自分の存在理由はわかっていた。 初めて瞳を開いた時に、綺麗な顔をしたあのひとが丁寧に説明してくれたから。津軽を作った理由を、一言で簡潔に。 「君は俺が好きなひとの代わりなんだ」 だから、俺は君を愛してあげる。 そう言ってこちらに向けられた手を、津軽は躊躇うことなく掴んだ。 臨也は満足そうに笑う。好きなひとと同じ顔をした、なんでも言うことを聞く人形が目の前にいるのだ。確かにそれは至極気分がいいものだろう。 だから、臨也は気づかなかった。彼の手を取った津軽の動作は決してプログラムではなく、ちゃんと意思のある行動であったということを。 やれ、と命令されたことはあまりない。 例えば、助手である波江がいない時は彼女の代わりに臨也を手伝うとか、命じられたのはそんな雑用くらいだ。 至って静かで、言われたことを淡々とこなす。そんな津軽を見て、臨也は楽しそうに微笑む。 津軽はそんな自分の主人を見て、悟られないようにそっと首を捻った。 (オリジナルは、細かい作業が得意なのだろうか) だから、臨也はこんなにも喜んでいるのだろうか。津軽にはその判断がつかない。 そもそも、津軽に与えられたオリジナルについての情報は、自分と同じ顔と体躯をしているということと、平和島静雄という名前だけだった。臨也は津軽をオリジナルの代わりだと言うくせに、津軽の行動についていちいち事細かに指示してこない。それどころか、なんの命令もせずに、「自然のままに生活をすればいい」と笑った。純粋な顔で、とても穏やかに。 わからない。臨也が津軽に求めているのはオリジナルの代替であるはずなのに、何故、津軽はオリジナルの模倣を強制されないのだろうか。 (ありのままの自分を受け入れてくれたとか?) その考えは思い付いた瞬間に消去した。それはあまりにも身勝手であり得ない考えである。臨也はわけもわからない初対面の人間を傍に置きたいわけではないのだから。 なんでも言うことを聞く従順な人間が欲しければ、たくさんいるらしい信者を連れてくればいい。彼らになくて自分にあるもの。それは言わずもがなこの容姿だ。 津軽は洗面所の鏡で、幾度となく自分の顔を見た。無表情な白い顔。比較対象があまりないからわからないけれど、綺麗な肌と長い睫毛など、いわゆる「端正な顔立ち」の特徴を持っていることは確かだ。 自分の主人と同じ、綺麗なひと。 けれども、その彼は「津軽」ではないのだ。同じ顔と体をしているというのにもかかわらず。 代わりになれないだろうか? 津軽は無感情の瞳を臨也に向けて、思う。 自分だったら―――臨也の言うことを何でも聞くのに。彼に愛を返せるのに、と。 「津軽、今日は友人が来るんだよ。悪いけれど、奥の部屋に居ていてくれる?」 疑問口調なそれが「命令」であると津軽は知っている。だから、流れるように「はい」と返事をした。 臨也は満足そうに笑い、接客の準備にキッチンへと向かう。その間に、津軽は隣の部屋にするりと身を隠した。 命令違反と主人に嘘を吐く行動。 津軽のタイプのアンドロイドは、主人の言う通りに動くように作られている。だから、今の津軽の行動は故障としか言いようがないだろう。 主人に恋心を抱いてしまった人形なのだ、きっと自分は最初から欠陥品だったに違いない。 津軽はうっすらと自嘲し、物音を立てないようにじっと部屋のすみに座った。 この部屋は辛うじてリビングの会話が聞こえる。主人である臨也が誰と話しているかわかるということだ。 (マスターが言っていた友人というのが、俺のオリジナルである平和島静雄なのだろうか?) そうならば、彼について少しでも多くのことが知りたい。話し方、振る舞い方、臨也との関係。それらを知って、臨也が望むように動けば、もしかしたら津軽は「平和島静雄」の代わりになれるかもしれないから。 