はじまりは唐突だった。

臨也は今日もいつもと変わらず池袋にやってきて、取引をし、新しい駒を少し観察し、そして静雄に見つかった。静雄はいつものように追いかけてきたから、臨也も捕まらないように逃げる。路地裏に駆け込んで隙を見て懐に手を忍ばせ、慣れた手つきでナイフを握った。そうしてすぐ近距離まで迫ってきた静雄に応戦しようと、手にしたナイフを思いっきり突き出す。
しかし、ナイフが静雄の腹部を貫くことはない。いくら力をこめようと、ひっかき傷よりも他愛ない切り傷しか刻めないだろう。だが、臨也は落胆をしない。これはいつものことであり、臨也だってこれしきのことで静雄を殺せると思っていないからだ。

それは、臨也がここ数年慣れ親しんできた池袋での日常。

だから、静雄が「飽きた」と無感情な声で言った時、臨也はその言葉の意味がうまく飲み込めなかった。飽きた。その短い言葉には思いの外深い意味が詰まっているような気がする。ドクドクと激しくなる鼓動は、暑さのせいか、殺し合いのような追いかけっこのせいか、それとも―――動揺のためか。

「飽きたって、なにが?」
「お前との喧嘩。いくらやりあってもどっちも死なねえんだ。これ以上やっても不毛だろ」
「……シズちゃん?」
「もう、疲れたんだ」

そう言って俯く静雄は本当に疲れているように見えた。学生時代からずっと続いてきた喧嘩に、ついに彼の心が折れてしまったのかもしれない。僅かに震える静雄の手は、それを如実に伝えてきた。
今だったら、今の静雄ならもう放っておいてもいいのではないか。彼はきっと今後臨也に関わろうとしないだろう。だから、もう臨也の邪魔にはならない。
体が化け物であっても、心が折れるならそれは人間だ。平和島静雄が無害な人間であるのならば、臨也がこうしてわざわざ死闘を繰り広げる必要はない。捨て置いておけば、静雄も臨也もお互い自由に生きていけるだろう。ある意味、それは天敵を殺せた状態に近い。
わかったよ、と一言言うだけで良いのだ。そうすれば、静雄も臨也もこの一種の呪いにも近い天敵関係から解放される。そう、そのはずだった。

「じゃあ、友達になってよ」
「……は?」

静雄がぽかんと呆けた顔をする。それも当たり前だろう。さっきまで天敵であった男にいきなり「友達になって」と言われたのだ。わけがわからないに決まっている。
だが臨也はにこりと笑って、尚も続ける。

「今の君はどうやら人間によく似た化け物みたいだから、多分我慢すれば喧嘩しないでいられると思うんだよね」
「な、何で俺と友達なんかに……?」
「俺の周りには君みたいなタイプの人間はいないんだ。簡単な話、君みたいなタイプの人間は俺を毛嫌いするし、俺も好きじゃあない。だから深く観察したり、親しげに会話を交わしたこともない。それは人間観察を趣味にしている俺にとっては、少し残念なことなんだよ」

老若男女美醜善悪問わず、全ての人間を観察する。それを趣味として臨也は今日まで生きてきたが、最近は少し退屈していた。誰も彼も、結局はみんなおんなじだ。臨也の予想を覆すような人間は、なかなかお目にかかれない。

「けれど、君は違うよ。君は驚くほど俺の想像の中のレールを歩かない。勝手に道を切り開いて勝手に歩いていってしまう。そんな君の考え方を、俺は純粋に知りたいんだ」

どうかな? と口許をつり上げて問うと、静雄は眉を寄せて黙り込んだ。彼の瞳には不信感と戸惑いが見え隠れする。おそらく、臨也になにか魂胆がないかを疑い、そして、なにも裏がないとしても天敵と急に友人になるというシチュエーションに脳内処理が追い付いていないのだろう。まあ、それももっともだ。臨也が静雄の立場でも、きっと同じ反応をするに違いない。
しかし、拒否はされなかった。その事実に何故だか臨也は頭がカッと熱くなる。これは重要な得意先を獲得できそうになった時のある種の興奮によく似ていた。

「よく考えてみて。君が君の一番の天敵と友人になるということは、君が喧嘩人形という名称から解放されることと同義だよ」
「…………」
「君が望んでいた平穏は、きっとすぐに得られる。俺と友人になれるくらいなら、どんな苛立つ人間の言葉だって聞き流せるようになるさ」

必死だった。静雄の首が縦に傾くまで、臨也はいつまでも説得をし続けていたかもしれない。どうして自分がここまで必死になるのかは、その時は全く考慮に入れていなかった。
多分、少し寂しかったのだろう。臨也との因縁を切ろうとする静雄はどこか吹っ切れていた。けれども、臨也はまだ取り残されている。高校時代から続く、惰性のような習慣のようないがみあいに。

「友達になって、耐えられなければやめればいい。そうだね、この夏が終わるまで、俺の酔狂に付き合ってよ。ちょっと長いおままごとにさ」









はじまりは、唐突だった。

けれど、これはいつか起こることだったのだろう。長年続いた生産性のない追いかけっこに、先に音を上げたのが静雄だっただけだ。
静雄との因縁が切れる前に、最後の趣向として友達になる。それを酔狂であるとさっきは言ったけれど、よく考えてみるとなかなか良いアイデアではないだろうか。ありきたりな日常に退屈していた中、全く先が予想できない状況に久々に体の奥から興奮しているのがわかる。

さあ、どうしようか。彼と仲良くするだなんて考えたこともなかったが、案外それは簡単かもしれない。長年の付き合いで彼が嫌う言動は把握している。そのギリギリを口にするのはとても刺激的で、きっと退屈しない。

「まあ、とりあえず新羅を驚かせてみようかな」

臨也はくすくす笑いながら、携帯電話を取り出す。電話先の男の呆けた顔と悲鳴にも似た驚きの声を想像して、彼は久しぶりに声をあげて笑った。






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