窓の外を見ると、ちらちらと白いものが舞っている。
大晦日を迎えてからまだ一時間も経っていない時間帯。そんな早朝に降る粉雪は儚げで幻想的で、きっととても素敵なものなのだろう。

「…………」

けれど、静雄はそんな窓の外の情景を無表情で見つめるばかり。時折ため息を吐いたりなどもしている。普段なら心を奪われるかもしれない雪景色ですら、今の静雄の心を埋めることは叶わないのだ。

ちらりと手元に視線を動かせば、読み終わった一冊の英書。いつもならば、読み終えたら彼と会える。しかし、今は違う。何度読んだって、あと数日は確実に彼と会うことができない。

カレンダーが指すのは元旦。冬休みが明けるまで、あと五日もあった。






1月 焦燥






高校三年にとって、冬休みというものはとても重要な期間だ。
受験生にとっては言わずもがな最後の砦であるし、既に就職や進学が決まった者にとっては遊ぶも趣味に没頭するも自由。後者である静雄は、きっと昔だったら冬休みを満喫していたに違いない。
けれど、今の静雄は違う。冬休みなんて、彼との時間を削る忌々しい期間でしかなかった。
もう、あと少ししかないのに。彼と会える時間は、ひどく貴重だというのに。
静雄はため息を吐く。こうやって会えない時が続くと、否応もなく焦燥を感じてしまう。焦ったって、状況は一ミリも変わらないというのにもかかわらず。
ぼんやりと窓の外を見ていると、突然携帯が小刻みに揺れた。
携帯を開くと新羅からのメールが来ていた。要約すると、セルティが不在で暇だから遊びに来いという内容だ。なるほど、受験生ではない新羅もまた、セルティがいなければ暇で暇でしょうがないのだろう。
ひとりでいるより新羅といる方がこの寂しさを忘れられるかもしれない。
静雄はそう思って、部屋着の上にコートを羽織り、携帯をポケットに入れて家を出た。









耳に刺さるような痛みと吐き出される白い吐息。この冬休みはずっと出不精だったから、まさか外がこれほどまでに寒いとは思わなかった。もう昼で、雪もやんだから少し油断をしていたかもしれない。静雄はマフラーを巻いてくれば良かったな、と少しだけ後悔をする。
けれど、外に出たこと自体は良かったと思う。ひんやりと冷える空気は、静雄のごちゃごちゃに混雑していた思考をすっきりとクリアにしてくれた。冬休みが短くならないのは決定事項なのだから、今更うじうじ悩んでも仕方ない。そう思えば、穏やかな思考を少しだけ取り戻せた。
このきっかけを作ってくれた新羅にはなにか礼をしないと。静雄はきょろきょろと辺りを見渡し、視界に映ったコンビニに入った。なにかお土産を買っていこう。

それは失敗だったのだろうか、それとも幸運だったのかもしれない。静雄はコンビニに入った瞬間、ぴしりとその体を硬直させた。目の前には今までずっと思い描いていたひとりの人物。彼はいつものようなお洒落なスーツではなく、少しカジュアルな黒い私服を着ている。それがまた男である静雄が見とれてしまうほどかっこよかった。
幸いか、彼の方は静雄に気づいていない。静雄はそれをいいことに足早にコンビニを出た。
確かに、彼と会いたかったのは事実である。けれど、会ったら自分が穏やかな気持ちでいられなくなることも確かだ。
加えて、静雄は学外の彼を知らなかった。ひょっとしたら、彼は仕事と私生活をきちんと分ける質かもしれない。一介の生徒である静雄が学外で話しかけたら、迷惑に思うかもしれない。
静雄は少し沈んだ気持ちでため息を吐く。はやく新羅の家に行こう。いつまでもここに立っているわけにはいかない。いつ彼がコンビニから出てくるか知れないのだから―――、

「平和島君」

ああ、もう、言わんこっちゃない。
無視するわけにもいかず、静雄はゆっくりと声がした方を振り返る。そこには予想通り、彼、折原臨也がゆるりと微笑みながら立っていた。

「久しぶりだね。君、ここら辺に住んでいるの?」

声、微笑み、独特の魅惑的な雰囲気。どれもが久しぶりのもので、静雄はくらりと目眩を感じながら小さく頷いた。
折原臨也は「知らなかったよ」と言ってにっこりと笑う。

「なんだ、会えるとわかっていたら、次の本持ってきたのに」

前に貸した本はもう読み終わっただろう? という言葉に頷けば、折原臨也はうーんと唸る。そうして黙ったまま何かを考えていたと思ったら、急に静雄の顔を見て、「よし!」と声をあげた。

