※先輩と後輩パロ







二年前、平和島静雄が先輩である折原臨也に初めて出会ったのは、来神高校の入学式でのことだった。
在校生が静雄を始めとした新入生を拍手で迎える中、臨也の赤い瞳はじっとこちらを見つめていた。
ほんの一瞬の出来事だった。
静雄もまた、臨也に視線を向けていた。
群衆の中に互いだけの世界があった。
視線が交錯した。
そんな気がした。
静雄はあのときのことを、未だ鮮明に思い出すことが出来る。
例えばあの赤い瞳。
それから艶やかな黒髪に白い肌、恐ろしいくらいに整った綺麗な顔立ちは、きっと誰もが目を奪われることだろう。
何せ静雄もその一人だったのだ。
それからというもの、静雄は臨也のことをもっと知ろうと思った。
最初はどうしたらいいだろうかと試行錯誤したものだが、幸いなことに、折原臨也という人間は校内において有名人であった。
それもそうだろう。
臨也は端正な顔立ちをしており、聞くところに依れば博学で成績はいつだって上から数えた方が早いらしい。
おまけに臨也には恋人が多かった。
告白は必ず受けるし、そのときに彼女がいようがいまいがその度に隣を歩く女の子が変わるという。
けれど静雄は、そんな臨也を嫌いにはならなかった。
むしろもっともっと知りたくて、知る度に好きになって、自分のことも知って欲しくなって。
とはいえ、静雄がどう想おうとも臨也には届かないし、接点がない限りは卒業までに話す機会すら得られないだろう。
ではどうすればいいのか。
そう考えたときに最初に浮かんだのは、臨也と同じ部活に入ることだった。
生物部。
静雄は頭を抱えた。
自分には到底縁のない部活だったからだ。
それからは、臨也のことをただ想うだけにしようと決めた。
それだけで満足だろうとか、そもそも男である自分では到底受け入れてもらえるわけがないだとか、言い訳にも似た言葉を羅列させ。
集会等、たまに目が合うときもあったものだが、それは多分静雄の勘違いなのだろう。
叶わないと知っていて、心はいつだって妙な期待を勝手に抱く。
だからなのかもしれない。
片思いなんてするもんじゃない。
そう思うくらいには、やはり辛かった。
それから二年が経とうとしていた頃。
とうとうこの日がやってきた。
卒業式だ。
臨也がいなくなる。
会えなくなる。
もう一生、会えなくなるかもしれない。
臨也にとっての静雄なんて存在は、何てことはないただの後輩に過ぎないだろう。
いや、静雄という存在すら彼は知らないかもしれない。
二年近く、静雄は臨也だけを想ってきた。
それは恋であり、片思いだった。
長いようで短い、短いようで長い恋。
どうにかしてしまいたいと思った。
気持ちを伝えたいとも思ったが、そんな勇気は静雄にはない。
君は誰、なんて、そんな言葉で足蹴にされるに違いないのだ。
なんて。
今まで散々自分自身を出し抜いてきたくせに、今更こんなことを思うなんておかしいだろう。
だから、思い出にするしかなかった。
その為の、一歩だった。




放課後。
三年生の教室は空っぽになっており、机と椅子だけが綺麗に並んでいるのみだった。
静雄は教室の中をゆっくりと歩きながら、一つ一つの机を指先で撫でていく。
臨也の席は、確か窓際の一番後ろだったと思う。
移動で通ったときや、体育の際に顔を上げて盗み見たくらいの曖昧な記憶ではあるが、静雄はその席で立ち止まると椅子を引き、それからこっそりと座ってみる。
ドキドキと心臓が高鳴るのは緊張からなのだろうか、あるいは、誰かに見つかるかもしれないという不安からなのかもしれない。
静雄は辺りを見回してから口元を緩めると、頬杖をつきながら窓の外をじっと見つめた。
臨也は進学するらしい、そんな噂を前々から耳にしていた。
頭がいいと聞いていたし、それが妥当な選択だろうと静雄も思う、が、心中ではこっそりと同じ場所に進学したいなんて思ってしまっていて、静雄は自身の頭をこつんと小突いた。
生憎静雄の成績はいつだってぎりぎりで、とてもではないが進学向きではなかった。


