物静かな街道も、暖かな春の風に明るい雰囲気に染まる。どこからか流れてきた花びらが煉瓦造りの道に散らばり、甘く芳しい香りを辺りにばらまいていた。

「それにも関わらず、相も変わらずこの店は辛気くさいのう」

異国情緒が感じられる風貌と服装をした男が、店主に扇子を向けてそう言った。彼の瞳は店主の出方を窺うように細められる。
対する店主は、器用にアンティークの皿を磨きながら、めんどくさそうに返答した。

「人売りを生業としている店に華があったって仕方ないでショウ? 健全な頭の堅いお金持ちがアンティーク目当てに買い物に来たりなんかしたら、かえって面倒なことになりますからネ」

この前来たのは柔軟性のある優等生だったからなにもなかったものの、もっと面倒な良い子ちゃんはたくさんいる。そのほとんどが偽善者であるが、たまにいる本当の善人は、なにを言っても考えを変えない。自分が正しいからと、頭からこの店を糾弾するだろう。――この店にある「商品」は自らの意思でここに存在しているという事実を無視して、この店を否定するのだ。

「どんな建前があろうと、外道な商売には変わりないんですがネ。けれど、正しいことばかりで済むのならば、この店に商品は集まりませんヨ」
「だとしても、汝のしていることに誉れべきところはないがのう」
「この店の常連に言われたくありませんネェ」
「なにを言っているか。我はここで茶器を買っているだけじゃ。そしてそれを我が屋敷まで運ぶ汝の店の下男が、どうしても我の屋敷で働きたいと言うから、置いてやっているだけのこと。おお、我はなんと慈悲深い」

全く、なんて白々しい。
ブレイクは肩を竦めた。まあ、自分は善良な人間より、こういう癖のある人間の方が付き合いやすいのかもしれない。あまりにまっすぐなひとには辟易してしまう。
それでは、あの男はどちらにいるのだろう? この間来たまっとうな貴族のような真摯な人間の側か、今目の前にいる男のような闇に片足突っ込んでも平気な人間の側か。初めて彼と出会ったその時から、ブレイクはそのことを未だに把握できてきない。

「そういえば汝、黒猫を飼い始めたそうな」

男がクツクツと笑いながら聞いてくるのに、ブレイクはため息を吐いた。どこから漏れたのか、それともこの男の情報網が計り知れないのか。どちらにせよ、確実にこの店にいる「異端」の存在は知れ渡っているようだ。それをよく思わない自分を心底嗤いたくなった。

「それにしても、黒猫だなんて呼称、彼は嫌がるでしょうネェ」
「しかし、名もわからぬのならそう呼ぶしかあるまい。我がその黒猫について知っていることは限られているゆえな」
「あなたでも、知らないんですネ」
「まあ、さして興味もないことだからのう。何処を調べれば知れるかはわかっておる」

この知識欲旺盛な男があえて知ろうとしないのだ。つまり、黒猫と表される彼についてなんらかの憶測をすることは許されても、それを知ることは些か面倒な事態を引き起こすわけである。バルマという頂点を極める地位にいる彼を、脅かすとまではいかずとも牽制できうる勢力。そんな大それた権力は、いくつかしか頭に浮かばない。

「……びしょぬれで、軒先に立っていたんデス。せめて雨宿り程度は置いてやろうかと」
「人売りにも涙はあるというわけかの。まあ、そんな些細な甘さが汝の足を掬おうとも我はただ愉快なだけじゃ」

男は瞳を細めて笑い、今日も茶器を買い上げる。それをふたりの人間に持たせ、店から出ていった。
茶器を運ぶふたりの人間の目が、ブレイクを一瞥する。感情が希薄な瞳がゆらりと揺れた。それは、言葉のない別れの挨拶だった。











初めてあの黒猫を見た時のことは鮮明に覚えている。その時に嗅いだ、色濃い血の香りも。
本当は知っていた。彼の存在を。彼がどうしてこの店の軒先に立っていたのかも、すぐにわかったのだ。

「……もう、これ以上、ころしたくないんだ」

他人を? 感情を? それとも自分自身を? 凍えるような金の瞳は複雑な色で光る。それはなんだか見たことのないような美しい宝石かなにかに見えた。
ナイトレイの養子のひとり。幼い頃からの訓練で射撃の腕は類を見ず、常に冷静沈着に任務を遂行する。ナイトレイの性質上、必然と彼のようなナイトレイ家の者が行う任務は後ろ暗いものばかりだ。例えば、暗殺。皮肉なことに、彼は巧みな刺客であった。
その才を早くから見抜かれ、必然と彼のことを知る者は少ない。名を知る者はいても、彼の顔と名前を知っている者は少ないし、彼の行っていることを知る者もまた限られている。
ブレイクはレインワーズにいた頃から彼のことを知っていた。そして、その時に見かけた彼の瞳には、まだ明るい光が灯っていたはずなのだ。

「俺を、どこか別のところへ売り払ってくれ」

なんの感情もこもっていない目をして、彼はそう言った。しかし、ブレイクは彼を「商品」にはできなかった。絶望にかられて別の人生を求める彼を、こんな中途半端な場所に留めているのはブレイクだ。
何故そんなことをしているのかと問われれば、売りたくないからと答える。闇を嫌って逃げてきた彼をまた他の誰かに渡したくなかった。それほどまでにあの暗く澱んだ金色は、ブレイクを虜にしたのである。

もう雨はとうに上がっている。終わりの見えない雨宿りを、猫嫌いの黒猫はどう思っていることだろう。
客が帰って静かな店内に、控えめな足音が響いた。さて、客が去ったと思えば黒猫の登場か。どうやらゆっくりとお茶を啜るのはもう少し後までのお預けのようだ。ブレイクが振り返ると、相変わらずの無愛想な顔をした男がすぐそこに立っていた。

「おや……、君が私に相対するなんて、いつぶりですかネェ」

ねえ、ギルバート君。





(ご来店はお得意様。只今休憩中にて、閉店中)









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