「平和島君、これから用事ある」
「え、あ、何で……?」
「よかったら、うちにこない?」

今、折原臨也は何と言ったのだ?
あまりの驚きに、静雄は何も答えることができない。それを肯定と受け取ったのか、折原臨也はにこりと笑って静雄の手を握る。

「車はあっちに停めてあるんだ。さ、行こうか」

絡まる指と、あたたかな体温。
反則だと思う。そんなことされたら、いつまでも未練がましく、彼を諦めることができなくなってしまうじゃないか。
静雄はうつむいて、折原臨也に手を引かれるままに歩き出した。

ああ、どうか、冬の寒い空気で、この火照る顔を冷まして欲しい。








スーツも私服も、果ては室内まで黒い。静雄は黒いソファに緊張しながら座る。至るところから香る折原臨也のにおいに、どうしようもなくドキドキした。

(変態かよ、俺)

そう思いながら、近くにあった黒いクッションに顔を埋める。覚えのある香水のにおいはあの人のものだ。

「……平和島君」

呼ばれて顔を上げると、折原臨也が少しひきつった笑みを顔に浮かべていた。
それがよくわからなくて小さく首を傾げると、彼はうっと唸り、頭を左右に振る。謎だ。

「はい、ココア」

気を取り直したように、折原臨也は完璧な微笑みを静雄に向けてくる。黒いカップを受け取った時に触れた指先など、きっと彼は何とも思っていないに違いない。静雄は少し熱い顔を、先ほどの折原臨也のように左右に振ってどうにかやり過ごした。

ココアをひとくち口に含む。口内を満たす甘さに頬を緩めれば、折原臨也は満足そうに笑った。

「平和島君、クッションがあったらココア飲みにくいでしょ? こっちにちょうだい」
「え……」

それはちょっと嫌だな、と静雄は思う。うっすらと彼の香りが漂うクッションは、何だか手放し難い。
折原臨也は少し困ったような顔をして笑う。

「結構さ、ソファで仮眠を取ることが多いからね、それ枕代わりにしてるんだよ」
「っ、」

好きなひとの枕を抱き締めている。そんな事実に静雄は耐えきれず、隠せないほど顔を真っ赤にしてクッションを離した。
しばらく気まずい沈黙が流れる。
彼は、気を悪くしただろうか? 静雄なら、他人に自分の枕を抱き締められたら気分が悪い。もっとも―――もし折原臨也にそんなことをされたら、別の意味で大変なのだけど。
恐る恐る折原臨也を見れば、彼は照れたような顔をしつつも穏やかに笑っている。よかった、怒っていない。静雄は安堵のため息を吐いた。

「あ、そうだそうだ」

彼は突然なにかを思い出したのか、不意に立ち上がってリビングから出ていった。その隙に、静雄は携帯を開いて新羅に詫びのメールを送ろうとする。けれど、新羅からは既にメールが着ていて、内容は急に出かける用ができてしまったとのことだった。
手早く問題ないとの返信を打つと、同時に折原臨也が一冊の本を持ってリビングの扉を開けた。はい、と手渡されたそれは、黒い布のカバーがしてあるいつもより分厚い単行本。

「そろそろ、これくらいの本も読めると思うよ。それに君は、」


英文科に行くんだろう?


その言葉から受けたのは悲しみか、喜びか。ともかく、強い衝撃だったのは確かだ。
もちろん嬉しい。だって、折原臨也の生徒のひとりであるにすぎない自分の進路を彼が知っていてくれたのだから。少なくとも、彼の中には平和島静雄という名前はある。
けれど、それは同時に残酷な言葉だった。静雄はまるで、折原臨也に死刑宣告をされた心地がした。
彼の口から静雄の「進路」や「未来」を聞くということは、決して遠くない彼との別れを告げられたに等しい。静雄が大好きな微笑みを浮かべ、なんということもなく「さようなら」と言われたような絶望だった。
カタカタと指先が微かに震える。わかっている。この恋が成就するはずないことも、いつか彼に忘れられてしまうということも。

けれど、だからといって、その事実を正面からあなたに言われて、どうして平気でいられるのか。

「……泣いているの?」

涙は流していない。なのに、折原臨也の声は確信に満ちていた。
泣かないよ。泣いたら、悲しい記憶になってしまう。折原臨也と過ごした、短い短い宝物のような時間が。

「……進路とか、未来とか、ちょっとまだ怖くて、少し戸惑っていて」
「うん」
「別に、一年やそこらで何かが変わるわけではないのに、やっぱり、高校生じゃなくなることは俺にとっては大きな変化なんです」
「うん」
「俺は、変わることが怖いです。先生は、怖く、ないんですか?」
「怖いよ」

