*来神時代



「つまるところ、俺は探究心が豊かなんだよ」
「あ?」

まだ息が荒いまま、臨也は屋上の近くにある自販機にコインを投入する。その様子は、怪我を痛がる様子や疲労感よりも、単純に「暑い」という一語で表すことができた。
暑い。だから、普段は満身創痍でもいがみあっているふたりでも、さすがに今は休戦中だった。

だって、走るだけで汗が吹き出る暑さ。不愉快な、汗でワイシャツが濡れる感覚。今すぐシャワーを浴びたいと思っている中で、どうして汗をかく行為を再びしなければならないのか。どちらにも利益がないどころか、いつもより害がある。

というわけで、暑さにやられたふたりは、一番人気のない自販機の前で一休みをしていた。何故ここかというと、まず自販機があり、屋上に繋がる扉から吹き抜ける風が涼しく、まるでひとがいないからだ。
犬猿の仲のふたりが仲直りをしたなんて不愉快な噂、流れるだけでもヘドが出る。互いにそう思っていたので、暗黙のうちにここに辿り着いた。

屋上から流れてくる風が心地よい。首筋にひとつ流れる汗はまだ不快だが、先程よりかは幾分かマシになった気がする。静雄は首にへばりついた金髪を邪険に払いながら、何かを語り出した臨也の方に目を向ける。

「俺はさ、知りたいんだよ。愚かで弱い人間のことを、ひとつ残さずにね。だからさ、こうやって調査してみる」

がこん、と紙パックのジュースが落ちる音がして、臨也はそれを拾う。彼が手にしていたのはピンク色のパッケージのいちご牛乳だった。

「……似合わねぇ」
「ソレ、俺的には誉め言葉だよ? これさ、好きなやつは好きだよね。特に女子とか。男女の間に味覚の差はあまりないはずなのに、何で男はあまり飲まないのか。やっぱりパッケージとかイメージが問題なのかな? 気にならない?」

長々と喋った後、喉の渇きを潤すように、臨也はストローをさしていちご牛乳を飲む。だが、ひとくち口にしただけで、彼の眉間にはうっすらとしわが寄せられた。

「なにこれ、甘っ。まずい。恐ろしい」
「恐ろしい?」
「やばいよ、どんだけ砂糖入ってんのさ。半分は糖分でできてんじゃないの? コーヒーをブラックで飲む俺には甘すぎる。やだやだ、まずい。シズちゃんにあげる」
「は?」

ぽいっと投げ出されたいちご牛乳を慌てて受け取ったものの、どう処分すればいいかわからない。喉が渇いているのだから飲めばいいのだが、臨也があれだけ嫌がるものということは、かなりの破壊力があるのかもしれない。生まれてから今まで、一度もいちご牛乳を飲んだことはなかったけれど、こんなところに恐るべき伏兵がいたのか。ぶっちゃけ、臨也にああまで言わせるものに勝てる気がしない。
静雄はずいっといちご牛乳を臨也の方に近づける。

「返す」
「俺はもう飲まないよ、そんなの」
「けど、俺がもらう義理はねぇ」
「ほんっと、シズちゃんはクソ真面目だよねぇ。いいじゃん、引き取ってよ。いちご牛乳と君、似た者同士じゃん」
「は?」
「俺にここまで苦手と感じさせた同士、仲良くやりなよ」

そう言うなり、臨也はまた自販機にコインを投入した。おそらく、静雄が「いらない」とまた言ったら、これは捨てられる運命にあるのだろう。そう思うと、いちご牛乳に少し同情した。
甘い匂いがするし、甘いものが好きな俺なら大丈夫かもしれない。
静雄はそう決心し、毒杯を仰ぐような気持ちでいちご牛乳をすすった。
口内に広がる甘いにおいと味。静雄はぱちくりと瞳を開閉する。確かに甘い。けれど、それほどじゃない気がする。苦もなく飲み続けられるし、むしろかなり美味しい。今なら、臨也にお礼を言っても良いところだ。

