(あら?)

壁に掛かっているカレンダーを見て、波江は片眉を上げる。
そのシンプルなカレンダーに臨也が予定を書き込むことはない。情報屋という職業上、不用意にスケジュールを晒すことを避けているのだろう。
だが、よく見てみれば七月のカレンダーにひとつだけ書き込みがあった。七という数字にひとつ丸印。これは、なにを意味するのだろうか。

「波江さん、終わった?」

臨也のその言葉に、波江は終了した仕事を束に重ねて差し出した。臨也はそれを満足そうに見、「じゃあ、今日はもういいよ」と言って笑う。時計を見れば、定時よりかいくらか早い。
波江は少しだけ黙り込み、すぐに帰りの支度をし始める。早く帰れることにメリットはあってもデメリットはない。ならば、断る理由もなかった。

「そういえば、今日は七夕ね」

何気なくそう言うと、臨也はどうでもよさそうに「そうみたいだね」と返事をしてくる。まあ、予想通りの反応だ。この男が七夕にはしゃぐほどのロマンティックさや子供っぽさを持っているとは到底思えない。だから、七夕を楽しみに七月七日にしるしをつけたわけではないのだろう。

「それじゃ、失礼するわ」
「うん、また明日」
「あんまり楽しんで、明日の仕事に支障をきたす真似はやめなさいよね」
「波江さんは手厳しいね。そして、鋭い」

肩を竦める雇い主を一瞥し、波江は仕事場を後にする。
全く、気づかないとでも思ったのだろうか。明らかに普段より少ない仕事量と仕事の終了を急かす声。それは遠回しに、「邪魔だから出て行け」と言っているのと同じことだ。

上司がカレンダーにしるしをつけて待ち望んでいるくらいだ、おそらく今日もあの男絡みなのだろう。波江は意外と一途な上司に、少しだけ感心をした。









新宿駅に降り立ったのは、ちょうど日が沈みかけの頃だ。いくらかマシになったとはいえ、まだじめじめと蒸し暑い。臨也の家に着いたら、まず水を一杯もらうことにしよう。
しかし、今日はなんの用なのだろうか? 随分前から七日は空けておいてと言われていたのだが、その理由は「その日のお楽しみ」と教えてもらえなかった。
まあ、なんにせよ、呼ばれたからには会いに行くだけだ。静雄は臨也と新宿で会うのはそこまで嫌いではないし、これでもあの男とは恋人関係にある。成り行きのようになだれ込んだ恋人関係になにも感じないと言えば嘘になるが、この関係に満足しているのは確かだった。
エレベーターに乗って、渡された鍵で臨也の自宅にお邪魔する。彼はデスクでまだ仕事をしていた。それは慣れたことだったので、静雄はキッチンで水を一杯飲んでから、いつものようにラックに置いてある雑誌を適当に取って読む。
新作映画の特集ページに弟の顔を発見し、「あいつ、ちゃんと食ってるかな」と思っていたところで、「終わった」と臨也の少し疲れが滲んだ声を聞いた。

「お待たせ」
「待ってねえよ」
「君ってほんと、何から何まで俺に反抗する癖、直んないよねぇ」

臨也はやれやれと肩を竦め、キッチンへと向かって行った。きっとなにか飲み物とお菓子を出してくれるのだろう。これもいつものことだ。
しばらくすると、臨也はケーキ屋の箱と綺麗な茶器をお盆に乗せて持ってきた。
耐熱のグラスにたくさんの氷を入れ、ポットから熱い紅茶を注ぐ。臨也がこうやって手間をかけて淹れるアイスティーはびっくりするほどおいしい。
ケーキの箱には色鮮やかなケーキがたくさん入っていて、どれも七夕をモチーフにしたものばかりだ。そういえば、今日は七夕だったと静雄は頭の片隅で思う。

「さ、好きなだけ食べな」

臨也はそう言って静雄の隣に座る。どうやら、臨也はこの素敵なスイーツをひとつも食べる気がないらしい。

「手前、待ってて暇じゃないのか?」
「暇だよ。だから早く食べて」
「なら、手前が仕事している間に食ってた方がよかったかもな」
「なに馬鹿なことを言っているの、君は」

臨也は心底呆れたような顔をして言った。

「それじゃあ君が幸せそうに食べている顔が見れない」



この男との言葉のやり取りは、恋人関係になるまでとさほど変わらない。だが、こういったふとしたところで、臨也がいかに自分を甘やかしているかよくわかる。そして、自分がどれだけ愛されているかもわかってしまう。
それに喜びを感じるのだから、なだれ込むように始まった恋人関係も決して悪いものではないのかもしれない。

「臨也」
「なに?」
「手前、願いごとしたか?」
「はあ? 俺がそんな幼稚なことすると思うの?」
「それは残念だな」

静雄は星の形をしたゼリーをぱくりと食べて、にやりと笑った。

「お星さまの代わりに、俺が手前の願いごとを叶えてやろうと思ったんだけどなぁ?」




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