「酒はいいねえ。特に、いい酒は」

臨也はグラスに血液のような色をした液体をゆるやかに注ぐ。ふわりと鼻先に芳醇な香りが漂う、上質な赤ワインだ。
対する静雄は少しキツイ目付きを臨也に向けて、黄金色に輝くシャンパンを少しずつ飲んでいる。赤ワインよりそっちの方が静雄のお気に召したようだ。少しだけぼんやりとした色素の薄い瞳は、まるでシャンパンのように綺麗な色をして輝いていた。

「シャンパンはね、厳密に言うとフランスのシャンパーニュ地方でつくられた発泡性葡萄酒のことのみ示すんだよ。つまり他は紛い物だ」
「相変わらず妙なことばっかり知ってやがる」
「知らないよりはマシじゃない?」

声に馬鹿にするような調子が出てしまったかもしれない。その証拠に、静雄の眼光はぎらぎらと強さを増す。手にしたグラスの足がみしりと音を立てるのを聞いて、臨也はすかさず「ストップ」と声をかけた。

「壊したらルール違反だよ。言ったよね?『すぐに破壊行動しない』って」
「お前だって、『無闇に挑発しない』んだろ?」
「わかったわかった。今のはふたりともまだ慣れていなかったからということにしよう。イエローカードもなし」

臨也はそう言うと、静雄のグラスにシャンパンをついでやった。

「さあ、飲もう。それがルールなんだから」











ルール、それは時に従うべき理由がない決まり事でもある。校則を思い出してみれば、ひとつやふたつ、納得が行かない規則があるはずだ。時には法的縛りもなく、道徳的観念もなく、ただ決まりだからと破ってはいけないルールがある。「ルール」と明言した時点で、多くのひとはそれに従うことになるのだ。

だから、臨也はみっつだけ決して破ってはいけないルールを作った。このルールを破れば、臨也と静雄はまた再び天敵同士に戻るか、逆に互いに無関心な赤の他人同士になってしまう。ふたりが無理矢理友達になるために必要な、みっつの縛り。

ひとつ、無闇に相手を挑発しない。
ふたつ、すぐに破壊行動をしない。
みっつ、週末には一緒に酒を飲む。

ひとつめは自分に、ふたつめは静雄に、みっつめはふたりにそれぞれ課すルール。前者ふたつを守らなければ敵対関係がぶり返し、後者を守らなければおそらく会うこともなくなるだろう。

それでは困るのだ。臨也は静雄となんとしてでも友達にならねばならないのだから。











赤ワインをやめて白ワインを飲み始めると、静雄がちらりと臨也を見てきた。もしやと思って新しいグラスに静雄の分を注いでやると、敵意の塊な彼の瞳に少しだけやわらかい色が過った、ような気がする。

「ふうん、シズちゃんは白なら飲めるの?」
「……渋くないから」
「君は甘党だもんねえ」

臨也はくすりと笑って、グラスを静雄に渡した。黙って白ワインを口にする静雄を見ながら、臨也は少し昔に思いを巡らす。
静雄は学生のころから甘いものが好きだった。高校二年のバレンタインに、臨也は静雄に嫌がらせ目的でチョコレートを渡したことがあったが、その時の彼は怒るに怒れないという複雑な顔をしていた。後から新羅に聞いた話だが、臨也が渡したチョコレートは静雄のお気に入りのチョコレート会社の新作だったらしい。撥ねかえすには少々魅力的すぎたのだろう。
そこまで考えて、臨也は冷蔵庫の中に貰い物のチョコレートがあることを思い出した。甘いものが嫌いでもなければ好きでもない臨也にとっては、どうでもいいが、捨てるには勿体ない高級な品だ。

「チョコレートあるけど、食べる?」
「え……」
「あ、でもこの白ワインにはチョコレート合わないな。じゃあ、そろそろお酒は止めにしようか」

酔い醒ましにフルーツジュースを飲んでから、とっておきのチョコレートを出してやろう。臨也がそう思って立ち上がると、静雄が珍しく慌てた様子で「臨也!」と呼んだ。

「びっくりしたなぁ。なに?」
「あ、その。あれだ、あれ」

静雄は酒で火照った顔を臨也に向けて、ほんの僅かに口許を緩めた。

「あ、ありがとう」

ありがとう。それは何に対してかけられた言葉なのだろう。シャンパン? 白ワイン? チョコレート?
いや、そんなことはどうだっていいのだ。そんなこと、些末な違いでしかない。大切なのは過程ではなく結果だ。

「……グラス、持って行くからちょうだい」

臨也は静雄からグラスを貰うと、いつもと同じような素振りでキッチンへと歩む。普段と変わらぬ速さと歩み。いつもと異なるのは、いつも通りに振る舞おうと必死になっている自分の心。

冷静にならなければならない。こんな些細なことで動揺してどうする。あんな静雄の何気ない言葉で、この「友達」という新しい関係を崩してはいけない。

臨也はぼんやりとグラスの足を見る。静雄の使ったグラスはふたつ。その片方のシャンパンを飲むのに使ったグラスの足に、一筋のヒビが入っていた。
それは、彼がさっき怒りに我を忘れそうになった時にできてしまった傷だろう。せっかくのワイングラスを台無しにする傷だ。なのに、臨也はちっともうんざりせず、それどころか熱に浮かされた目をして、その傷を慈しむかのように何度も何度もなぞる。
傷に触れながら、思う。どうして俺がここまで彼と「友達」になりたいのか、どうして高二のあの日に毒も入っていないチョコレートを彼に送ったのか。それらはずっと不明なままでなければならない。

あえて理由をつけるのならば、ただの気まぐれに過ぎない。そういうことに、しておいて欲しいのだ。







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