四木さんが初対面のひと(特に女性)に敬語を使ったら紳士みたいでかっこいいなというわたしの好みで、敬語口調です。







悪態をつきながら、池袋の街を歩く。
いつもの喧嘩、そしていつものように臨也を取り逃がす。それにひどく苛々した。
毎日毎日繰り返される光景。これじゃあまるで、いつまでもあの男の呪縛から自分は逃れられないみたいで、本当に嫌になる。

デパートの透明な扉に、うっすらと自分の満身創痍な姿にが映った。ところどころ服が裂けている。身体についた傷は治るが、切れてしまった服はなおんねえんだよ、あのノミ蟲が。左頬も殴っておけばよかった。

「平和島静雄?」

そんなブルーな気持ちの時に、なんで俺に話しかけてくんだよこの野郎。空気を読め。今なら瞳を合わせただけで、相手に苛立ちを感じるかもしれないというのに。
爆発してしまいそうなくらいに苛立ちが募るが、今はすぐに家に帰りたいほど静雄気疲れしていた。
どうにか自分を押さえ込んで振り返れば、そこにいたのは一応既知の顔。確か四木という名であった男に、静雄は少しだけ警戒する。彼からは臨也と同種の闇の気配がして、正直言ってあまり関わりたくない。

とは言っても、相手はとりあえず知り合いだ。茜の関係者であるから無下にもできない。加えて、四木は静雄よりも歳上なので、あまり悪い態度を取るべきではないだろう。
激しい苛立ちを抑え、どうにか無表情を保つ。それでも、おそらくひどい顔をしているのだろうけれど、そこまではどうしようもない。美しい顔の女を見たいのなら、どこかのキャバクラにでも行けばいいのだ。

四木は機嫌の悪い静雄の顔を見て、薄く笑う。その笑顔はとても余裕綽々としたものだが、臨也の腹立たしいそれとは違う。どちらかというと、自分が尊敬をしているトムのものに近かった。

「やけに虫の居どころが悪そうな顔だ。あの情報屋絡みかな」
「……その名前は、あまり出さないでくれませんか」
「何故?」
「ここら一体の街灯のデザインが、俺、結構気に入ってるんです。だから怒りのままに抜きたくないかな、と」
「なるほど、それは悪いことをしました」

静雄の言葉に四木はくつくつ笑う。そのまま近づいてきて、訝しげな静雄に構わず、彼は自分の上着を脱いだ。
おそらくブランド物。センスが良い、上品な上着だ。
だから、その高級な代物を泥だらけの静雄に着せた時、彼女は柄にもなく慌てた。

「四木さん!」
「男臭くて悪いが、少し我慢して下さい」
「そうじゃなくて、俺は今、泥だらけだし、せっかくの上着が……」

脱ごうとする静雄の手を遮り、四木は低い声で囁いた。

「脱ぐなよ?」

その大人の色香にくらりとする。男臭いなんてまるきり嘘で、彼の上着からは趣味のいい香水の香りがした。なんだか抱き締められているような心地がして、静雄はどうしようもなく狼狽える。
顔に熱が集まる。よくわからないけど、ひどく恥ずかしい。ほのかに紅潮した静雄の顔を見て、四木は彼女の頭を優しく撫でた。

「貴女も女なんです。だから、そんな格好で道を歩くのはやめなさい」
「そんな格好?」

疑問に思って自分の状態を確認するが、そこにはいつもと何ら変わりのない姿があるだけだ。喧嘩をした後だとよくわかる汚れと、刃物で裂かれたシャツとスラックス。その隙間から見える肌はまるで無傷だった。
こんな身体、化物みたいな自分の、一体どこが女だというのか。静雄は乾いた笑みを顔に浮かべて言う。

