「オイ、テメェついてくるな」
「ヘッ、自分の家に帰ってんだよ。悪いか」
 夜道にはシーザーと醜い男の二人。
 男はシーザーにまとわりつくように歩き、シーザーはそれを気にしないようにしていたが、あまりにもねちっこく声をかけてくるのでシーザーははねのけようとした。
「それにしても兄さん、"あいつ"を迎えに行くなんて、よっぽど好きなんだな」
「…止めないのか?迎えに行くとはお前から取り上げるっていう意味だぜ」
「あぁ、止めはしねェよォ〜無駄だもんなァ…あいつは俺なしじゃ生きていけないと思ってるからな」
「………どういう意味だ?テメェ…処女でも奪ったのか?」
「ンなコトするわけねェ〜よ!あいつは大事な商品だ!それに俺は少女趣味じゃあないしな」
 先程からこの男が言うには"なまえを連れ出しても無駄"ということだ。
 彼女は両親に捨てられ人間不信になっているところをこの男に拾われ育てられたのだと言う。育て方に関しては誉められたものではないが、暖かい食事と家を与えたのは事実だ。なまえはそれを人生で初めて与えられた愛だと捉えており、生きていく為の労働もあの"雨宿り"しかしらない。男に恩を感じ、男がいなければ生きていく術も知らない。だから連れ出しても無駄、必ず男のもとに戻ってくるのだという。
「そんなバカな話があってたまるか!それはテメェが良いように言ってるだけだ!客観的に見てみろ!十分な衣食もなく育ての親に身売りさせられてるんだぞ!?それだけが事実だ!なまえだって逃げ出したいと思っているはずだッ!」
 シーザーは思わず声をあらげた。
 彼も親に捨てられた。育ての親であるはずの人間に騙された。シーザーはそれに気付き逃げ出した。身元を引き受けてくれるという別の親族のことだって信じられなかった。
「兄さん、人間てぇのは環境に順応しやすいもんだ。生きていくための本能かどうかは分からんがね…それはつまり現状に満足してしまうということだ…そうでもしないと感情が壊れちまう」
「言ってろ!現状でいることこそがなまえにとっての害悪だッ!」
「人生で一番辛いことは現状を打破することだ。そんな勇気も力もないアイツはあの身分から抜け出そうと考えたこともないだろうな」

 話しているうちに、彼女のいる通りに到着した。シーザーが先に路地を覗き後ろから男がその様子を伺う。
「なんだァ…?足跡?」
 男が酒場に行っている間は客はいないはずだというのに、路地に積もった雪上の足跡はなまえがいる方向へ向いている。
 しかも、こんなに寒い日だというのにこの足跡の主は裸足らしい。明らかにブーツのそれではなかった。
「まさか…!」
 先程まではずっとシーザーの持つネックレスばかりを見ていたというのに、何かに気づいた途端に男はシーザーの脇の下を通り抜けて路地の奥へ進んでいった。
「お、オイ!何かあったのか!?」
 シーザーも男の後を追った。
 なまえのいる宿はそれほど遠くない。間もなく男の荒い声が耳に飛び込んできた。開け放たれた扉の向こうには吐き気のするような光景があった。
 まるで野性動物のように腰を動かすみすぼらしい男、「金を払えよ!こいつは商品なんだぞッ!」とそれを引き剥がそうとする男、そして、目をきつく瞑って歯を食い縛り涙を流すなまえ。彼女はなにも身につけていない。
「キッ、貴様ァーーーッ!何してンだ!」
 シーザーの冷静は一瞬で消え去った。なまえを抱き止める猿の両腕をあっという間に掴み折る。男はギャアと呻き床に伏した。
 シーザーはすぐになまえを腕の中に避難させた。小さく震えている。
「シーザー…」
「おぉ、兄さんでかした!オイッ!コラッ!テメエタダで済むと思うなよ!」
 男は床に伏した者の脇腹を思いきり蹴った。たまらず仰向けに転がったその顔をみてシーザーは驚いた。
 この宿に初めて訪れた日に銅貨を巻き上げたあの乞食だった。焦点のあっていない眼球は宙を見、ヘラヘラと笑っている。
