!フリー小説ですが、著作権の放棄はしていません。


しとしとと視界は絶え間ない雨に埋め尽くされる。最悪だ。じめじめとした六月のように湿った空気も、肌に貼り付く洋服も、隣に座る天敵も。臨也はこちらに背を向けている静雄にそれとなく話しかけた。

「雨だねえ」
「……」
「しばらく上がりそうにないねえ」
「……うるせぇ」
「ねえ、ちょっと、会話のキャッチボールが成立しないんだけど。シズちゃんはもう少しコミュニケーション能力を身につける努力をするべきだよ」

臨也はぺらぺらといつものように嫌みを連ねるが、静雄は舌打ちするばかりでおとなしいものだ。通り雨にやられて、気だるいままに怒るのも億劫なのかもしれない。こうして見ると、本当に静かな男だ。
ざあざあと雨が止まぬ中、臨也と静雄は廃ビルの一階にいた。せっかくの連休だというのに、ふたりは運悪く出会い、いつもと変わらず先程まで追いかけっこをしていたのだ。彼らの今の停戦状態は、突如降ってきたスコールのような雨にふたりの興奮状態が一気に覚めたため起こった。夏の焼けるような暑さと同じぐらい、ひどい雨の日の追いかけっこは辟易する。身にまとった服は水をたっぷり吸っていやに重いし、頬や額に貼り付く髪の毛も鬱陶しい。こんな時はおとなしく雨宿りをするに限った。
臨也は深くため息を吐く。全く、今日はなんて厄日だ。誕生日が厄日だなんて、とんだ喜劇だと嘆きたくもなる。そんな珍しく少し落ち込んだような臨也を見て、静雄はきょとんとした顔でこちらを見てきた。その顔が妙にかわいらしかったから、臨也は思わず笑ってしまう。

「はは、いやね、今日は俺の誕生日なんだよ」
「そう、なのか」
「うん。だから、今年の誕生日は散々だなと思って。まあ、十七回も誕生日を迎えてきたんだから、もう誕生日なんて祝わなくてもいいんだけど」

誕生日なんて、所詮、年を取る分かりやすい目印でしかないし、臨也はあまり記念日を重視する方ではない。けれど、それでもやはり、臨也だって今日という日を特別視しているのだろう。曇天の誕生日に少しつまらなさを感じるくらいには、人間くさいところだってある。
臨也が黙ると、廃ビルはしばらく静寂に包まれた。雨は綺麗な音を生み出すけれど、決してそれは愉快なメロディではない。孤独感を冗長させるような、憂鬱さをも含んだ沈黙。それを破ったのは、雨音に紛れて聞こえてきたそっけない五文字だった。

「おめでとう」

皮肉も嫌みもなにも感じられない。その言葉には純粋に「おめでとう」という響きしかなかった。ここまで綺麗な祝福を、臨也は生まれて初めて聞いたかもしれない。
だからだろうか。その静かに紡がれた言葉を聞いた瞬間、臨也はもう我を忘れていた。体はしたいように動き、気がつけば目の前には憎き天敵の顔が見えた。
白い頬。長い睫毛は雨に濡れている。その奥にある瞳はひどく綺麗な茶色をしていて、うっすらと色づく唇は微かに震えていた。
どうしてこんなことになったのだろう。臨也はぼんやりとそんなことを考えながら、天敵にくちづけをした。何度も何度も、角度を変えては食らいつくようにキスを続ける。静雄の唇をぺろりと舐めた時、ようやく彼は臨也を突き放した。

「……なに、して」
「知らない、よ。君が俺の誕生日を祝うからいけないんだ」
「なに言ってんだ、お前―――」
「もう黙って」

臨也はそう言って再び唇を合わせる。ひどく余裕のないそれに、自分らしくはないとわかってはいるがやめられない。肌に貼り付く服が鬱陶しくて上を脱げば、静雄はびくりと体を震わせて臨也から逃げようとする。
臨也は舌打ちした。そんな弱々しい抵抗なんて、この行為への同意と同義ではないか。

「おとなしくして」
「でも、おまえ……」
「黙れ。今日は俺の誕生日だ。誕生日くらい、俺の思い通りになれよ」

そう言って静雄を見つめれば、彼はもうなにも言わなかった。少しだけ顔を赤くし、潤んだ瞳は信じられないほど色っぽい。臨也は静雄の瞳の中に映る情欲にまみれた目をした自分を見て、「はっ」と声に出して冷笑した。なるほど、臨也は自分のことをこれほど愚かに思ったことはない。日々繰り返される静雄との戦争のような喧嘩の根元的な原因は、臨也がどうしてもこの男を手に入れたいという子供のような執着心なのだ。これほど愉快なことがあるものか。
何でも要領よくこなす自分が、この男を手に入れるために費やした労力がなんと膨大なことだろう。けれど、そんなことは全く気にかからなかった。文句は後でいい。今はもう彼のことしか考えられなかった。
「悪いけど、雨が上がってもしばらく帰してあげないから」

臨也がそう言って意地悪く笑うと、静雄は少し躊躇いながらも口を開いた。

「でも、ここじゃあ誕生日を祝ってやれねえぞ?」
「……祝ってくれるの?」
「成り行き、だから。今年だけは祝ってやる」

さて、次はどんな手を打つべきか。具体的には、どのようにして来年もその先も静雄に誕生日を祝ってもらおうか、ということだ。そして、欲を言えば、いかにして静雄との関係を魅力的なものに変えようか。どちらも、臨也の手にかからなくても造作ないことに思える。
何故か。それは至極簡単な話だ。

「いいよ。誕生日プレゼントは君を貰うから」

そんな軽口に頬を染めてうつむく静雄は、確実にもう臨也に惚れてしまっているのだから。









この話の静雄は臨也のことが好きで、お祝いしたくてわざと臨也に会いに来た、という裏設定があるとわたしに優しい。








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