エピローグにかえて さもないと、君はこのゲームに負けてしまうよ? 新羅が投げ掛けた言葉に、どこか頼りなく見える臨也の背中はぴくりと揺れた。けれども、すぐにその背中はドアの外へと進んでいってしまう。 まあ、新羅の助言を受け入れるか否かを決めるのは臨也だ。選択は、それが重要になればなるほど、自分の手で掴み取っていかなければならないのだから。 思えば、臨也と静雄の因縁も長いものだ。まるで、それこそ呪いのように深く、絆のように固い。静雄が今回臨也との敵対関係をやめたいと言い出さなければ、もしかしたらこれからもずっと続いていたかもしれない。 そう―――静雄が長きにわたる臨也との関係を壊そうとしなければ。 新羅はテーブルの上に置いてある空のマグカップをふたつ手に取った。早めに水ですすいでおけば、後で洗う時に随分と楽になる。本当はそのまま洗ってしまった方が更に楽なのだが、その前にもう待ちくたびれているであろう先客の相手をしなければならない。 マグカップを持ってキッチンに入ると、彼はその長い体を小さく折り畳むようにして、キッチンの隅で雑誌を読んでいた。 「お待たせ、静雄」 「別に。この雑誌、まだ読んでなかったし」 静雄は満足そうに彼の弟の特集ページに目を通している。いつもより穏やかに見えるのはそのためか、いや、それとも。 「先客は君で、僕が君のことを呼び出したのにもかかわらず、臨也の相手をしていてごめんね。お詫びに冷蔵庫のプリン食べて良いよ」 「おー、ありがとな」 静雄は雑誌を閉じて、冷蔵庫からプリンを取り出す。そして新羅からスプーンを受け取って、臨也が去ったリビングへと向かった。 その背中は先ほどの臨也とは異なり、力強く、頼もしく見える。この時点で、彼らの勝負の勝者は決まってしまった。 「それで、お前はなにが聞きたいんだ? 大方のことは臨也のやつが話してただろ」 臨也が座っていた席に腰を下ろし、静雄はどうでもよさそうに新羅に声をかける。彼の意識はもうほとんどプリンだけに向かっているようだ。 新羅はそんな静雄を見てやわらかく微笑む。その瞳は、好奇心からか子供のようにきらきらと輝いていた。 「そうかな。肝心なことを臨也は語ってないと思うけど」 「気のせいだろ。あいつは嘘もついていないし、なにも隠してもいない。嫌になるほど正確に細かいところまで喋ってたぞ」 「そうかもしれない。でも、それが全部なわけでもないと僕は思うんだ」 物語は登場人物の数だけストーリーがある。ひとりの目に映るものには限りがあるのだ。 そして、臨也はきっと今回のことの裏側を知らない。何故、今になって静雄との関係が破綻したか、その本当の理由をわかっていないし、おそらく深く考えようともしていないのだ。 「これは仮定の話だから、聞き流してくれても一向に構わない」 プリンを口に含みながら、静雄は視線だけは新羅に向けてくれた。どうやら、話を聞いてくれるらしい。 「君はさ、随分前から臨也に対して憎悪と一言で済ませないような複雑な感情を抱いていて、臨也もまたそうであることを知っていた。天敵という唯一無二の関係にも、そろそろ飽きてきたのかもしれない。もしくは焦れたのかな。どちらにせよ、君は意図的に臨也との関係に終止符を打った。喧嘩に疲れて、争うことに消耗したかのように装って」 静雄は黙ったままプリンを食べている。その悠然とした姿に、新羅は自分の想像の正しさを思い知った。 「魚は餌のついた竿を引いたら、すぐに食らいついてきたようだね。友達にならないか、だなんて提案されて、君は驚いたのかな、呆れたのかな、それともほくそえんだのかな? 臨也は静雄に対して警戒心が強いように見えて、意外とツメが甘い。自分でもいつも言っているじゃないか、静雄は予想の範疇を超えると」 静雄はスプーンをテーブルの上に置いて、面倒そうに新羅を見た。そして、彼の薄い唇は、淡々とした調子で言葉を発する。 「お前、相変わらず言うことが長え。一言で言えよな」 「うん。そういうシンプルで直球なところを侮ったのが、臨也の敗因かな」 策を練れば誰もが策士になる。だから問題は、いかにその策が複雑かではなく、その策が本当に通用するかどうかだ。 多くは語る必要はない。行動も、ここぞというときのみ起こせばいい。策士策を弄し策に溺れる。そうなってしまったら、元も子もないのだ。 「さて、もう勝利も間近に迫ってきたようだ。相手の歩兵はもう僅かで、クイーンも既に奪った。次の一手はどう動く?」 おそらく勝負は次の金曜日。約束を破って静雄に会わないようにと籠城する臨也の努力も空しく、障害となる扉は開け放たれてしまうのだろう。 静雄は表情を変えない。けれど、彼の口許は僅かに上がり、瞳は奥底から燃え上がるように爛々と光る。新羅はこの猛獣が獲物を仕留める瞬間を見れないことを、ほんの少しだけ残念に思った。 「さあな。好きなようにさせてもらうだけだ」 それをノープランだと笑うひとはきっと彼に陥れられる。状況に応じて、即座に行動を起こす彼を一体誰が止められるのだろうか。折原臨也という策士を策に溺れされた者のことを、どうして侮ることができるのか。 そんな彼にこそ、その称号は相応しい。 「なんにせよ、正々堂々とした健闘を祈ってるよ」 新羅の言葉に、策士はふわりと微笑んだ。 あとがき |