「チッ、コイツ…ヤク中だな…」
 男は呆れたように言う。身売りよりも、それを斡旋する者よりもずっとずっと底辺の人種だ 。
「おい、お前こんなとこで何してくれてンだァーッ!?息子がいるって言ってたよなァ?どーしたんだッ!大事な大事な息子はよォ!」
「息子ォ…?」
 初めて乞食は言葉を発した。壁にもたれ掛かりながらヨタヨタと立ち上がる。折れた腕の痛みはクスリのせいか感じていないらしい。
「知るかァーーー!あんな穀潰し!チクショォ、なんでこの俺がこんなに苦労せにゃイカンのだ…」
「テッ、テメェ…!」
 シーザーの感情がメラメラと燃え上がった。
 やはり父親という存在は信じられない、信用してはいけない最悪の存在だと確信した。
 怒りに身を任せ、なまえを抱えたまま電流のようなものを纏った拳を振り上げる。
「その男を殺せばお前は犯罪者になるぞ」
 聞きなれない声が入り口からシーザーを制止した。声の主はきれいに仕立てられたシルクハットとマントで身を包んでいた。
「あぁ、あんたは…」
「…誰だコイツ」
「お、オイ、言葉に気を付けろよ兄さんッ!お得意さんさ!」
 男は両手をこねて突然その身なりのいい男に媚始めた。わざとらしい笑顔が気持ち悪い。
「す、スイマセンねぇ…今ちょっともめていやして」
「いや、いい。ところで、だ」
 男は忍んでこの場にやって来たようで、マントもシルクハットも闇に紛れそうに黒かった。身なりのよさからして従者の数人は連れていてもいいのにそれすら従えていなかった。
 ごそごそとスーツの内ポケット探り結構な厚みの小包を取りだし床へ投げ落とした。
「こ、これは…?」
「金だ、取っておけ」
 男がおそるおそる封筒を開けて見ると黄金や宝石が輝いていた 。
「旦那様ァ…"コイツ"へのプレゼントですかイ?ちょっと高価すぎやしませんかね」
「それもあるが…この娘を"買い"に来たんだ」
「なッ…!?」
 シーザーは声を出せなかった。こいつ、今何て言った?買う、だと?
「この娘をこんな小屋においておくのは勿体無い。私が彼女に教育を施し後々には妻に迎え入れたいと思っている」
 偉そうにふんぞり返りながら整えられた髭をなぞるその男の目はシーザー以外の男と同じ光り方をしていた。
「フザケるんじゃあねぇーッ!妻だと!?妻に迎え入れたい女を買うだとか何だとか物扱いする奴に誰がついていくかッ!」
 シーザーがボロボロの男を投げ捨て、庇うように両手でなまえを抱き締めた。
 確かになまえほどの女性をこんなところにおいておくには勿体無い。着飾れば誰もが振り向く美しさに磨きがかかるだろう。教育を施せば彼女の元々の謙虚な性格から内面の美しさもより一層強調されるだろう。その点においてシーザーも同感であった。
 しかしあまりにも身勝手なその男の振る舞いと態度が許せなかった。
「なら、君が彼女をもらい受けるのか?」
「ああ、そのためになまえを"迎え"に来たんだッ!」
「もらい受けたところでお前に何ができるッ!?」
 落ち着いた口調の男の突然の大声にシーザーは身震いした。その眼光は身なりの良さからは到底想像のつかない、正に獣であった。
「見たところいい身なりではないしそれに…君は彼女を養うだけの財力があるのか?」
「ッ………」
 なにも言えなかった。彼女に何かしてやりたいという気持ちはあるが、ただのゴロツキであるシーザーにはそれを実現するための知識も金も何もなかった。
 なまえは不安そうにシーザーの顔を見上げている。
「シーザーがいい…」
「え?」
 絞り出されたか細い声はシーザーにしか届かなかった。
「私、馬鹿だから言葉もうまくしゃべれない。こうやることでしかいきるすべを知らない。でも、あなたがいい人かどうかは分かるの、あなたの目が好き…」
「なまえ………」
「シー、ザー…でも、私は、お父さんがいないと、生きていけない。恩を感じているの」
「何だって…?」