「俺は自分が女であるとは思っていません。女はもっと、綺麗でか弱いものだから」
「……そうですか」

静雄の言葉に、四木はなにかを思案するように黙り込んだ。そして静雄の目を見てきたと思ったら、少し強引に手を取られた。

「し、四木さん?」
「上着の礼だと思って、少し付き合ってください。もしよろしければ、ですが……」

そう言って微笑む四木の顔は、とても大人で色っぽくて―――、

「よ、よろしいです」

静雄は熱い顔を持て余しながら、ただそう言うことしかできなかった。









ついてきなさい、という言葉に従って着いた場所は高級そうなブディック。
四木が服を買うのだろうか? そしてその荷物持ちを静雄にやらせるのが上着の礼なのか。

(……んなわけないよな)

確かに、目の前にあるブディックは四木の着ている服と同等くらいなものが売ってそうだ。しかし、外から見たってその取り扱いは明らかに女物。当たり前だが、四木は男である。
じゃあ、恋人になにかを贈るのだろうか? いまいちしっくりこない考えに首を傾げていると、四木がその店の中に入っていってしまった。だから、静雄も慌てて彼に続く。

店内は明るく、上品だ。慣れない戸惑っていると、店員が近くに寄ってきた。

「いらっしゃいませ。今日はどのようなご用向きで?」
「彼女にいくつか服を。路地裏で暴漢に襲われかけて、どうにも都合が悪い状態なんですよ」
「まあ! ……かわいそうに」

髪をアップにした綺麗な女店員が、静雄の肩に優しげに触れる。
静雄は何も口にせず、ただただ固まっていた。それを店員は怖がっていると良いように解釈したようだが、それはまるっきり違う。

自分に着せる服。
暴漢に襲われかけた。

とりあえず、後者はよしとしよう。こんな敷居が高い店に、喧嘩をしてぼろぼろな女というのは似つかわない。店員に嫌な顔をされるに決まっている。だから、これは方便だ。

問題は前者。この流れを考えるに、どうしてもあるひとつの解答が導き出される。
静雄は慌てて四木を見た。

「四木さん!」
「ああ、金額のことは気にしないで下さい。貴女に出させるほど野暮じゃない」
「そうじゃなくて!」

お金のことよりも、こんな女らしい服を着るということの方が問題なのだ。そんな服、絶対に自分には似合わないし、そんな自分を見るのも嫌だ。だから、と四木に言おうとしたが、それはあえなく店員の言葉に止められる。

「お連れ様がそう申していらっしゃるのですから、さあこちらへ」
「更衣室はあっちですよ」

にこりと微笑む男と女。
ああ、まるで四面楚歌。
静雄はその連携に負けて、ずるずると更衣室の方に歩いて行った。









赤、青、白、黒。
色々な形のワンピースを着せられ、その度に上に着るカーディガンやジャケットを渡される。一度全てを着るとすぐに次のものを渡され、次のものを着て更衣室のカーテンを開くと、さっき脱いだはずの服がなぜだかお買い上げされている。
静雄はくらりと目眩がした。これでもう、着替えるのは六回目だ。

「あの、四木さん……」
「どうしました? もしかして、少し、疲れましたか?」
「あ、えっと」
「ああ、申し訳ありません。お客様がどんなお洋服を召されても素敵なので、つい夢中になってしまいましたわ」

素敵? 自分が?
静雄は今の自分の状態を、備え付けの鏡でそっと見る。薄紅色のシフォンドレスと、鈎針レースの黒のカーディガン。似合ってるだろうか? それが自分ではわからなくて、ちらりと四木の方に目線を向ける。
四木はなにか眩しいものを見るかのように目を細めていた。

「すいません、これは着たままでいただきます」
「ありがとうございます」
「あと、靴をいくつか……いや、彼女も疲れているようですから、とりあえず今の服装に合うようなものをひとつ」
「かしこまりました」

店員が迷いなく持ってきた紅いハイヒールを履くと、四木は満足そうに頷いた。
それになんとなく安堵したのも束の間、代金を支払った彼はにこりと笑い、信じられないことを言った。

