朝日に照らされて、キラキラと窓ガラスが光る。食器と食器が触れ合う音が微かにする朝食の席で、デリックはいつものように日々也のために温かな紅茶を淹れていた。
砂糖をひとつとミルクを多めに。日々也は最近ようやく執務に慣れてきたものの、やはりいつも忙しそうだ。だから、デリックは少しだけでも彼の疲れをとってやりたかった。

「良い香りだね」

すると、朝食の席に同伴していた王が、デリックが淹れた紅茶を見てそう言った。

「今日は、僕もデリックに淹れてもらおうかな。セルティの分も、お願いできる?」

デリックは心中で戸惑いつつも、顔では僅かな微笑みを浮かべて王と王妃の元に近づこうとする。が、不意に日々也の手首を握りしめられ、その足は止まった。

「えっと、日々也様?」
「…………」

日々也はばつが悪そうな顔をしつつ、デリックの手首を握って離さない。そんなふたりを見て、王はからからと声を立てて笑った。

「あはは、日々也の独占欲も相当なものだねぇ。デリックに完全に首ったけだ」
「……あなたにはあなたの執事がいるんです。ただ、それだけですよ」

拗ねたような返事をした日々也の頬はけれども確実に朱を帯びていて、王と王妃は顔を合わせて笑い合う。
穏やかないつもと変わらぬ朝食の席。デリックはそこに相応しい笑みを無理やり顔に貼り付けた。このぐちゃぐちゃになった心中を悟られぬように、彼はただ必死に自然な笑みを装うしかなかった。











日々也の婚約話を耳にしてから一週間。日々也は驚くほどなんの変化も見せなかった。
例えば、デリックは日々也から恋人としての関係をやめて欲しいと仄めかされることもなかったし、「婚約なんてしない」と子供のわがままのようなことも言われなかった。日々也は至って平然としていて、デリックに対してちっともぎこちない様子を見せない。
これはどういうことなのだろう。もし誰かを娶ったとしても、なにも気にせずデリックとの関係を続行するということなのだろうか。それとも、王子として執務をこなしているうちにデリックを執事としてしか見なくなったのか。様々な可能性がデリックの脳内をかすめ、けれども結局明確な答えは出ない。

やきもきするとは、正しくこのような状況のことを言うのだろう。デリックは、日々也がなんらかのアクションを起こさない限り、彼と別れるも不毛な関係を続けるも選択できない。どっちつかずの宙ぶらりんな立場は、恐ろしくデリックを消耗しつつある。
ポーカーフェイスを常に絶やさず、たとえ隣人の首がはねられようと微笑みを称えたままで。それがデリックの信条でありプライドであり生き方である。だから、未来に思い乱れて醜態を晒すわけにはいかない。
そう、それに、前にデリックは王に言ったじゃないか。日々也の隣にいられるならどんな関係でもいいと。それは確かにデリックの本心だ。きっかけさえ掴めれば、日々也がデリックとの関係を切ると切り出してくれるのなら、デリック微笑みを絶やさずに頷くことができる。彼のポーカーフェイスは決して崩れることはない。

そう、そのはずだったのに。


「で、デリックさまっ!」


なにを間違えたのかと聞かれれば、デリックはなにひとつ間違いを犯していない。突風で飛んできた石が意外と大きめで、それが窓を突き破ってガシャンと耳につく音を立てた。その傍に少女と変わらぬ年のメイドがひとりいたから―――デリックは自分がやるべきことをやったまでだ。

ずきりと鈍い痛みを感じ、腕を見る。そこには大きなガラスの破片が刺さった、なんとも痛ましい自分の腕があった。デリックが庇ったメイドは顔を青くし、急いで他の人間を呼びに行く。若いけれど、なかなか賢明な判断だと思った。

(かわいそうなこと、しちまったな)

きっとメイドは自分のせいでデリックが怪我したと自責の念でいっぱいだろう。彼女のせいではないのに。デリックは、避けようと思えば避けられたのである。
何故そんなことをしたのか。答えは明瞭すぎて、そんな自分に吐き気がした。現状が辛くて無意識に楽になれる方法を求めた、なんて、自分はこんなに弱かったのだろうか。こんな脆い精神力で、今後日々也を支えていくことなど不可能だ。

