「あれ?」 新羅の家を訪ねれば、玄関に小さな子供靴。 こんなところにこんなものがある可能性はただひとつしかない。臨也はにこりと新羅に微笑みかける。 「シズちゃん来てるの?」 「うん。ちょっと前からね」 「ふうん」 今日は平日だ。学校帰りにでも立ち寄ったのだろうか? いくつか考えを及ばせる臨也に、新羅はため息を吐いて言った。 「ほんとに……何でだろうね」 「は?」 「……なんでもないよ。それより、今日は静雄にちょっかい出さないでね。僕とセルティの愛の巣なんだから、むやみやたらに破壊されたら困るんだ」 その普通のひとが聞いたら冗談のように思う言葉に、けれども新羅はかなり真剣な目でこちらを見る。当たり前だ。あの小さな化け物について、その力についてに限るならば、一番詳しいのは彼だ。 本当に、どうしてだろうと思う。リビングのソファに身体を預けてすやすや眠り込む少年に、暴力という言葉はひどくふさわしくない。彼はその寝顔を見るだけなら、普通の無力な子供にしか見えない。 整っている顔は、幼い少年特有のかわいらしさがある。こんなにかわいかったらどこかの変態に誘拐されちゃうんじゃないかな? と一考すると、何故だか新羅から冷たい視線を送られてきた。 俺と新羅は別に以心伝心ではない。そうだったらかなり気持ち悪い。けれど、時折、相手が馬鹿なことを考えているな、と察することができた。そして、新羅は今、こう言いたいのだろう。「誘拐犯候補筆頭はお前だろ?」と。 まあ、あえて否定はしない。 とりあえず、新羅とセルティがいる前ではおとなしくしてますよ。そういう意味を込めて、両手を挙げて降参の意を示す。それに、俺は別に少年が好きなわけじゃあない。 「まあ、座ってよ。今、セルティがコーヒーかなんか持ってくるから」 「お構い無く」 儀礼的にそう答えてから、シズちゃんの隣に座る。その時の振動に反応してか、眠りの浅かったらしいシズちゃんは小さく見じろきをしてから瞳を開いた。 「やあ、おはよう」 「ぁ、おはよ…………え?」 寝ぼけたシズちゃんは俺を見て首を傾げる。まるで存在が信じられないような、端的に言えば、「何でこいつがここにいる?」といったところだろうか。俺は微笑みながら、彼の少しくせのある髪を撫でる。気持ち良さそうに目を細めていたシズちゃんは、突然はっとして、慌てて俺から少し離れた。臨戦モードに入るの早いって。 「い、い、い、臨也! おま、何でここに」 「こらこらシズちゃん。歳上を呼び捨てはいけないよ。敬意が足りないなあ」 「良いんだよ! だって新羅が、臨也にケイイを向ける必要はないって言ってたし」 ちらりと新羅の方を見れば、彼は「本当のことだろう?」と言うように肩を竦めた。まあ、確かに、俺は見習うべき大人じゃないからね。 その時、猫のように興奮した彼の腕の中に一冊の雑誌があることに気付いた。何だろう。疑問に思ってそれに手を伸ばせば、シズちゃんはびくりと身体を震わして、再び俺から距離を取る。 「ねえ、何を持ってるの?」 「関係ないだろ」 「教えてよ」 じりじりと距離を詰めれば、シズちゃんは後退する。それでも俺は全く諦めずに彼を追った。 「な、何だよ」 「だって気になるじゃない。シズちゃんが雑誌を持ってるの初めて見たし、何でそんなに隠すか気になるしね」 にこりと笑えば、シズちゃんにもようやく伝わったらしい。 こいつはこの雑誌を確認するまで、何があっても諦めない、と。 内容が非常に気になるのも確かだが、むしろ少しだけ泣きそうな顔が俺の嗜虐心をくすぐるんだよな、というのが本音だったりする。なるほど、新羅に変態扱いされるわけだ。 「はい、ストップ」 もう少しで泣いてしまいそうな静雄を見かねて、さすがに新羅が間に入ってきた。そうして、雑誌をぎゅっと抱き締める静雄に優しく微笑み、彼の頭を慈しむように撫でる。 「その雑誌、君にあげるから、家でゆっくり読みなさい」 「……うん」 「じゃあ、またいつでも来てね。僕とセルティのふたりきりの時間は減るけれど、セルティは君が来ると機嫌が良いし、僕もなかなか悪くない。それに、静雄と僕たち三人でいると、何だか家族みたいでね。へへへ、静雄に弟か妹を作ってあげるために、夜、セルティと励まなくちゃぐはっ」 『お前はどうして、最後で前半の感動を台無しにするんだっ!』 両手にコーヒーを持ったセルティの蹴りがクリーンヒットし、新羅は地に伏せる。