◎波江さんと中坊静雄パロ


*1

かわいらしい子猫を見つけた、というのは多少誤りが含まれているか。波江は目の前の小動物のような少年を見る。

中学生だろうか。まだ未発達な身体は、同年代の少女と比べても華奢だろう。彼女は弟がこの少年と同じくらいだった頃、もっとたくましい身体つきをしていたと記憶している。彼はこれから身長が伸びても、ずっと細身なままかもしれない。

肌はおそらく白い。確信を持てないのは、彼が泥だらけであるからだ。まるで身体全身で転んでしまったように、白いシャツは泥がついていないところを探す方が困難だ。
昨日降った雨の影響もあるかもしれない。ぬかるんだ土の上に転べば、あっという間にこの少年のようなありさまになるだろう。
だから、波江が彼らに同情したのはそれだけだった。「そんなにずっと地面に伏せていたら、洋服の洗濯が大変じゃないかしら」 まるで死屍累々といった感じで倒れ伏せている多数の男を見て、ぽつりと、純然たる疑問が口から出た。

「ねえ、そう思わない?」
「え……あ」

まさか話しかけられるとは思っていなかったらしい。少年は狼狽した様子で瞳を揺らす。
髪の色と同じ焦げ茶色。
やっぱり猫みたいだわ、と本物の猫にも抱いたことのないような慈しみを感じた。

こんなことをあの雇い主が知ったら、それはもう驚くでしょうね。私だって驚きだもの。かわいいものをかわいいと連呼する女を、さっきまで馬鹿だと思っていた。けれど、今なら少しだけわかりあえる気がする。

警戒するようにこちらを見上げる子猫に、波江は優しく優しく微笑む。

「あなた、名前はなんていうの?」

頬を林檎のように紅潮させた彼は、静雄です、と小さく呟いた。






焦げ茶色の子猫との邂逅

(良いものをみつけた。)











*2

驚いた。
だって、予想したどれにも当てはまらない行動を、彼女はしたのだから。

「ホットミルクでいい?」
「あ、は、はい」

玲瓏たる美声で尋ねてくる女性に、静雄はどぎまぎしてしまう。だって、彼女――波江さんは、その綺麗な声に負けず劣らず美しい容姿の持ち主だった。

そもそも、どうして自分は彼女の仕事場であるという高級マンションにいるのだろう?

思い返せば、喧嘩を売られ、相手を撃退し、泥まみれになった状態で突っ立っていた時に、彼女が突然視界に現れたのだっけ。
静雄は思わず身構えた。こういう時、大体どんな反応をするかについて、静雄はいくつかのパターンを把握していた。 一番マシなのは逃げられることだ。女性なら結構多い行動で、静雄が少しでも視線を向ければ一目散に逃げた。
しかし、それで逃げない場合はかなり厄介だ。喧嘩に乱入されたり、その場で警察に電話をかけられたりと、静雄に不利益をもたらすような結果にしかならない。

だから、彼女に逃げる気がないと悟った時、自分が逃げるしかないな、と足を浮かせた。そのまま、走って逃げるつもりだった。しかし、

「そんなにずっと地面に伏せていたら、洋服の洗濯が大変じゃないかしら」

彼女が口にしたのは、そんな気の抜けた内容の言葉だった。

怖くないのだろうか。
ぼんやりと、そう思う。彼女は自分を恐れていないのだろうか。
そんなわけがない。静雄は自分の甘い想像を打ち消す。家族以外、みんな俺を恐れたじゃないか。それなのに、時折無理に歩み寄ろうとするやつらがいる。だったら、「お前がキレてる時は、確かにこええな」と笑ったトム先輩の方が何百倍もマシだ。

「静雄君」

はっとする。振り替えると、マグカップを持った波江がいた。

「……なんですか」
「これを飲んでから、と思ったけれど、やっぱりその前にシャワーを浴びてきた方がいいわ。あなた、顔色が悪いわよ」

無表情で話す波江は、それでも優しく静雄の髪を撫でる。静雄は反射的に身を引いた。

「ごめんなさい。嫌だったかしら」
「違います! でも、こんな泥だらけの俺の髪に触れたら、」

あなたの綺麗な手が汚れてしまう。
真剣に言ったつもりだった。けれど、波江は数回瞬きをした後、おかしそうに小さく笑った。
何か変なことを言っただろうか? 静雄は少し不安になって、上目遣いに波江を見上げた。

「ふふ、ごめんなさい。ただ、少し驚いてしまって。そんなことを言ってくれるひとは、私の周りにはいないから」

少し寂しい言葉だったが、当の波江があっけらかんに言うものだから、静雄は拍子抜けしてしまう。
何だか身体も心も軽くなって、静雄は勢いで気になってしょうがないことをさらりと聞いた。

「波江さんは、俺が怖くないんですか?」
「怖い? あなたのどこが私に恐怖を与えるの?」
「……多分、わかってると思いますが、倒れてたやつらはみんな俺が蹴散らしたんですよ」
「まあ、構図的にそう考えるのが妥当よね」

でも、と波江は呟く。

「その時のあなたを私は恐れなかった。むしろ、恐れるという発想すらわかなかったわ」

そう、波江はあろうことか、彼に愛着を持ったのだ。
ひとり佇むその姿に、悲しそうな茶色の瞳に。

にっこりと柄もなく微笑めば、静雄は頬を紅潮させ、慌てて洗面所に駆け込んで行った。
驚かせちゃったかしら。うぶなかわいらしい姿に胸中が暖かくなる。その感覚は久しぶりなもので、弟以外には向けたことがなかったもの。まあ、愛は愛でも種類は違うのだが。

どちらにしろ、波江は新たにできた小さな喜びに、満足げに瞳を閉じたのだった。






焦げ茶色の子猫との雑談

(折原臨也がいつまでも帰ってこなければいいのに)


波江さんと中坊静雄がいる場所は、当たり前ですが臨也の自宅です。









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