声を聞いた。大好きなあのひとと同じクラスの女子の声を。
必死に訴えかける女子生徒の声はひどく悲痛で、聞いているこちらが悲しくなる。だって彼女は、静雄とよく似た想いを抱いているのだから。思わず自分と重ねてしまうのも仕方ないことだろう。

「気持ちは嬉しいよ、でもね……」

困ったような顔をして折原臨也が言った言葉は、なんとも残酷で、そして変えようもない事実でもあった。





2月 岐路






高校三年の二月ともなると、ほとんど毎日が自由登校日だ。けれど、家にいてもやることがない。だから、静雄は二月中は図書館で暇を潰そうと思って来てみたのだが、

(吃驚した……)

生徒が教師に愛を告げる。そんなまるでドラマのような展開に、思わず静雄は彼らから少し離れた本棚の間に隠れた。
少しばかりのやり取りの後、女子生徒が涙を流しながら図書室を出るのが視界にかすむ。震える背中を見て、ざわりと心が揺れる。自分と同じ境遇の、あのひとの被害者。自分と違うのは彼女が女であるということで、つまりは静雄より折原臨也と恋仲になれる確率が高いということでもある。
男同士、しかも教師と生徒。
いや、もしかしたら、静雄の方がまだ救いがあったのかもしれない。ここまで折原臨也への慕情が叶わないとわかりきっているのだ。期待なんて、最初からしていない。

「平和島君、そろそろ出てきてよ」

やはり静雄の存在に気づいていたらしい。素直に折原臨也の近くに寄れば、苦い笑みが静雄を迎えた。

「間の悪い時に来たね」
「……立ち聞きするつもりは、なかったんですよ」
「わかってるよ。バツの悪い思いをさせてごめんね」

そんなことより、と折原臨也はにっこりと笑って、静雄に一冊の本を差し出す。淡い水彩の綺麗な表紙と赤い紐の栞。思わず自分の手元に置いておきたくなるような、美しい本だ。

「それは詩集なんだ。詩は普段あまり使われない文語が含まれていたりして解釈が難しいけれど、君なら辞書を片手に読めると思うよ」

静雄はその洒落た本をそっと壊れ物を扱うかのように受け取った。そんな静雄の様子に、折原臨也はくすりと笑う。

「そんな固くならないで。詩は短いから読み疲れないし、全てのフレーズが難しいわけでもないよ。韻を踏んでいるところなんかは、思わず口に出して呟いてみたくなるくらい」

解釈が難しいところがあったらいつでも質問に来ていいからね。そう言って微笑む彼に胸が熱くなる反面、静雄は少しだけ―――折原臨也に恐怖を感じた。
まるで先ほどの女子生徒の告白などなかったような振る舞い。いや、おそらくは静雄に気をつかってその話題をあえて匂わせないだけなのだろう。そう思いたい。

けれど、女子生徒を目の前にして本当に申し訳なさそうにしていた折原臨也はどこに行ってしまったのか、静雄の目の前にいる彼の顔には先ほどまでの罪悪感に歪む表情がなかった。










ちょうどいい温度の暖房がきいた図書室は、静雄を優しく眠りに誘う。ふんわりと暖かい空気の中、瞳を開閉しながら静雄は必死に眠気と闘っていた。
いけない。せっかく、今、いいところなのに。春の訪れを詠う詩は、目を通してもちっとも頭に届かない。何度同じフレーズを見ても、眠りかけた脳は役立たずだった。
換気でもして、頭をリフレッシュしよう。静雄はそう思い立ち、近くの窓を半分くらい開ける。そして―――その身体はそのまま窓の近くで硬直した。

「先生が好きなんです。どうしても諦められないの」

聞き覚えのある声、見覚えのある光景。静雄は反射的に窓の下に座り込む。それでも、開いている隙間からは下で行われている会話が鮮明に聴こえた。

好きだ、最初の授業の時から、恋人になって欲しい。懇願する声は、昨日折原臨也に告白していた女子と同じもの。高くて、女性らしい声だ。
きっと彼女は本気で彼を好いているのだろう。彼女の声には切実さがこもっている。こんな告白を受けたら、もしかしたら、折原臨也だって―――、