少しドキドキした気持ちで、壁にそっと耳をあてる。防音設備のない部屋だからか、隣の部屋の物音は案外よく聞こえた。 「あ、いらっしゃい」 臨也のその声を聞いて、津軽は更に壁に体を寄せる。けれども、「久しぶり」と臨也に返事をした声は、津軽とは全く違う声色をしていた。つまり、今日の客は「平和島静雄」ではないということだ。 津軽は少し落胆し、壁から体を離そうとした。 「ねえ、臨也。君が使っているアンドロイドのことだけど……」 体がぴたりと固まる。客人が尋ねた「アンドロイド」とは、確実に津軽のことだ。まさか自分の話題が出るとは思わなかったから、少し気になって津軽は再び聞き耳を立てる。 「津軽のこと?」 客人に対する臨也の声は、愉快そうに室内に響いた。 マスターは何が楽しいのだろう? 津軽は首を傾げる。 「津軽……そう、あの子のことを『静雄』とは呼んでいないんだね」 「そうだよ? おかしいかな」 「おかしいよ、かなり。だってあのアンドロイドは静雄の代わりなんでしょ?」 その言葉に、津軽にはあるはずがない心がずきんと痛む。 代わり、代替物。それが津軽に与えられた唯一の役割。 マスターも、やはり同じことを思っているのだろうか。あり得ないことだけれども、津軽は臨也が否定してくれることを強く願った。 その夢は―――あえなく叶う。 「津軽がシズちゃんの代わり? 何言ってんの、新羅。そんなわけないじゃない。津軽は津軽、シズちゃんはシズちゃんだよ?」 夢みたいだと思った。 それとも、ここは、存在しえない桃源郷だろうか? 何でも夢が叶うユートピア。まるで、幸せだけが溢れている場所にいるかのようだ。 けれども、やはり桃源郷は夢でしかなかった。間を置かずに言った臨也の言葉は―――むしろ地獄に近い。 「あんな人形ごときで、シズちゃんの代わりなんてできない」 客人が津軽を「代替物」であると言った時の衝撃は、なんて軽く甘いものだったのだろう。 目の前が真っ暗で、視界がぐらついた。 「どうせ、そのままそっくりのシズちゃんを作って手元に置くなんて無理なんだ。だから、俺は最初からあの人形をシズちゃんに似せるつもりはなかったよ」 何も行動について命令されない、規制されない。 最初から、津軽がオリジナルの代わりになるなんて不可能だったのだ。 じゃあ、何で、自分はマスターに作られたのか。生じた疑問はすぐに臨也が答えてくれた。 「津軽を傍に置いている理由はね、写真を置くみたいなものだよ。写真は静かにそこにいるだけでいい。写真よりも、津軽は立体的だからなお良いね。新羅だってさ、運び屋の等身大の人形とかが傍にあったら嬉しいし、それが動いたら幸せになるだろう?」 「僕には本物が傍にいるから必要ないよ。けど、まあ、君の気持ちはわかるかな」 人形。ああ、だから、マスターは静かで大人しい自分を傍に置いたのか。 震える足は力が抜けて、もうこれ以上立っていられない。津軽は体の力が抜けるままに床へと崩れ落ちた。 がたん、と鈍い音が響く。それに反応したのか、リビングの会話は一時途切れた。 「……何の音?」 臨也の訝しげな声が聞こえ、津軽は反射的に「すいません」と答える。動揺していても主人の声に反応してしまう。そんな優秀なアンドロイドである自分が、ひどく悲しかった。 「どうしたの? ちょっとこっちに来て」 言われるままにふらふらとリビングに向かう。そこには不思議そうに津軽を見るふたりの人間がいた。 「へぇ、本当に静雄とそっくりだねぇ」 客人の男は感心したように津軽を見る。臨也はそれを無視して、津軽に近づいてきた。 「どうしたの? なんかすごい音がしたけど。