月島はどうしようもないくらいの重度な方向音痴で、しかもおっちょこちょいだった。だから、今日も変わらずたくさんの人混みにもみくちゃにされ、あれよあれよという間にどこかもわからない場所へと流されていく。
しっかり前に進まなければ。池袋駅の改札を出て、とある場所に届けものをする。それが臨也さんからお願いされた、俺の仕事なのだから。月島は気合いを入れて、必死に前に進む。ようやく改札口に到達して安堵した月島は、けれどもポケットを手探りして、サーっと顔を青ざめた。

切符がない。

どうして、どこかで落としてしまったのだろうか? 人混みにまみれていた時か、はたまたそのもっと前か。月島の頭の中は「どうしよう、どうしよう」と不安な言葉ばかりがぐるぐると回る。これじゃあ、臨也さんから任された仕事を完遂することができない。そう思うと、悲しくて視界が滲んだ。

「ねえ」

その時だった。澄んだ、少しだけ冷たい声が月島の後ろから聞こえる。振り返れば、月島のマスターとよく似た男が、じっとこちらを見つめていた。
彼は月島の涙に気づくと、少し考えるポーズを見せてから、おもむろに月島の頭を撫でてきた。その優しげな手のひらに、月島の涙はぴたりと止まる。
彼はそれに満足したのか、ひどく優しい顔をして微笑んだ。

「もう、落としちゃ駄目だよ」

そう言って彼は月島の手のひらに何かを握らせ、ひらひらと手を振って先に改札から出ていってしまった。
残された月島は、恐る恐る手のひらを開く。そこには確かに自分の落とした切符があって、少しだけ彼の体温が移っていた。
月島はもう一度切符を握りしめる。その時の月島の顔は、恋にのぼせた少女のように真っ赤に染まっていた。











恋と言うものは、本で読んだものとは違う気がした。だってこんなにも月島の頭の中を占領するのだ、本の中の少女のように他の男の子に目移りなんてしない。
ぼんやりとしている月島を見て、臨也はくすりと笑う。そうして、「月島」と声をかけてきた。

「ねえ、また池袋に行ってきてもらえるかな?」
「え、本当ですか!」
「うん、本当だよ」

途端に瞳をキラキラさせる月島を見て、臨也はからかうように口許を吊り上げた。

「なになに、すごい嬉しそうじゃないか。昨日、なにか良いことがあったのかな?」

にやにやと意地悪な笑みを浮かべる臨也に、月島は顔を真っ赤にしてもごもごと口を動かす。そんな彼が可愛らしくて、臨也は月島が持っていた辞書を取り上げる。

「あっ、い、臨也さん!」
「ふうん、『恋』か」

辞書で引かれたその語句を見て、臨也は微笑む。慌てる月島に少し意地悪してみようと、臨也は別の語句を引いて彼に見せた。

「『初恋』?」
「そう。君に相応しい言葉は正にこれだね。可哀想に、月島。初恋は叶わないのがセオリーなんだよ」

冗談混じりにそう言えば、月島の瞳はみるみるうちに水量を増す。あ、やばい、と思った時には既に遅し。月島は体育座りをした膝に顔を埋めて、泣き出してしまった。

(あー、いつもシズちゃんをいじめる要領で意地悪しちゃったなあ)

自分の恋人はかなり強気なので、このくらいじゃびくともしない。けれど、月島がオリジナルと似ているのはその容姿のみ。弱気で泣き虫な彼には少し酷な言葉だったかもしれない。
臨也は珍しく後悔をし、慌てて言葉をつけ加えた。

「まあでも、弱気な君が頑張ってアプローチすれば、きっとその恋は叶うよ。頑張り屋さんはね、ちゃんとご褒美がもらえるんだ」

そう言えば、月島は涙に濡れた顔を上げて、「本当ですか」と頼りなく聞いてきた。

「本当だよ」

だから、頑張っておいで。
臨也はそう言い、月島に届け物を手渡した。











この間のようにラッシュ時ではないから、池袋駅は比較的空いていた。月島はそれでも恋したひとに言われた通り、切符を落とさぬようにぎゅっと握りしめた。
改札に近づいていき、月島は自然と辺りをキョロキョロと見渡すようになる。すれ違うひとは誰もが彼ではない。そんなうまく彼と会えるとは思っていなかったけれど、少しだけ落胆した。
すると、背後から肩をとんとんと叩かれる。月島はデジャビュを感じ、彼かと思ってさっと振り返った。

「お兄さん、ひとり?」

けれど背後にいた男は彼ではなく、しかもにやにやといやらしい顔をしている。月島はひとみしりとはまた違う緊張を感じ後退りするが、そうすればまたその男がついてきた。よくわからないけれど、この男のひとは月島に害をなすひとであることだけはわかった。