「……はっ」

静雄の心に暗雲がたちこめた直後、ひどく冷たい声が静雄の耳に届いた。
まるで世界の全てを蔑んでいるかのような声色に、静雄の背筋はぞわりと冷える。

「こっちがおとなしく君の告白を聞いていれば、とんだ調子の乗りようだね。信じられないくらい馬鹿みたいだ。俺は昨日言ったよね? 何ならもう一度言ってやるよ」

やめろ、やめてくれ。その言葉を彼女に、俺に、言わないで。
必死に自分の耳を手で塞ぐけれど、その努力も虚しく、悪夢のような言葉は静雄の耳にも届いてしまう。

「俺は生徒の気持ちは受け入れられない。
君が俺の生徒になったその時点で、君と俺の間に恋愛なんて成立しないんだよ」

昨日よりも冷たい声。それだけで、よりその言葉は凶器となって、静雄の心を抉った。

「大体、どうして俺が、君なんかの為に生徒と恋愛なんて面倒な真似をしなきゃならないのかな? 利益が全くないし、俺にそんな趣味もない」

恋愛をしたいなんて、そんなことは望んでいない。ただ俺は、先生と話したいだけだ。

「君さ、少し驕りすぎだよ。君に俺が比較的に優しかったのは、君が英語ができて、よく質問にくる熱心な生徒だったからだ」

わかっている。自分があなたの特別だなんて自惚れていない。ちゃんと知っているから、これ以上言わないで。

「あ、それとも、君は俺との接点を持ちたいが為に、英語の勉強を頑張ったの? はっ、随分おめでたいね。俺の為に学ぶなんてそれこそ英語教師である俺に対する冒涜だよ。俺はね、自分の能力向上とか趣味の為に学ぶような、熱心な生徒が好きなんだ」

だから、君のことなんて、俺は嫌いだよ。

折原臨也の言葉をもうこれ以上聞きたくなくて、静雄は立ち上がって勢いよく窓を閉める。
閉める直前、悲しみに潤んだ自分の瞳が大好きなあの人の赤い瞳と合ったような気がした。










詩には愛の歌も多い。その種類は多岐にわたり、失恋や恋人に裏切られた内容のものまである。
詩人はどんな思いでこんな詩を紡いだのだろう? 彼らもまた失恋を経験し、その悲しみを詩として歌い上げたのだろうか?
それならば、詩人はなんと素晴らしい感性を持っているのだろう。静雄にはこんなぐしゃぐしゃとした気持ちを綺麗な言葉で置き換えることなんてできない。美しい文言なんて、頭の中からひとつも出てこなかった。

今は違うが、彼の為に、折原臨也と近づきたいが為に英書を読んでいた頃もあった。
けれど、きっとあのひとの為でなければ、好んで異国語の本など読み続けなかっただろう。
その動機を、きっかけをあなたが不純と責めるなら、俺はもうあなたの顔を見ることができない。いつ、あの女子生徒に言った言葉を自分に向けられるか、怖くて怖くてたまらないから。

暖かい室内にいるのに、心はひんやりと冷たい。何もせずにただ呆然と椅子に座っていると、がらりと図書室の扉が開いた。
ゆっくりと視線を扉に移せば、少し髪と服を乱した折原臨也がいる。ここまで走ってきたのだろうか? 少し息を切らす姿さえも、どうしようもなくかっこよかった。

「平和島、君?」

どうしたの? と焦った顔をして、彼は静雄の目許を拭う。湿った感覚。どうやら自分は涙を流しているらしい。
静雄はなんにもその問いには何も答えず、ただ黙って折原臨也を見つめる。彼は困ったような顔をして、静雄の頭をひどく優しく撫でた。

その感触に、決壊が切れる。

「先生、ごめんなさい」
「……え?」
「俺は馬鹿でした。あなたと会いたいが為にあなたが貸してくれる本を読んだり、あなたに褒められたいが為に英語の予習を頑張ったり」
「平和島く……」
「それでも!」

静雄の叫び声は、ふたり以外誰もいない図書室によく響いた。

「俺は、あなたの貸してくれる本が大好きでした」

きっかけは不純な動機かもしれない。けれど、それから静雄が得たものは大きいのだ、
たとえ静雄の行為を折原臨也が批判しようとも、彼に近づこうと思って読み始めた英書は、確実に静雄にとってかけがえのないものに変貌していた。
大切な大切な宝物。それを手にすることができたのは、あなたを愛した為なのだから。

失礼します、と一声かけて外に出ると、じわりと暖かい雫が頬を伝った。

(さようなら、先生)

これから、長い長い人生の中で、静雄が折原臨也以上に恋をする相手など現れないだろう。
だって静雄は、折原臨也の女子生徒への辛辣な台詞や残酷な態度を見ても尚―――まだ彼のことが好きで好きでしょうがないのだから。









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