思えば、デリックが有能であると評価されるのは、幼少時代からの英才教育の賜かもしれない。母も僅かにいた使用人たちも、みんな文句のつけどころがない優秀なひとたちであった。サイケとデリックの父である王が本当はどちらを跡継ぎにしようとしていたかは今となっては定かではないが、どちらにも万全の教育体制を築いてくれたのは確かだった。
今頃、兄は奮闘しているのだろう。強大な国であるからこそ、反乱分子の数も多い。今まで表舞台にあまり登場していなかった子供の即位に、歓迎しない者も少なくないだろう。
そこまで考えて、デリックは思考を無理矢理停止させた。あまりかの大陸の強国のことを考えてはならない。あの国にとって、デリックは今や亡霊のようなもの。彼が生き返れば、不穏分子やサイケに賛同しない家臣らは目の色を変えてデリックを王として祭り上げるだろう。それは、サイケとデリックが一番望まなかった結末だ。
今の境遇に不満があるわけではない。むしろ、とても恵まれていると言ったって過言ではない。
美しく映える風景に、穏やかな人々。芸術は目を見張るほど発展しており、王候から庶民までも隔てなくそれらを楽しんでいる。デリックの生まれた国の一部しかないような大きさの国土だけれど、幸せの密度はこの国の方が濃い気がした。加えて、愛するひとに愛されるのだ。これ以上の幸福は探しても見つからない。

だから、デリックはこれ以上過去のことで取り乱すつもりはない。動揺を顔や所作に見せないポーカーフェイスは、たとえ拷問まがいの暴力を受けたとしても崩されない自信がある。そういう訓練もまた、幼い頃から受けてきた。
弱味を見せたらいけない。常に冷静に、深く信頼していた右腕的存在の家臣に刃を向けられても、「随分と自虐的な右腕だ。自分の体を傷つけようとするのだから」とジョークを飛ばせるくらいでないといけない。それがデリックの信条であり、だからこそサイケと再会した時も乱れる心をひた隠しにできたのだ。

王子から家臣へと変わっても、それだけは変わらないはずだった。けれど―――、











拝啓、そちらの国では厳しい寒さが続いていると聞きましたが、ご健勝にお過ごしでしょうか。
交易品の増加の件、ありがたく存じます。切手や便箋の他に我が国で製造した楽器や家具の輸入まで行なっていただき、貴国とのますますの交流が叶うことを我が国は歓迎及び待望しております。近いうちに使者に詳細を記した書状を持たせ、貴国に遣わせることを―――




手紙を書いている途中に、大きな鐘の音を聴いた。この鐘は毎日昼前に一回鳴るもので、鳴り終わると「午後」になる。
デリックは書きかけの手紙をそのまま放置し、手早く身なりを整えて自室を出た。鐘が鳴った後なら、王は昼食を摂るために休憩をしているはずだ。その前にいくつか確認しておきたい事項があった。
姿勢を正して廊下を歩けば、使用人らから尊敬や慕情の視線をひっきりなしに投げ掛けられる。それを軽く受け流し、デリックは目的地まで完璧な動作でたどり着いた。
荘厳な扉。そう感じるのは、扉の大きさゆえか、それとも中にいる人物ゆえか。デリックは王の執務室の前に立ち、ノックをしようとした。けれど、後ろからお茶を乗せたワゴンを押すメイドを見えたので、ささっとメイドに先を譲る。メイドはぺこりとお辞儀をして、ノックも手短に慌てて執務室の中に入っていった。


