帯の上をなぞる手のひらは、あの圧倒的な暴力を生み出すとは思えないくらい、すらりとして美しい。くすぐったい熱の感触に、背筋がぞわりと震えた。

「君は本当に危うい。主人を救いたいのはわかりますが、そんな自らを省みない戦い方をしたらじきに自滅しますヨ」
「……ふん、駒のひとつに対して随分お優しいんだな」
「そうですネェ」

 ブレイクの手は、手首から肘へ肩へと僅かな温度を残しながら上昇する。彼の指がギルバートの頬に触れた時、ようやくその動きは止まった。

「なかなか良い駒だと思いますヨ。ナイトレイ家、鴉の契約者、悪くない銃器の腕。私の右目として、及第点を与えてあげてもいいデショウ」
「別に、オズのためだ」
「そう、君と私は単なる利用関係だ。けれどね、ギルバート君」

 紅い目が愉しそうにゆらめく。至近距離から見えるその色は、ナイトレイの屋敷にあるどんな宝石よりも美しかった。

「私だって、お気に入りの駒のひとつやふたつ、なくすのをいとうことだってあるんですヨ?」

 この男が、嫌いだ。彼はひどく巧みにギルバートの隠れた心を引き出してくる。クローゼットの隅に隠してある、ギルバートが捨てられなかったものを全部。
 全てを投げ出して、ただ無力な女の子に戻るという誘惑。それは頭の中がぐわんぐわんに揺れるほど魅力的だ。だが、ギルバートは頬にある男の手を振り払う。そして少し怒ったような赤目に、きつい眼差しを送った。

「そんなことより、オズの件はどうなっているんだ」
「……あーあ、相変わらずガードが固いですネェ」

 ブレイクはすっかりいつもの調子を取り戻し、着崩した服の間から数枚の書類を取り出してギルバートに渡してきた。
 ギルバートはそれを受け取り、書かれた字に素早く目を通す。
 文字を追いながら、思う。オレは今後もきっとブレイクの手を取らない。優しげな甘言を拒んで、最後までオズの側で偽物の男を演じ続ける。
 それで構わないのだ。だって、女になってしまったら、もうブレイクの右目にはなれない。いずれ切り捨てられるかもしれない駒だとしても、その時に少しでも手放すことを惜しまれる駒。ギルバートが女にならない一因がそれに憧れたためだと知ったら、ブレイクはどんな顔をするだろう? 

 それは恋よりももっと深く落ちた感情。








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