珍しく臨也から食事に誘われたから、新羅は物珍しさにその誘いに了解してみた。そしていざ待ち合わせ場所に行ってみて、思わず彼は大きく目を見開く。そこには口許に微笑みを浮かべる臨也だけでなく、不機嫌そうに顔を歪めた静雄までいたのだ。

「……えっと、とりあえずなにから突っ込めばいいのかな?」
「黙れ。なにも聞くな。聞いたら殺す」

沸々と煮え立つ怒りというのはまさにこういうことを言うのだろう。静雄はいつものように声を荒げてはいないが、彼の瞳には確かな殺気があった。
触らぬ神に祟りなし。押し黙る新羅に、臨也は「懸命な判断だね」とひどく楽しそうに笑った。

案内された店は内装が綺麗で、洗練された店員が丁寧に席まで案内してくれる。いかにも臨也が好みそうな、清潔で素材のいい店だ。静雄はぶすっと不機嫌な顔をしたまま、新羅の隣に座る。
臨也と同じ空間にいるのにもかかわらず、今日の彼はまだ一度もキレていない。だが、さすがに彼を臨也の隣に座らせたらこの店が瓦礫の山になりそうだ。怒りに耐えているのか、今日の彼の動きはどこかぎこちない。
この奇妙な状況にはどんな事情があるのか知らないが、新羅は何だか静雄に同情したくなった。だって、この状況を見れば明らかに今日のふたりの間には優劣がある。新羅がちらりと正面に座る臨也を見ると、彼はやけに上機嫌な顔をして料理を選んでいた。

「ここの店は鍋物が美味しいんだよね」
「臨也と静雄が一緒に鍋だなんて、笑えない冗談だよ」
「アッハハ、本当にね」

その言葉に、静雄はぎろりと臨也をねめつける。それを見て、新羅は先ほどの確信を更に強めた。思った通り、静雄は臨也に無理矢理ここに連れてこられたらしい。臨也に屈することのないこの男を、どのようにして従わせたかはわからないが。
バチバチと火花が散るようなにらみ合いの応酬の後、「お待たせ致しました」という涼しげな声とともに料理がテーブルの上に乗せられた。新羅はピリピリしたふたりの友人のことを忘れて、テーブルに置かれた鍋の中をじっくりと見る。
なるほど、確かに美味しそうだ。たっぷりと入った野菜と鶏肉がいい色をしている。香ばしいにおいに、食欲がそそられた。
料理が来たから一時停戦したのだろう。ふたりは黙々と鍋の具材を取り皿に取り始めた。身体中が温まるような美味しい鍋に、あれだけ不機嫌だった静雄の表情も少しは緩む。
そんな時、新羅は臨也のお椀の中身を見て、「あれ?」と思った。確か臨也は野菜が嫌いだったはずだが、その皿の中には鮮やかな野菜が少なからず入っている。
まあ、彼ももういい歳をした大人だ。自分が知らぬ間に野菜嫌いを克服したのだろう。新羅はそう思って、何気なく尋ねてみた。

「君、野菜食べられるようになったんだね」

少しからかうような調子をいれてそう言えば、臨也は肩を竦めてそれに返答する。

「いや、思ったより嫌いじゃないのかな、と思って」
「どういうこと?」
「もちろん嫌いな野菜もあるけど、『野菜』ってだけで毛嫌いしていたものもあるんじゃないかなと思ってさ。せっかくだから食べてみることにしたんだ」
「へえ……。すごい心境の変化だね。なにかあったの?」

この男が自分の考えを曲げるだなんて珍しい。新羅がそう思って問いかければ、臨也はニィと口許を上げた。

「昨日さ、食わず嫌いはいけないと思って食べてみたんだよ」
「なにを?」
「だいっきらいなものを」

ガシャン、と大きな音がした。慌てて音がした方を見れば、静雄がお冷やの入ったグラスを床に落としたらしい。「大丈夫?」と声をかけようと静雄の顔を見て、新羅は結局なにも言わなかった。いや言えなかった。
彼の顔はまるで完熟したトマトのように真っ赤に染まり上がっている。
その顔を見ただけで、新羅は臨也の言葉の意味を鮮明に察した。食わず嫌い、食べてみた、だいっきらいなものを。ああ、本当に。今日の静雄には同情を禁じ得ない。

「……帰る」

かわいそうなくらい小さな声でそう告げると、静雄は足早に店から出ていってしまった。
新羅は割れたグラスを片付けてもらった後、くすくすと笑っている臨也に向けて大きくため息を吐いた。

「なるほど、静雄が黙って君についてきたのは、昨日のことを盾にとって脅したわけか」
「厳密に言うと今日も含むけどね。それと、脅しただなんて人聞きが悪い。俺はただ『新羅とふたりで食事をしたら口を滑らせて昨日のこと言っちゃいそう』って言っただけだよ?」
「それって脅しより悪意があるじゃないか」

臨也は笑って、少し冷めたお椀の中の野菜を食べる。そして、瞳を細めて言った。

「ふうん、悪くないね」

全く、正直じゃないというか、ひん曲がっているというか。素直に「美味しい」と言えばいいのに。
きっと静雄を食らった後にも今と似たようなことを言ったのだろう。あれでも人並みに繊細な男だ、いつもより喋らなかったのは単に不機嫌なためだけではなく、落ち込んでいたからかもしれない。
呆れたような顔をする新羅に、臨也は完璧な笑みを送る。ここまで彼が余裕だとそれを崩したくなる心地になって、新羅もまた口許に不敵な笑みを浮かべた。

「へえ、やけに上機嫌だと思ったら、そういうわけだったんだね」
「勘違いしているようだから言っておくけど、俺はシズちゃんを抱いたから機嫌が良いわけではないよ」

臨也は静雄が去っていった方向をじっと見つめ、愉快そうに瞳を細める。

「彼が羞恥と屈辱と悲哀に満ちた顔をずっとしていたからさ」

なるほど、臨也のよく回る口よりその表情の方がよっぽど雄弁らしい。
愛しげに今はもういない静雄を思い起こすその表情は、見ているこちらが胸焼けしてしまいそうなくらい甘くとろけている。
食わず嫌いで敬遠していただいっきらいなものは、さぞや甘美なものだったのだろう。少なくとも、この目の前の男はすでにそれの虜となったのだ。きっともう、抜け出せない。
新羅は苦笑して、それでもひどく楽しそうに臨也に話しかける。

「でもさ、わざわざ僕を食事に誘ったのは、誰かに見せびらかしたかったんでしょ?」

君の物となった静雄をさ。
新羅のその冷やかしのような言葉を受けると、臨也は少しだけ頬を赤くして、「シズちゃんには内緒だよ?」と囁くように告げてから微笑んだ。



食わず嫌い






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