同居人のいない静かなリビングで、コーヒーを一杯口にしている時のことだった。前触れのないチャイムの音に、新羅はマグカップをテーブルの上においてはぁとため息を吐く。こんな真っ昼間からなんの連絡も寄越さずにやって来るのだ、それに該当する男を新羅はひとりしか知らない。

「鍵を開けたままだなんて、物騒だねえ」

来訪者は勝手に部屋に入り、新羅の向かい側の椅子に座った。

「……この世の物騒な人間が根こそぎ消えてしまえばいいのにね」
「あはは、それ俺に対する嫌味?」
「凡人の切なる願いだよ」

新羅はそう言って、苦笑しながら肩を竦める。

「コーヒーがいるくらい、長話になりそうかい?」










深い色をしたコーヒーの水面には、いつもと変わらない自分の顔が映っている。それなのに、対する新羅は少しだけ困ったような顔をしていた。

「君は僕にほとんど話してくれない。僕が知っているのは、君が静雄と『友達になった』こと、そして先週と昨日の合わせて二回、ふたりで酒を飲み交わしたことだけだ」
「俺とシズちゃんが何を喋ったかなんて知りたいの? そんなの、君は興味がないだろう?」
「そうだね」

一緒に酒を飲むという行為が二回も続いたのだ。臨也の言葉を信じるのなら、彼らの天敵関係は消滅したのだろう。いや、その天敵関係の延長、もしくは惰性でこんな奇妙な関係は始まったのかもしれない。長い因縁はなかなか断ち切れず、お互いの心中に何らかのつながりを残しているのだ。
そんな残り火のようなふたりに、新羅はなんの興味もない。もしくは、見たくない。最後のほんのひとかけらの灯火が、無情にも消えていってしまうさまなんて。

「君たちはさ、互いに長年いがみあっていた理由を『天敵関係』という言葉で合理化していたんだ。だからさ、それを捨てたときになにが残るんだろうね」
「……どういう意味かな?」
「本来なら何も残らないはずだ。だって君たちは『天敵』なんだから。惰性のように始まった『友達』という関係もじきに終わるだろう」

だからさ、と新羅はひどく真剣な目をして臨也を見る。

「君があくまでも静雄との関係は『天敵関係』だったと主張するのなら、この馬鹿みたいな酒盛りは長年の敵対関係を名残惜しむ気持ちからだと言い張るなら、早々にこんなことは止めた方がいい。自覚してからは、もう言い訳はできないよ」
「…………」
「近づけば近づくほど、君は静雄と関わってきた本当の理由を自覚せざるを得なくなるよ。君がずっとずっと隠してきた、誰にも知られたくないその思いを」

友達になろうだなんて、とんだ詭弁だ。論理的に破綻している。そもそも仲が悪かったから反目していたはずなのに、何故わざわざ親交を深めようとするのか。
新羅は知っている。学生時代、臨也は静雄を陥れようと様々な策略をめぐらせていたことを。けれど、臨也は単に静雄を嫌悪していただけじゃない。静雄にもまた、おのれを憎悪させようと仕向けていた。
それが何故かなんて、察しの良い新羅には簡単にわかった。彼はひどく遠回りな告白をしているのだ。いかなる場所にいても、いつまでも、静雄は臨也を忘れない。憎しみが勝るほど、思い出の中に深い爪痕を残す。臨也はそうやって、慎重に慎重に静雄の視線を自分に向けさせるように図ってきた。そして同時にいっそ神経質なほどに本音を押し隠してきた。彼は何故だか、静雄に自分の気持ちを知られることをひどく恐れていたのだ。

「そうだね。そうすべきだ」

しばらくの沈黙の後、臨也はぽつりとそう呟く。その声を聞いて、新羅は愚問だったとおのれの言葉を少しだけ恥じた。

「あの男から離れて、あの男の噂すら届かない場所へ。それができればいいのに」
「臨也……」
「それができるものなら、とうにしているさ」

臨也はそう言い残して、コーヒーが冷める前に帰っていった。











昨日の二回目の酒盛りは、予想していたより遥かにスムーズに事が進んだ。今回は臨也はビール、静雄はグレープフルーツのチューハイと、コンビニで買えるような安物の酒を選んで飲んだからかもしれない。静雄は寛ぎはしないものの、どこか気の休まった様子で臨也の家のソファに座っていた。

「お前も、こういうの飲むんだな」
「こういうのって、缶ビールのこと?」

頷く静雄に、臨也は「楽だからね」と笑った。

「やっぱりいい酒だと、しっかり味わいたくなるからね。時々味の吟味なんてなしに、ただ疲れを取るように飲むのもいい。まあ―――安酒には欠点もあるんだけどね」

静雄はふうんと曖昧な相槌を打った。普段の彼なら勘づくような些細なことも、アルコールでとろけた思考では気にせず流してしまう。それがわかっていて、臨也は静雄と会うときには必ず酒を飲むというルールを作ったのだ。

「てか、お前でも疲れるとかあるんだな」
「シズちゃんはひとのことをなんだと思っているのさ。誰もが君みたいに規格外じゃないんだからね」
「そうか?」
「完全無欠な情報屋さんじゃなくて悪かったね。まあ、君から失望されようと俺にはノーダメージだから」

臨也のその言葉に、静雄はきょとんとする。臨也には見慣れない、やけに無防備な表情だ。
それから、少しなにかを考えるような顔をしてチューハイを飲んでから、静雄はゆっくりとこう言った。

「お前は最低最悪なやつだけど、今みたいなお前は少しはマシだな」
「今みたいな?」
「こうやってくだらない話をしながら酒を飲んでいるお前だ。そういうお前なら傍にいても苛立たない」

ああ、やっぱり違う酒にすればよかった。たとえば、ジンとかウォッカとか、そういうアルコール度数が高めの酒に。
そうしたら、こんな何気ない言葉も酔いの戯言と聞き流せたのだ。熱くなる顔も、すべてを強い酒のせいにして。自分の想いもなにもかもを酔った勘違いということにして。5%のアルコール度数では、幾分かバリアが足りなかったようだ。

週末には酒を飲む。ひとつには、鋭いこの男の勘を鈍らせるために。もうひとつには、自分の想いに蓋をするために。こうやって危ない橋を渡って、念入りに全ても隠蔽してまでも、臨也は静雄とふたりでいる時間を失いたくはなかった。
どのような関係でもいいのだ。愛してくれなくてもいい。憎まれたって構わない。自分の未だ計り知れない想いをぶつけて逃げられるくらいなら、こうやって手の届く距離にいてくれるだけでいいのだ。

それがひどく脆い関係だなんて、誰にも言われなくても俺が一番よくわかっているよ。






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