「そういえば、この近くにメイクサロンかなにかは?」

その言葉に驚いていると、店員はまた綺麗に笑う。
その笑みが悪魔のように見えたなんて、静雄は信じたくなかった。

「簡単でよろしければ、わたしが致しましょうか?」









「怒っていますか」
「……怒る要素はないですよ」
「なのに、怒っていると」

怒っているわけではない。けれど、なにがなんだかよくわからなかった。
臨也と喧嘩をして、四木と突然会って、いきなりこんなことになって。
それでもこんな格好をしたのは、少しだけ、嬉しかった。
女のような服を着たことは制服以外覚えはない。女のように扱われた覚えもほとんどない。そんな自分がこんな女のようなことをしている。それが純粋に嬉しかった。

静雄は薄く微笑む。疲れたけれど、楽しかったのも確かだ。

「やっと笑ってくれましたね」
「さっきまで混乱してたんですよ。本当に今日はありがとうございました。こんな、買ってもらったりとかすごく悪いんですし……」
「お金は受け取りませんよ。私を立ててもらうとありがたい」
「でも」
「……では、ひとつお願いしていいですか?」

貴女にしかできないことなんです。そう言われて、静雄はぱっと顔を明るくする。全部じゃないけど、これで借りを返すことができる。その為なら、少し大変なことでも引きうけよう。

確かにそう思った。けれど、まさか、こんなはめになるとは到底思わなかったのだ。

目の前にいる柄の悪そうな男、男、男。柄が悪そうに見えない男たちは、それでも一様になにか言い知れぬ威圧感を持っていた。

「し、四木さん、これは」

隣にいる四木は、「ん?」と言って笑うばかり。
突然車に乗せられ、ついた場所はおそらく粟楠会の本部らしきところ。
なんで自分がこんなところにいるのだろう? 
まさか、自分はなにかしたのだろうか?

ただならぬ沈黙と威圧感にいたたまれない静雄は、とてとてとかわいらしい様子で走ってくる少女を見て、ふんわりと表情を綻ばせた。

「茜」
「静雄お姉ちゃん!」

ぎゅっと抱きついてくる茜の頭を静雄は優しく撫でる。
すると、沈黙が破られ、急に周囲が騒がしくなった。

「茜お嬢さんがあんなに懐いてる」
「なら、やっぱりそうなのか……」
「四木さんが愛人のひとりやふたりを作らなかったのも、こういうわけだったのか」
「しかし、相手があの平和島静雄とは……」
「いや、しかし、自分の身を守れる女性こそ、四木さんのような立場の方にはちょうどいいんじゃないか?」
「それに……前から思っていたけど、平和島静雄ってかなり美人だし」
「おい、聞こえたら四木さんに殺されるぞ!」

「ほらほら、静かに静かに。彼女が困ってるじゃないか」


室内を再び静かにした男を見ると、茜が嬉しそうに「赤林さん!」と声をかけた。
赤林は茜にひらひらと手を振った後、所在なさげな静雄に笑顔を向ける。

「いやあ、四木さんにもこんな素敵な恋人がいたんだね」
「え? 静雄お姉ちゃん、四木さんの恋人なの?」

は? と何かを言う前に、静雄の口は四木の手のひらで覆われた。
そして耳元で囁かれる声。「貴女にしか、できないことなんですよ」
四木と目が合う。キッと睨むと優しく微笑まれる。ああ、もう。そんな反応をされたら、怒るにも怒れない。
だからもう―――静雄は四木の真っ赤な嘘を否定せずにただにっこりと彼女らしく笑った。

「ええ、まあ」






恋人になったのはたった今ですが
(けれど、否定をしないのは満更じゃない証拠)




自分を女だと思っていない静雄を女だと自覚させ、自分の恋人ということにしてその辺の不良たちに喧嘩を売らせないようにする。
そういう話が書きたかったのですが、いつのまにかに路線がずれたような気が……あれ?

素敵なリクエストをありがとうございました。いや、本当に書くのが遅くてごめんなさい







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