裏道 | ナノ


水鏡

 

何処か遠くで雷が鳴っている。号頃と猫が喉を鳴らすような音で、空に剣呑な空気を作りだしている。雨が降りそうな重く垂れ込めた雲の下、一人の青年は鏡の中からどんよりとした空を眺めていた。


「……今日も、水に沈むのですか」


青年は"鏡の中"に居た。鏡の前には誰も居ない、そもそも天井や壁すらまともに残っていないような廃墟の床に、ぽつりと捨て置かている少しひび割れた鏡の中で意思を持ち、そこに存在していた。いつしか雨が降り出して、青年の映る鏡は雨水に沈む。
ぽたりぽたりと空から落ちていく雫は、青年の姿をぼかして歪ませていった。まるで水面に映る人影の如く。


「(…あの方は、睦を棄て措いたのでしょうね)」


独り。青年はただそこで来る筈のない人影を待っていた。捨て置かれたと分かっていても、いつか拾いに、手元に戻してくれる事を微かに望みながら。時折死んでしまいたいと思って傷などつかない自身の体を傷めようと足掻きながら、人として生きるには長い、長すぎる時を廃墟でただ一人待っていた。


「(……睦は)」


青年は今日もまた傷の無い掌を見つめながら、何時からか扱えるようになった水を凝固させて刃を作る。何も考えずに掌へと氷の刃を突き刺そうと手を振り上げた時、青年の世界は大きく揺れた。
その揺れは捨て置かれた日に感じたものと似ていて。青年は誰かが、自分の映る鏡を拾い上げたのだと確信を持つ。氷の刃など放り捨てて、鏡の外へと目を向けた。


「……え、…」


そこには見た事のない、鮮やかな赤と黄。風化によって全てが頽れ、草木は枯れ、空さえも常に雲で埋め尽くされているような、そんな灰色の世界の中で初めて見る色だ。どうやら青年の鏡を抱えているのは黄の大男の方で、その男はそれなりに大きな鏡を軽々と壁際に運んで立て掛けるのだった。
揺れる世界でバランスを崩さぬように何とか踏ん張る青年を見て、真っ赤な傘を左手で持ち、余る右手で朽ちかけのソファーのクッションを拾った赤の男は大男に声をかける。


「あ、ダメだよ雷君!ほら、もっと丁寧に、そこにこれ敷いて!」

「んん?しかし在れは鏡であろう?」

「もうヒビ入ってるでしょ!割れちゃうかもしれないからもっと丁寧に、はい持ち上げて〜!」

「…由は簡単に云うてくれるな、フリーダム…っよ!」


一度下ろされたことで安堵していた青年は、再び持ち上げられた事によってひっくり返った。そして今度は少し硬い綿のようなものの上に優しく鏡が置かれる。
ようやく落ち着いた世界の中で、青年の頭と心は様々な感情と思考で乱れに乱れていた。赤と黄の男は何者か、何故睦が見えているのか、そもそも何故ここに居るのか。飛び交う疑問と共に目を丸くさせていると赤の男が鏡の前にしゃがみ込んで手を振った。

鏡の中から見える景色は一瞬で赤に支配される。


「えーと、見えるかな……ハロー、こんにちはー、聞こえる?」

「………見得ていますし、聞得ますよ」


明るく人懐こい笑顔で話しかける男に、青年は警戒心を隠す事なく言葉少なに返事を返す。返答を貰って満足したのか、男は立ち上がると黄の大男の元へと走り寄り、また小声で話をし始める。一体何の為に来たのか、何のつもりで自身に話しかけるのか。青年は得体の知れない存在にただ関わって欲しくないと思っていた。
少しして話が終わったらしい黄の大男が鏡を三度持ち上げる。身構えていた青年がひっくり返る事は無かったが、今度こそは青年の鏡を何処ぞへ運ぼうとしているらしく、あっという間に鏡の半分を風呂敷に包んでしまった。


「っ、な、何を」

「少し眩しくなるぞ」

「は」


青年の鏡はいつの間にやら風呂敷ごと黄の大男に抱えられていて、後ろの方で「レッツゴー!」と元気そうな声が聞こえると同時に鏡の外は雲の上になっていた。一体何が起きたのか理解する間もなく雲の上を悠々と歩く黄。赤の姿は見えず、後ろから聞こえる声から察するに大男の背中にくっ付いているらしい。
青年はいつ振りかの光に目眩を覚えながら、ただその様子を眺めているだけだった。


「でもどうしようねー」

「何?」


目眩のせいで静かな青年を他所に、鏡を持ち去る男二人は話し始める。


「いやあ、だって鏡を持ってくる予定は無かったんだよね!」


目が回りそうであまり余裕のない中、青年は耳をすませていた。何故この男たちが自分を鏡ごと持ち歩いているのか、それを知る為に。








ちょっと話の辻褄が合わなくなったのでボツ。

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