でもね、と彼は呟きながら、静雄の頭を優しく撫でる。

「変わらなければ、得られないものもあるんだよ。そう思うと、今をもどかしく思うこともある。今を変化ないまま過ごすのは君の理想かもしれないけれど、先生にとってはある意味地獄かもしれない」
「地獄……」
「平和島君、変わらないということはね、これ以上進めないということなんだよ。停滞したまま、どこにも行けない。確かにそれは見た目は穏やかで美しいかもしれないね。でも、俺は嫌かな。俺は止まったままで終わらせる気はないから」

彼の赤い瞳は、いつにも増して真摯にこちらを射抜く。
体が動かない。それは、こんな折原臨也を初めて見たからかもしれない。
いつもの、先生である彼ではない。まるでひとりの知らない男のようで、静雄は無意識に身震いした。
それを見て、折原臨也はもう一度静雄の頭を優しく撫で、いつものような微笑みを浮かべる。さっきとは別人の穏やかな表情。少し、ほっとした。

「まあそんなこんなで、はい、この本は面白いよ」
「……どうも」
「そうそう、平和島君、お昼食べてないよね? 簡単なもの作ってあげる」

パスタ好き? と明るい声で聞かれ、静雄はのろのろと頷く。そのぼんやりした姿に折原臨也は苦笑して、静雄の隣に座って落ち着かせるように彼の肩を撫でた。
その心地よい感覚に目を細めリラックスをしていると、不意に頭の中に疑問が浮上する。そうだ、さっきからずっと聞こうと思っていたんだけれど、どうにも色々なことに緊張して口に出せないでいたのだ。

「先生、そういえば、」
「んー? 何かな」
「先生は新宿に住んでいるのに、何で池袋のコンビニにいたんですか?」

そう尋ねた後の折原臨也は、静雄が今まで見たことのないような―――ひどく焦った顔をしていた。









「で、僕に静雄を呼び出させて、コンビニ付近で待機して、偶然を装って部屋に招く作戦が、その静雄のひとことで丸潰れになったっていうことかい? ははは、情けなーい」
「……お前の英語の成績を改竄するぞ」
「今更したってしょうがないでしょ」

くすくすと愉快げに笑う新羅に、臨也は悪態を吐いてコーヒーを飲み干す。
静雄と一緒に昼食をとって、彼を家まで送った後、暇だからと臨也の家に新羅が来た。さっきまで静雄が座っていたソファに腰掛け、新羅は臨也が淹れたコーヒーを美味しそうに飲む。

「そうだよね。偶然、新宿住まいの君が池袋のコンビニに行くなんて。しかも、わざわざ車に乗って。ちょっとあり得ない話だねぇ」
「……彼は気づかなかったけどね。俺が図って彼に会いに行ったことを」
「静雄は妙なところが鋭くて、変なとこで鈍いからね」

それにしても、と言って、新羅は愉快げに笑う。

「珍しいね、君が、こんな初歩的なミスをするなんて」
「……これは急に考えたことだったからね」
「そんなに静雄に会えなくて寂しかったのかい? なら、冬休み前に君の巧みな話術で静雄との約束を取り付けてしまえばよかったのに」
「そうしようとしたさ」

例えば、地域の図書館に行くとか、ただ本の貸し借りをするために自宅に呼ぶとか。この男の口のうまさを使えば、普通ならそんなこと容易い。
そう、普段なら可能なのだ。相手が静雄だからできないというだけで。

「いやー、君がそんな誘い文句のひとつに緊張するなんてね。君が中学生の頃だって、そんなことはなかっただろう?」
「まあ、ね」
「やっぱり、本気の恋は違うものなんだよ。あー、僕もセルティーに会いたい」

そう言って、新羅は近くにあった黒いクッションを抱きしめる。それは、黒というカラーが愛しいひとの連想するものだったからだ。けれど、新羅の腕の中にあったクッションはすぐに臨也に奪われる。
新羅はきょとんとして臨也を見れば、彼は少し照れたように笑った。

「これさ、彼がさっきまでぎゅっと抱きしめてたんだ。だから、ごめん、他のにして」
「…………臨也、今の君の顔を見たら、君自身も驚くと思うよ」

そんな照れたような、幸せそうな顔を君もできたのか。
新羅は苦笑して、さっき来た静雄からの返信にまた返信を打つ。




冬休みが終わって登校するのが楽しみだね。
まあもっとも、楽しみなのは僕たちだけじゃないようだけれど。









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