デリックは黙って割れた窓ガラスを見る。ひびだらけで今にも崩れてしまいそうなその窓は、まるで今の自分のように思えてならなかった。










手が空いていたメイド頭に手際よく手当てをしてもらい、デリックは新しいシャツに着替えた。長袖のシャツは包帯をすっぽり隠す。例のメイドにもメイド頭にもこの怪我のことを口外するなと言ってあるから、多分日々也に伝わることはないだろう。それにちょっとだけ安堵をした。
さて、そろそろ日々也がいる執務室に戻らなければ。日々也に厳しく王たる執務を教えるために、日々也は王の古参の臣下より執務を教わっている。だから、デリックは時々日々也の傍を離れて、本来古参の臣下が行うべき仕事を代わりに行っていた。デリックも、将来日々也の右腕として働く為に、この城の仕事に慣れなければいけないのだ。
けれど、どんな日であれ、食事の時間と自室に戻る時間だけは必ず日々也の傍らにいた。それだけはふたりとも譲らなかったのだ。

「日々也様、失礼いたします」

頃合いを見計らって執務室の扉を開けば、古参の臣下と苦笑顔の日々也がいた。どうやら、彼のスパルタ教育は、日々也が成長するのに比例して厳しいものになるらしい。大方、明日からの仕事量を二倍に増やすなどと言われたのだろう。
日々也はデリックを見た瞬間、古参の臣下を放ってこちらに駆け寄ってきた。

「デリック! 君に会いたかったんだ」
「え?」

いきなりの言葉に首を傾げれば、古参の臣下は「老人の前であまりじゃれあわないでください」とからかうように笑った。日々也は「また明日!」と一方的に言い放つと、重たい扉を音を立てて閉めた。

「日々也様、いいんですか?」
「いいよ。あのひととは口で言い合ってもかないっこないから、嫌なんだよ。それに、俺が一番優先すべきは、父の臣下ではなく自分の臣下でしょ?」

臣下。そう、俺はこの方の臣下なのだ。それ以上にはなれないと、固く誓っておかなければならない。
自惚れず、一歩引いて謙虚でいる。かといって卑屈にはならず、正統な賞賛は慶んで受け取る。それもまた、デリックの生き方のひとつだ。

「そんなことより、君に見せたいものがあるんだよ」

日々也はそう言って笑うと、自室までどんどん歩いて行ってしまう。デリックは慌ててその後を追った。
ほどなくしてたどり着いた日々也の自室の扉を開くと、テーブルの上に長方形の植木鉢が置いてあるのが見える。そこに咲く花は―――姫金魚草だった。

「デリックはこの花が好きだって、君のお兄さんから聞いたんだ」
「……この花は、母さんが好きな花だったから」

幼い頃、デリックの母は色々なことを教えてくれた。帝王学から花の世話の仕方まで。姫金魚草は育てるのが比較的簡単だったから、デリックはよくそれを育てた。だって、花が咲けば、母もサイケもよく喜んだから。

「可愛らしい花だね。まるで君みたいだ」

日々也はそう言うと、テーブルの上に落ちていた花びらを手にして、ふわっとデリックの頭にかけた。

「この花を、その名の冠する通り、俺の姫である君に捧げよう」

姫、それはデリックがどう足掻いてもなれない境界線の向こう側。それなのに、日々也はそんな境界線を全く意に介せず、デリックのことを姫などという。
そして、彼の瞳は、やはり素直にデリックに語りかけてくるのだ。「誰よりも愛している」と。その言葉に、デリックはガラガラと崩れ落ちる音を聞いた。

「デリック?」

日々也は怪訝そうにこちらを見て、デリックの腕をぐいっと引っ張る。最悪なことにそこは先ほど怪我したばかりの患部の中心部だったから、動揺しているデリックは痛みに呻く声を押さえられなかった。
その声に、日々也は手際よくデリックの袖を捲り、真っ白な包帯を見つける。壊れ物を触るかのような手つきと憤慨している顔つき。そのままで日々也は「許せないね」と冷淡に言い放った。

「君を傷つけたものがなんであれ、俺はそれを許せない」
「なぜ……」
「え?」
「どうして、そんな、だってあなたには」

もう婚約者がいるんでしょう? 他に、大切なひとが。言わずにいられなかったその言葉は、結局、日々也の言葉のせいで続くことはなかった。

「だって、君は、俺の中心だから」

ガラガラガラ。崩れ落ちたものはポーカーフェイスだったのだろうか。気がついたら、デリックは泣いていた。それを日々也は信じられないという顔をして見ている。当たり前だ。デリックの怒りも悲しみも、日々也は滅多に見たことがなかったのだから。

「その中心は、いつまで?」

明日? 明後日? 明明後日? わからないわからない。けれどひとつだけはわかる。デリックが日々也を独占できる時間は、着実に終わりに近づいていた。









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