「怖がらせちゃった? お兄さんキョロキョロしてたから迷子なのかなって。よかったら俺が案内しようか?」

そう言って遠慮なく手首を掴まれて、月島は思わず悲鳴をあげそうになった。
このひとはなんなのだろう。怖い。月島がかたかたと小刻みに震えていると、後ろから待ち望んでいたあの声が聞こえた。

「何をしているの」

ああ、今度こそ彼だ。
月島は涙で滲む瞳で彼を見る。そうしたら、彼の瞳が更に冷たく細められた。

「な、お前には関係ないだろ!」

彼の冷たい目にびくつきながらも、男は虚勢を張って声を荒げる。すると、「関係ない?」と彼は男の言葉を繰り返して言って、首を軽く傾げながら嘲笑した。

「関係あるに決まっているだろ。その子は俺の恋人だ」

え? 恋人?
あまりの衝撃に口をぱくぱくと開閉することしかできない月島とは異なり、男は彼の威圧感に恐れをなして足早に改札を抜けていった。彼は男が去ったのを見、少し申し訳なさそうな顔を月島に向ける。

「……場を円満に片付けるためとはいえ、あんな嘘を吐いてごめんね」
「え! あ……嘘、ですか。そっか……本当だったら、よかったのに」
「え?」

ついぽろりと出てしまった月島の本音に、彼はきょとんとした。
なんてことを言ったのだ、自分は! 月島は顔を真っ赤にして慌てて「な、なんでもないです」と言った。けれど、その時、臨也の言葉が思考を掠める。

まあでも、弱気な君が頑張ってアプローチすれば、きっとその恋は叶うよ。

弱気なままでも引っ込み思案なままでもいられない。彼と次会える保証はないのだ。月島はキッと彼を見上げ、体を震わせながら口を開いた。

「あ、やっぱり、な、なんでもなくないんです。その、本当だったらよかったのにっていうのは本心で、その、俺は、あなたと恋人だったらとても素敵だなって思って」
「君は―――」
「待って。もう少しだけ聞いてください。べつに、恋人になれとはいいません。だけど、それなら、その」

月島は手の中にある切符をぎゅっと握りしめ、涙を堪えながら彼の顔を必死に見つめた。

「お、俺と文通してください!」










(どうしようどうしようどうしよう)

月島はうつむいて、自分の靴にばかり目を向ける。いきなりあんなことを言って、嫌がられただろうか。ふたりの間に流れる沈黙に泣きそうになっていると、ぷっと小さく吹き出す音が聞こえた。

「ぶ、文通って……」
「あの?」
「ああもう、ふふっ、おかしくてたまらないのに何だかすっごい嬉しいんだけれど。どうしてだと思う?」

笑い声を抑えながらそう尋ねてくる彼に、月島はぱあっと表情を明るくした。

「俺と文通、してくれるんですか!」
「ふはっ」

彼はとうとう抑えきれなくなったのか、お腹を抱えて盛大に笑っている。きょとんとした月島を見て、彼は「ごめんごめん」と綺麗な笑顔をして言った。

「うん、いいよ。君と文通してあげるよ」
「ほ、本当ですか! じゃあ、住所を教えてください」
「待ってね」

彼は持っていた手帳にさらさらと住所を書き、そのページを破って月島にくれた。

「上が本籍地で下が仕事をしているところ」
「……あれ」

下は、今日臨也から渡された荷物を届ける住所と同じだった。そして、上は―――、

「お、俺が住んでいるところ!」
「いつもは仕事場にいるから会わないけれど、俺はちゃんと君のことを知っていたんだよ? 方向音痴なとこも、ちょっとおっちょこちょいなとこも。こんなに可愛い子だとは知らなかったけどね」

月島は急な情報過多に頭がついていかない。このひとは自分の先輩で、自分のことをよく知っていて、そして、自分のことを可愛いって思ってくれて。
真っ赤になる月島の顔を見て、彼はにっこりと笑う。

「さあ、どうする? おんなじところに住んでいるのに、まだ文通したいかな? どうせなら、直接お話ししてくれないかな」
「も、もちろんです!」
「それと、俺のことは六臂と読んでくれる?」
「は、はいっ。六臂さん!」
「ああそれと、君の告白の返事は『喜んで』だよ」
「はい!……って、え!?」

つまりは彼、もとい六臂は月島の恋人になってくれるということだろうか。耳まで真っ赤になった月島を見て、六臂はその赤い耳にキスをした。

「ろっ六臂さん!」
「さ、臨也からお願いされた届け物のおつかいはもう完了したでしょ? なら、今からデートしようよ」

駄目かな? と首を傾げて聞いてくる六臂に、月島はもう頷くことしかできなかった。






の片道切符

(あなたがいるところへとつなぐ、大切な大切な俺の宝物)





企画「恋の片道切符」に提出。
素敵な企画に参加させていただき、ありがとうございました!



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