しん、とした空間の中、古い紙の匂い。背の高い本棚の間に見慣れた金の髪を見付けて臨也は立ち止まる。淡い光を受けて、けれどほの暗い影が彼の頬を覆っている。埃の粒が舞うその場所、長い指でページをめくっている。 「なに読んでるの?」 静かな空間には自身の声がよく響いた。驚いたように顔を上げた静雄は臨也の姿を認めて眉を寄せる。 それには構わず臨也は彼に近付いた。手にした本は大きく、薄い。 「絵本?」 覗き込んだ視界に目一杯広がるのは深い緑の森だった。塔のようなものがあり、そこから髪の長い女が姿をのぞかせている。 「ラプンツェルだね」 そう言うと静雄にじっと見つめられた。 「絵本が好きなの?」 「気まぐれだ」 「…そう」 ずいぶん可愛らしい趣味だと思いながらも臨也は追求をやめた。この薄暗い部屋で争う気にはなれなかった。 「どういう話か知っている?」 落とした声で尋ねると静雄はひとつ頷いた。 「悲しい話だよな」 「そう、だね」 すこし驚く。感傷を誘うような声音に胸がすくむ。それをごまかすように腕を伸ばしてページをめくると、その先でラプンツェルは編んだ髪を塔のてっぺんから垂らしているところだった。 黒に近い緑のなかで、その髪だけが明るく眩しい。まるで静雄のそれと同じようだ。そう考え臨也は薄く笑った。 時折、棚の間から誰かの足音がする。それ以外には静かで、臨也は隣でページをめくる静雄の息遣いを聴いた。 ラプンツェルは王子を招き入れ、処女をうしない、塔を追放されてしまった。やがてページのなかは光さえも消えてしまって陰欝とした森だけが広がっている。 ふと顔を上げると静雄の姿がなかった。背の高い棚の間に森が広がっている。見下ろした足元には土が敷き詰められていて、足の裏に柔らかな感触が伝わる。どこへ行ってしまったのだろう。目を懲らしても、木々が次第に枝を伸ばし視界を遮ってなにも見えなかった。鳥の声がする。 ラプンツェルはどうなっただろうか。自らが産んだこどもを抱え、愛しい男を求めてこの深い森のなかでさまよっているのか。 静雄の金色の髪が惜しくなって臨也はそっと足を踏み出す。枯れ葉の間から虫の這い出す気配がした。 古い紙の匂いも埃の粒ももう、ない。見上げた先には薄く差し込む陽のひかりが見えた。 塔に閉じ込められてしまったのだろうか。ふとそう考えた。もしそうであれば、彼には長い髪もない。急に不安に駆られて臨也は手さぐりで森を進んだけれどあるのは同じ景色ばかりであの見慣れた金の髪を見つけることはできなかった。途方にくれて立ち尽くす。 何故彼がラプンツェルでないのかと理不尽な憤りを覚える。けれど自分は王子ではないし、まして彼はうしなうべき処女性さえ持っていないのだからはじめから答えなど決まっているのだ。 暗い森のなかをさまよう。あてもなく、やみくもに。 もしかすると絵本に閉じ込められたのは自分だけなのかもしれない。彼はあのしん、とした空間で変わらずページをめくっているのだろうか。いなくなった自分のことを案じているだろうか。 緑の葉が上から音もなく降ってきて臨也はそれをてのひらに受け止めた。葉の裏に虫が一匹張り付いている。 見上げた先に懐かしい金を見たような気がした。気のせいだろうか。それがこちらまで伸ばされることはない。 やがて次々に枝を伸ばす木々たちがそれさえも覆っていってしまった。 「grin」のミオさんからいただきました。 ミオさんの書かれるお話の世界観が本当に好きです。こんな素敵なお話を「図書室でふたりきりの臨静」だなんて短いリクエストで書かれるだなんてすごい。読み返すたびにこんな素敵なものをいただいてよいのかと思いますが、許可が出たのでありがたくいただいて飾らせていただきます。本当にありがとうございました! |