今日は取り立ての件数が多かった。いつもであれば夕方頃から増える仕事量だったが、今日は午前中から結構な量の仕事が入っていた。
 少しばかり遅い昼休憩。タイミングがずれたばかりに薄れてしまった空腹感を持て余し、俺は缶コーヒーを片手に公園のベンチでぼーっとしていた。長閑だ。普段からは考えられないくらいに静かな日。
 そういえば、今日の客は素直なのが多かったように思う。取り立てもスムーズに済み、今日はまだ一度もキレていない。毎日こんな日だったら良いのにな。
 にゃー。足元から小さな鳴き声が聞こえた。下に眼をやると、小さな黒猫が一匹。俺のスラックスへとすり寄ってきていた。

「なんだ、餌ならねぇぞ」

 猫はまたひとつにゃーと鳴くだけで離れない。困った。俺はこういった小動物ってのがどうにも苦手だ。振り払う訳にもいかず、ただただ猫がどこかへ行ってくれるのを願うしかない。

「珍しい組み合わせね」
「波江さん」

 静雄が顔を上げると、スーツ姿でこちらへと近づいてくる波江が視界に入った。波江はゆったりとした足取りで距離を詰める。途中、ちらりと波江が一瞥した先にはさっきの黒猫。どうやら静雄の願いも虚しく猫は離れなかったらしい。

「波江さんこそ、珍しいっすね。スーツなんて」
「偶には、ね」

 キシリと木製のベンチが軋んだ。隣に座った波江は、無言で猫を見つめる。その表情はいつもと変わらない。

「猫、好きなんすか?」
「いいえ?愛玩動物になんて、興味無いもの。ただ……この猫、折原臨也みたいだと思って」
「は、」

 静雄の前で堂々と臨也の名前を出す波江は、ある意味強者だろう。

「波江ったら酷いなぁ。媚びる事しか出来ない猫なんかと一緒にしないでほしいね」

 静雄がほぼ無意識で開いた口から声が出るのを遮るかのように、猫と似ていると言われた臨也の声が割って入った。まるで空気が急速に冷えていくようだ。怒りを露わにしているバーテン服の男と無表情の女と季節外れのコートを纏う男と猫。なんとも奇妙な組み合わせである。

「臨也手前っ」
「何しに来たのかしら。邪魔よ」

 すげない波江の言葉に、臨也は仰々しく頭を振った。静雄の怒気が更に増す。いつもの事だと臨也はさらりと受け流し、にやにやといやらしい笑みを浮かべた。

「シズちゃんが女と一緒に居るって情報が入ってさぁ。シズちゃんとだなんてどんな酔狂な人間だろうって見に来たんだよ……まあ、波江だったけど」
「あら、お気に召さなかったようでなによりだわ。さっさと去りなさい。目障りよ」

 波江自身、静雄に負けず劣らず不機嫌なのだ。波江は今にも殴りかかりそうな静雄の手をするりと撫でる。握られていた手の力がゆるりと抜けたのを感じ、波江は少しばかり溜飲を下げた。それでも苛立ちが消える事はなく、臨也を睨み付ける眼はきついまま。静雄の刺々しい態度も変わらない。足元の猫が、臨也を威嚇するようににゃーと鳴いた。

「そんな寄ってたかって邪険に扱わなくても良いじゃない。今日はまだ何もしてないでしょう?ああ、ほら、そう睨まないでよ。思ってた以上の面白みもなかったし、退散するから」

 まるで虫を払うように手を振る静雄に苦笑を零し、臨也は踵を返す。臨也とて、相手の女が波江だと知っていたらわざわざ天敵の前にのこのこ姿を現したりはしなかった。声を掛けたのは、ただ――――。
 臨也はふるりと頭を振る。これ以上考えると、自分にとってあまりよろしくない結論に至りそうだった。なんとなく振り返った先の二人は、臨也の事などもう見ていない。もやもやとしたものが去来する。臨也は鳴ってもいない携帯を取り出し、意味のない操作をした。

「あいつ、随分あっさり引いたな……」

 零れた静雄の独り言に、波江は一瞬眉を顰める。女の勘とでも言うのだろうか、上手く言葉には表せないが波江は漠然と悟った。悟ったところで、波江は臨也の想いを汲んでやる気も、静雄に伝える気もさらさら無いが。
 二人の意識を戻すように、またひとつ、猫が鳴いた。この猫は空気が読めるのかもしれない。

「貴方、この後時間は?」
「あ、あと十分くらいで仕事戻ります」
「そう。……仕事は何時に終わるのかしら」
「今日は早めに終わる予定なんで、六時くらいっすかね」

 波江の質問に、静雄は首を傾げながらも律儀に答えていく。波江は数秒視線を斜め上にやり、何事か考えていた。

「終わったら食事でもしない?」
「良いっすね。あんま大したもんは奢れないんすけど」
「私から言い出したんだし、奢るわよ。給料は結構貰ってるもの」

 波江の言葉に、静雄は少し困った顔で頬を掻く。あー、うー……と言葉にならない呻き声を零し、静雄は恥ずかしそうに顔を逸らした。金髪から覗く耳は赤い。

「波江さんの前ではかっこつけたいんで」
「あら」

 嬉しいけれど、貴方ってそういうところがかわいいわ。
 波江はくすりと笑い、嬉しい事言ってくれるわね、とだけ返した。視界に入った時計の長身は刻々と進んでいく。残り時間もあと少し、二人は短くも心地良い沈黙に浸った。



ぎこちない愛のしるし





乖離の井上さんからいただきました。
井上さんが書かれる波静が好きすぎて、思わずリクエストしました。波江さんって本当に静雄さんの好みドストライクですよね。そしてこういう波静の雰囲気がとても好きです!
素敵な小説、ほんとうにありがとうございました!









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