セルティはテーブルにコーヒーを置き、肩を竦めてから、さっき新羅がしたのと同じようにシズちゃんの頭を優しく撫でる。 『帰るなら、送って行こうか?』 「いい。すぐ近くだから」 『そうか』 「明日、また来て良い?」 ちょこんと不安そうに首を傾げる静雄に、セルティは力強く首を縦に振った。 「で、もしかして、あの雑誌について説明してくれるの?」 だからシズちゃんを帰したんでしょ? と言えば、まあね、という言葉が返ってきた。 「どうせ、君は一度決めたら、わかるまで追うでしょ? それなら僕が答えを教えて、静雄にかかる負担を減らしてあげた方がいいと思って。だって、あまりにもかわいそうだから」 かわいそう? 疑問に思ったが、あえて追及することは止めた。もっと気になることがあったからだ。 「あの雑誌さ、ひょっとしたらオランダの観光紹介だった?」 「へぇ、大した観察眼だね。まあ、あれだけ表紙にでかでかと『オランダ』って書いてあればわかるか」 「いやさ、それによって、もっとあの雑誌について聞きたくなったんだよね。何でシズちゃんがオランダ観光の雑誌なんか大切そうに持ってるのかって」 シズちゃんは別段サッカーが好きなようではないみたいだし、かといってチューリップが好きなわけがないだろう。もし好きだったら、なんか可愛いけど。多分、その可能性は低いし、チューリップが好きだからといって、オランダまで行くか? 日本でも定番の花じゃないか。 「静雄がオランダが好きだという発想はなかったのかい?」 「もしそうなら、あそこまで隠さないだろ? 俺に知られたって、苛められる要素が全くないじゃないか」 「そうだね。まあ、オランダに興味があるのは確かだよ」 覚えてない? 新羅は俺に笑いかける。 「君さ、ちょっと前に冗談のように、『大きくなったら俺のお嫁さんになってよ』って言ったでしょ」 「ああ。でも、今は関係……」 「あるんだよ。よく考えてみて」 結婚? オランダ? 俺はじっくりと考え、あるひとつの可能性を導き出す。 「オランダって、同性の結婚を認められてたっけ」 「そうみたいだね。今日、うちにきて、『臨也と結婚するにはどこに行けばいい?』って聞かれてびっくりしたよ。たまたまさ、うちにオランダの観光の雑誌があったから、それをあげたんだ」 呆気に取られた。 あんな冗談を本気に取って、ずっと考えてたいたなんて。 もちろん、俺はシズちゃんが好きだ。けれども、別に結婚という方法を取らずとも、手放すつもりはなかった。 「あれ? 喜ばないの?」 新羅の不思議そうな声に、俺は正直な気持ちを伝えた。 「今までのシズちゃんへの行為を考えたら、何でシズちゃんが俺と結婚したくなるのかさっぱりわからない」 「はは。同感」 それでもね、新羅は困ったように話す。 「静雄は君が思っているより遥かに、君のことが好きみたい。だからさ、少しくらい優しくしてやってよ」 その言葉に素直に頷いた自分がおかしくてたまらなかった。 「あー、今日はほんとうに驚き続きだね」 『全くだ。あの臨也が素直に頷くとはな』 用事も忘れて帰っていった友人に、新羅はひそかに笑った。 『でも、もっと驚きだったのは静雄だな』 いきなり新羅の家に来たと思ったら、いきなり臨也との結婚についての話を切り出した静雄。 不思議がる新羅たちに、静雄はぽつりと小さく呟いた。 「臨也は、あいつは、俺が化け物だから構わない方がいいって言ったら、『知ってるよ』って言ったんだ。『君が化け物なのは知っている。だから面白いんじゃないか』って」 それのどこに心が動かされたのかわからない。だから、真意を尋ねるように静雄の瞳を見れば、相手もこちらを見返してきた。純粋な、綺麗な目だ。 「俺が化け物じゃなくなったら嫌いになるのか? って聞いたら、『なれたらいいのにねぇ』って、複雑な顔してた。嘘、ついてなかった」 結局のところ、臨也の静雄に対する歪んだ恋は、ある意味でまっすぐなのだ。だから余計にタチが悪い。純粋な少年を陥落させてしまうほどに、その愛は恐ろしく強い。 「ほんとうに、静雄はかわいそう」 全く、厄介な大人に愛されたものだ。 執着されたら最後 (まだ手は出してないじゃないか) (それもいつまで続くことだか) しつさんへ! 遅くなってすみません。こんな誕生日プレゼントですが、どうぞ受け取ってください。では。 |