もしかして、充電切れかな? だから、奥の部屋に行けなくて、隣の部屋にいたのか」 あとで充電しなきゃね、と言うと、臨也は再び客人の方に戻ってしまう。津軽は慌てて手を伸ばしたが、玄関から聞こえた大きな音にその手は止まった。 大きな音、そうそれはまるでドアが破壊された時に生じるような破壊音に、客人は肩を竦め、臨也は苦笑した。 「……ちょっと、この家の防犯どうなってんの?」 「あはは、『平和島静雄でも突破できない防犯』を売り文句にしたら、池袋中の家庭にかなり需要があるかもね」 平和島静雄、津軽のオリジナル。そして、津軽のマスターの想い人。 リビングに入ってきた男は、確かに津軽と瓜二つだった。 けれども、津軽とは大きく違う。織り成す雰囲気も、輝かんばかりの存在感も。何もかもが、津軽とは遠い。 「臨也ァ……、毎回毎回そうだけどなぁ、今回は特に思う。殺す、ぜってー殺す!」 「あはは、今回はちょっとおいたが過ぎたかな? ごめんねぇ? シズちゃん」 「うわっ、そんなに反省の色がない謝罪、初めて見た。静雄、暴れてもいいけど、こんな高級そうなマンションで暴れたら、警備員のひとに君が捕まっちゃうよ」 「うるせぇ! お前は黙って……」 急に黙り込んだ静雄の視線は、まっすぐ津軽に向かっている。それを見た臨也と新羅は「あっ」と声を上げた。どうやら津軽がここにいたことをすっかり忘れていたらしい。 臨也は柄にもなく慌てて、なにか言い訳を言おうとする。しかし、静雄はそんな臨也をまるで無視して、ゆっくりと津軽に近づいてきた。ひとひとり分くらいまで縮んだ距離。津軽がぼんやりと静雄を見ると、彼は少し強めな力で―――津軽の頭を撫でた。 「なに、を……」 「なにがあったか知らねえけど、泣け」 「泣けって、俺はアンドロイドだから、涙は流せない」 「嘘つけ。お前がアンドロイドなのかそうじゃないかは知らないけど、そんな辛そうな顔して我慢するな」 なんで、わかるのだ。瞳を開いてからずっと傍にいる臨也も、聡明そうな客人も、津軽がいくら傷ついた顔をしていても何も気づかなかったのに。 どうして、あなたが気づくのか。マスターに愛されて、妬ましくてしょうがなかったあなたが。そんな風に自分のことを認めてくれる優しいあなたを、もう憎むことはできなくなってしまうじゃないか。 なにも言えずにただ佇立していると、焦れたのか、静雄は津軽を抱き寄せた。 まるで弟かなにかを、慰めるかのように。 「シズちゃん、それはアンドロイドだから、悲しみとかは感じないんだよ」 「てめぇは黙ってろ。どうせお前なんだろ? こいつを泣かせるのは」 「だから、アンドロイドだから涙は出ないってば」 ずきり、ずきり。 ああ、これが変わらない現実なのだ。 津軽は静雄の代わりになれず、 臨也は津軽の心を認めてくれない。 何も変わらない事実。 そう、たとえこんな扱いを受けても、津軽の臨也への恋情もまた―――変わらずそこに存在していた。 流れた涙は、あなたには見えない (せめて、抱き締めてくれるこの人を憎めたらいいのに。) 初めての津軽はかわいそうな津軽です……。 この後、 @静雄が家に連れて帰って一緒に暮らし、恋情ではないけれど静雄と家族のような愛が芽生え、兄弟みたいに仲良く暮らす。 A叶わぬ恋と知りつつ、傷つきながらもいつまでも臨也の傍にいる。→静雄と恋人になった臨也は、津軽を廃棄しないけど以前のように構うこともなく、いっそ捨ててくれと津軽が病む。 個人的には@がいいな。仲良し静雄+津軽が好きなので。 雅楽さんへ いつもリクエストありがとうございます! リクエスト内容に添えました……か? なんか勝手に新羅と静雄を出してしまいましたが。 返品と書き直しは受け付けますので、その時はご連絡お願いします! |