「シズちゃん、気に入ったの?」

黙々と飲み続ける静雄を見て、臨也は少し唖然とした。
喧嘩人形といちご牛乳。その言葉を聞いただけならひどくシュールだ。
その筈なのだけど、嬉しそうにいちご牛乳をすする静雄は、不自然とか気持ち悪いとかそういった気持ちを感じさせない。
よくわからないが、かわいいだなんて思ってしまった自分を臨也は足蹴にしてしまいたかった。

しかし、本当に幸せそうに飲むものだ。さっき臨也が飲んだものと別物とすら思える。
もしかして、シズちゃんが飲んでいるいちご牛乳は別物なのか?
いや、まさか。そんなことがあるわけがないか。
他人が口にしているものは美味しそうに見えると言うけど、それにしたって喉がごくりと鳴る音が止められない。

ふんわりと表情を和らげる彼の舌は、いちご牛乳をどのように感じているのだろう?
気になる、と臨也は切実に思った。やっぱ俺は、探究心が旺盛なんだ。自分が知りたいことを知るためなら、なんだってする。

だから臨也は迷わずに、一番簡単なそれを確かめる方法を実行した。

「なっ」

ワイシャツの襟を思いきり引き寄せられて驚いてストローを外した静雄の口は、代わりに臨也のそれでふさがれる。

「ふっ、ぁ」
「……ん」

静雄の舌を、歯茎を、口内全てを味わうように臨也の舌はうごめく。しつこくなめられる感触に、静雄は抵抗どころか立つことすら不可能になりつつあった。それをめざとく見つけた臨也は、するりと静雄の細い腰に手を回し、優しく支えてやる。それにどうしようもなくときめいた自分に静雄はひどく羞恥を感じた。

ないないないない。それはない。相手が男であることに目を瞑ったって、それだけはない。だって、こいつは世界一最低な男で、俺が毎日喧嘩してるのもこいつのせいで、けどなんだかキスは気持ちよくて、色々なことの境目があやふやになって――、

唇が離れた時、崩れ落ちるようにしゃがみこんだ静雄を見て、臨也は嫌な笑いを浮かべた。

「腰抜けるほど、気持ち良かった?」
「っ、だま、れ」
「大丈夫? 息が乱れているけど」

キッと睨み付けるが、臨也は至極余裕な表情。その顔のまま、やれやれと肩を竦め、自分の唇をぺろりとなめた。

「やっぱ、嫌いだな」

ずきん、と痛んだ胸を他人のことのように頭の奥に追いやった。
それは、いちご牛乳のことか、もしくは――――、

でもさ、と臨也は少し悔しそうな声を出した。

「甘ったるくて性に合わないんだけど―――その甘さがゆえに癖になる」

熱っぽい視線と甘い言葉を投げ掛けてくるのは、いちご牛乳に対してか、それとも―――静雄の唇に対してか。

その疑問を半ば無意識のように口に出せば、臨也はひどく優しい、困ったような顔をする。そして、答えをあげると言わんばかりに再びくちづけをしてきた。

未だ、微かにいちご牛乳の味が残る口内。
そんな時にキスされても、答えはわかんねえよ。そう文句を言おうとしたが、やめた。

どっちだっていいのだ。
だって、いちご牛乳と静雄は似た者同士と言った。おんなじだと、臨也は言ったから。
つまり、小さく灯がともった静雄のこの感情は、決してひとりよがりのものじゃないということだけは確かなのだ。



+++



解答を出すのを放棄してキスに夢中になる静雄に、臨也は舌打ちをしたい気持ちになる。
は? ヒントあげたんだから、もっと懸命に考えてよ。俺のことを、もっと。

俺はいちご牛乳が嫌いだと言った。それはもう、憎むかのように。けれど、いちご牛乳の甘さを持った君の口内は嫌いじゃないと言った。それじゃあ、答えはもう明らかじゃないか。






いちご牛乳は大嫌い


(察してよ。言えるわけがない、こんな恥ずかしいこと)




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企画、『あまい静雄は好きですか。』さんへ
素敵な企画に参加させていただき、ありがとうございました!






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