「折原、臨也」


消え入りそうな声で小さく呟く。
彼はここで何を思い、考え、どんな風に過ごしてきたのだろう。
いつだって想像することしか出来ないが、それも今、この瞬間で終わりにしよう。
ずっとずっと好きだった。
好きで好きで堪らなくて、女々しいと分かっていながらも臨也を想って泣いたことだってあった。


「先輩、」


静雄が自嘲的な笑みを浮かべる。
それから机に指先を這わせ、拳を作り、溢れ出しそうになる涙を乱暴に甲で拭った。
これは一体、何の涙なのだろう。
心当たりがあり過ぎて、分からない。


「っ‥ずっと、ずっとずっと‥‥」


好きでした。
そう言おうとしたのに、言葉になってはくれなかった。
物音がしたのだ。
静雄は涙で濡れた目をこれでもかというくらいに見開くと、物音がした方へと弾かれたようにして視線を送る。
視線の先。
教室の出入り口には、既に帰宅した筈の臨也が立っていた。


「‥‥っ」


静雄はハッと我に返ると、慌てて椅子から立ち上って脱兎の勢いで教室から出ようと走り出す。
が、すぐに手首を掴まれてしまい、逃げることすら困難となってしまった。


「‥‥‥」

「‥‥‥」


沈黙が痛い。
背中を刺すような視線に、静雄は頭の中が真白に塗り潰されていくのを感じていた。
逃げたい。
静雄は俯いたまま、揺らめく床をただただ見つめる。
言葉が出なくて、どうしたらいいのか分からなくて。
きっと不審に思ったに違いない。
自分の席に見知らぬ後輩が座っているのだ、当たり前だろう。
不意に、息を吸う気配がした。


「続き、聞かせてくれないの?」


耳に馴染む声。
歌うような綺麗な音を、こんなにも間近で聞いたことなどあっただろうか。
静雄は咄嗟に胸元を押さえる、ワイシャツをぎゅうと握り締めながら、みるみるうちに耳までもが熱くなっていく感覚にどうしようもない気持ちを抱いた。
臨也は一体いつからいたのだろう、続きというのは静雄が言い掛けた言葉の先を差してるに違いないだろうが、それでも素直に口にしたりでもしたら、どれだけの嫌悪を向けられるか分からない。
静雄は途方に暮れていた。
嘘の一つも出て来ない。


「‥‥すみません」


代わりに割って出たのは、小さな謝罪の言葉だった。
それは数秒と保たないうちに吐息と共に空気に溶け消えていき、すぐに沈黙が降りてきた。
けれど静雄は後悔などしていなかった。
抱いてはいけない気持ちを、二年近くもひたすらに抱いてしまったことへの謝罪、なのだ。


「ふうん」


やがて、臨也がたったそれだけを呟いてきた。
不満そうな、何処か腑に落ちないといった低い声音に、静雄はびくりと肩を跳ねさせる。
何か間違ったろうか。
そんな不安に駆り立てられる。


「じゃあさ、おめでとうって言ってよ」

「え‥‥」

「静雄くんから聞かないと、この手も離せないし卒業だって出来ないな」


静雄は瞬きを繰り返しながら、恐る恐るといった様子で振り返る。
先程の声音に反するかのように薄い笑みを浮かべ、けれど何処か真剣な双眸でこちらを見つめる臨也は、今、何と言ったのだろう。
静雄の聞き間違いでなければ、きっと。


「な、んで‥俺の、名前‥‥」


意外だった。
あまりにも意外過ぎて、思考が上手く回らないし声まで裏返ってしまってる。
この約二年間、静雄は臨也との接点なんて持てなかったし、こうして話をしたのだって今が初めてだったりする。
では何故、臨也は静雄の名前を知っているのか。
臨也は静雄の内心を読み取ったかのように、言葉を続ける。