その時、それを耳にした。


王とその息子の会話。それは世間話のような気安さで語られた、残酷な未来。
デリックはなにも言えない。なにも考えられない。目の前がぼやけて見えて、頭がくらくらする。そのうちにメイドが執務室から出てきたのを見て、デリックは反射的に「これは私が片しておくので、あなたはもう昼食を摂りに行ってください」と声をかけていた。
メイドは頬を赤くして礼を言ってくる。デリックはそれに曖昧に対応し、軽くなったワゴンを引いて足早に立ち去った。
はやくしなければ。急いでどこかに行かないと、彼と鉢合わせてしまう。それだけがデリックの頭の中でぐるぐると回り続けていた。
わかっていたはずなのだ。それなのに、いや、わかっていたからこそ、デリックはその事実から目を背けていたのだろう。
先ほどのメイドが近くにいたメイドに和気藹々と話しかけているのがデリックの耳にも届いた。

「ねえねえ、日々也様にとうとう婚約者ができるんですってよ」

その可憐な声は、今のデリックにとっては傷をえぐる凶器でしかなかった。











王朝というものは、王がその子に位を継がせることで初めて成り立つ。要するに、王が世継ぎを作ることは最も大切な仕事のひとつであり、その子を産む王妃となるものはある程度の地位を持つ娘がなるものなのだ。

デリックはぼんやりと木々を見る。やるべきことを全て終えてから、彼は行くあてもなく馬を走らせていた。
吹きつける風はいつもより冷たい気がして、デリックの綺麗な眉がぴくりと動いた。こうやって馬を走らせても、気分は一向に晴れない。デリックはため息を吐いて、馬から降りた。
すると、後方からデリックの名を呼ぶ声がある。聞き慣れたその声は、自分が愛する者のもの。不覚にも、涙がこぼれそうになった。

「デリック! 遠乗りに出掛けるのなら、俺に言ってよ。俺も一緒に行きたかったのに」

そう、日々也はデリックに様々な風景を見せてくれた。デリックの喜ぶ顔を見る度に、嬉しくて嬉しくてたまらないという顔をして。
もしかしたら、今回の婚約者についての話は、デリックが日々也に「婚約者なんて作らないでくれ」と懇願すれば白紙になるかもしれない。そうだ。彼は確かにデリックを愛してくれている。それならば、「もちろん、婚約者なんて断るつもりだよ」となんということもなく言い放ってくれるかもしれない。

デリックは日々也を見つめる。そして、口を開いた。

「日々也様」
「ん、なに?」
「……執務は、しっかり終えたのですか?」

デリックの言葉に、日々也は「ちゃんと終わらせてきたよ」と言って苦笑した。デリックは「そうですか」と言って、笑い返す。

言えるわけがない。
婚約するのをやめて、なんて。そんな馬鹿げたことをどうして言えようか。
そんな愚かな言葉を言うには、デリックはやはり賢すぎた。彼は王としてのあり方を学びすぎた。世継ぎ作りの問題が、それほどシンプルな問題ではないことを知ってしまっていた。
仮に、今回、日々也の婚約がなしになったとする。しかし、果たして話はそれで終わるのだろうか? 終わるはずがないのだ。
いずれ、王も家臣も国民までもが、日々也が配偶者を持つことを強く望むようになるだろう。国の安定を願えば、必然と賢明な王族が途絶えることをよしとしないはずだ。誰もが、日々也の世継ぎを望む。
けれど、いくら日々也とデリックが愛し合っていようと、デリックは日々也の子供を産んでやることはできない。そんな無理な関係は、ただただ、虚しさが募るばかりだ。

「ここら辺なら、リスがたくさん住んでいる場所に近いんだよ。小さくて、尻尾がふわふわしていて、とても可愛らしいんだ」

嬉々として話す日々也を、デリックは淡い微笑をして見つめる。デリックのことを喜ばせようとする日々也が愛しくて、少しだけ憎い。

「素敵ですね」
「だろう? 今から見に行こうよ」

素敵ですね、優しいあなたは。
けれども、なんて残酷なことをするのだろう。将来あなたの隣にいるのは今は知らない女性であるというのに、あなたはどうして私のことをこんなにも夢中にさせるのでしょう。
にこやかに笑いながら、デリックは僅かに震える手足をどうにかやり過ごした。








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