「君はね、自分が思っている以上に結構目立つんだ。身長や髪色もそうだけど、その綺麗な顔とかね」

「なっ‥!」

「‥けどそれは、俺が君の名前を知っている本当の理由じゃあない」

「‥‥?」


静雄は働かない思考を何とか巡らせる。
名前を知っている理由。
自分が意外にも目立っていて、しかもあの臨也の口から静雄に対して、まさか綺麗だなんて言葉を投げ掛けられる日が来るだなんて、一体誰が想像しただろうか。
綺麗。
その言葉は、臨也にこそ相応しい。
元はといえばそう思って、臨也について色々知ろうと思ったのだ。
好きな人のこと。
もっともっと深く、知ろうとした。
例えば最初は、名前から。
静雄はそこでハッとする。
単なる自惚れかもしれない、というか、むしろそちらの可能性の方が高いだろう。
静雄はちらりと、盗み見るかのようにして臨也へと視線を送る。
それをどう受け取ったのか、臨也は唇で弧を描いたままヒントを与えるかのように、こんなことを言い出した。


「俺は、初めて見たときから、静雄くんのことをずっと綺麗だと思っていたよ」

「‥‥っ」

「今だってそれは変わらない。ああでも今はちょっと違うかもね。どちらかといえば、今は君のこと、可愛いとも思うんだ」

「か、可愛いとか、そんな‥‥」

「だって、ほら」


りんごみたいに赤いんだもん。
からかうように、けれど慈しむように言う臨也は、手首を掴んでいない方の手でそっと静雄の頬に触れた。
まるで夢の様だ。
こんなにも近くで臨也を見て、話をして、しかも触れてもらえるだなんて。
静雄は伏し目がちになりながら、戦慄くようにして睫毛を震わせる。


「だからなのかもしれない」


臨也が呟く。
静雄は相変わらず視線を上げられないままであったが、刹那、静かに目を見開いた。
頬に添えられた臨也の手が、震えている。


「やり残したことがあり過ぎて、俺はこうして未練がましく、この学校に縋り付いてる」

「‥‥先輩、」

「分かるかい。その理由が、君にあるってこと」

「っ‥先輩は、‥‥狡い」


清冽とした声音が響く。
気付いたとき、静雄は臨也と視線を交錯させていた。
赤い瞳に映る自身の顔。
そのあまりの情けない表情に、静雄は内心戸惑ってしまう。
表情というのは、こんなにも心中を映し出してしまうものなのか。


「そんな風に言われたら、俺、‥っおめでとうなんてそんな、言えるわけ‥‥」

「‥静雄くんは馬鹿だなあ」


臨也が困ったように笑む。
掴まれた手首に少しだけ、力が込められた。


「おめでとうって言ってくれなきゃ、手、離せないじゃない」


感情が溢れ出すのと同じように。
静雄は、ぼろ と涙を一滴だけ零していた。
諦めるつもりだった。
全てを思い出にして、また一から歩み出すつもりでいた。
なのに。
奥底にしまい込んだ好きが、溢れ出して止まらない。
頬をそっと撫でられる。
そのあまりに優しい手付きに、温かな手に、静雄は消え入りそうな声音で一滴、再び涙で頬を濡らしながら呟いた。


「‥っ‥じゃあ、離さないで、下さい‥」


刹那。
奪うように。
無くさないように。
もう離さないとでも言うように。
静雄の体は、臨也に抱き締められていた。
その優しくも力強い腕に、静雄の体が少しだけ跳ねる。
これは紛れもなく現実なのだと、二人は確かにここにいて、温もりを分け合っているのだと、漸く理解することが出来た。


「入学式を覚えてる?」


相変わらず心地のいい声音だ。
静雄は小さく頷いた。
忘れもしない二年前の出来事。
入学式、桜が満開に咲き誇り世界中が輝きに満ちていた、そんな錯覚を得たあの日のこと。
今でも鮮明に思い出す。
静雄にとっては特別だった。


「あの日、初めて目が合った。君のことを綺麗だと思ったよ。それからはもっと知りたくて知りたくて、その気持ちが恋なんだと自覚するまでに、時間は掛からなかった」


けれどそれは、臨也にとってもまた特別であったらしい。


「好きだよ」


視線が交錯する。
そしてあのときよりも長く長く、見つめ合った。
暫くして、二人同時に吹き出すようにして笑ってしまった。
一頻り笑い合い、やがて真摯な眼差しを向けられた。
桜花が揺れる。


「だからさっき君が言おうとした言葉の続きを、聞かせて欲しい」








mercyの相田チセさんからいただきました。
素敵な先輩臨也さんと一途な静雄について語りたいことはたくさんありますが、せっかくの素敵なお話のお邪魔はしたくないので、ここでは割愛しますね。








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