「このままがいい、どこへもいきたくない、シーザーがいい…」
 そう言ってなまえはポロポロと泣き出した。
 彼女はあまりにも人並み以下の生活を続けすぎた。だけどその分純粋であった。彼女は変化を恐れていた。
「君は、シーザーというのかね。しかし残念だ、何としてでも連れていく。私はわがままでね」
 男がパチンと指をならすと軍人のような厳つい男達が現れた。
「オラァーーーさっきから無視してるんじゃあないぞッ!」
 猿が身なりの良い男に飛びかかろうとすると側近は拳を降り下ろした。猿はギャンと言う声をあげて床に叩きつけられた。同時に血が飛び散る。
「いやっ…」
 シーザーはなまえに血を見せないように深く抱き込んだ。突然乗り込んできた男は確かに何でもやるらしい。
「旦那ァ…いくらなんでもいきなりすぎやす。これから娘が俺のために稼げるだろう金と比べたら、はした金です。売ることはできません」
「しかし、今はそれしか持ち合わせがないんだ」
「ヘッヘ、じゃあ明日またもっと多くの宝石をガッ!?」
「おとうさん!」
 男は言い終わる前に別の側近に頭を捕まれ壁に叩きつけられた。立ててあった粗末な木の椅子にぶつかると椅子は簡単に壊れた。
 頭が割れたのか、椅子の破片が刺さったのかさだかではないがおびただしい量の血液が飛んだ。
「おとうさん!おとうさん!」
「なまえ!見るなッ!!」
「いやぁ…おとうさん…ッ」
 その様子をシーザーの腕の隙間から見てしまった彼女は悲痛な叫びを上げ続けた。
「シーザー君、あとは君だけだが…」
 シーザーは精一杯身なりの良い男を睨み付けた。
 男はその財力とどす黒いその男の性格のせいで大きく見えた。
 小屋の片隅に追い詰められた二人だたがシーザーはしびれを切らしてなまえを背に側近たちに殴りかかろうとした。
「うおおおおお!このゲスどもがッ!」
 一瞬だった。振り上げた拳はいとも簡単にかわされ、腕を捕まえられ身動きがとれなくなってしまった。
 男がゆっくりなまえに近づく。彼女はおびえきった表情で男を見うずくまる。
「くそっ!はなせ!おい!なまえに近づくな!」
 シーザーの抵抗もむなしく彼女は男に腕を捕まれ立ち上がらされた。
「うるさいなぁ…………やれ」
「ぅぐぉッ」
「シーザー!」
 男の合図と同時にみぞおちに激しい衝撃が走った。一発で胃が逆流する勢いだ。
 その一発を皮切りに酷いリンチが始まった。男に腕を引かれ、布一枚だけ身に纏ったなまえは泣き叫び狂ったようにシーザーの名を繰り返した。
 そいつを殺せば犯罪者になる―――今まで人道に反したことをやって来たシーザーだったが、殺人だけはやってこなかった。どんなに落ちるところまで落ちても手を汚すまいと思っていた。
 男の言葉は強烈だった。彼女の前で暴力を振るうことがすなわち手を汚すことだと思わせるような魔力があった。シーザーの彼女への思いもまたそれ以上に、彼の行動を制する力を持っていた。

 もう何時間殴られ続けただろうか、小屋には2体の死体と横たわるシーザー。顔は原形もわからないほどに腫れ、歯も何本か抜けてしまっていた。
 シーザーは胸元を探り緑色の宝石がついたネックレスを取りだし涙を流した。
「なまえ………」
 ほほの傷に涙は酷く染みたがそれが気にならないほどの傷を負ってしまった。




***************




 シーザーが自分の父の真意に気づいてから数日がたった。何をして良いか分からずストリートをあてもなくふらついていた。
 ふと、美しい女性が目に止まった。背後の自動車から聞き覚えのある男の声が飛んできた。
「おい!なまえ、私も妻も急いでいる!早くのらんか!」
 なまえと呼ばれたその美しい女性はその声の主の方を見た。シーザーは彼女の顔を見たとたん、心臓が押し潰される気がした。
 彼女は「おにんぎょう、おにんぎょう、わたし、わたし」と遠くを見つめながら訳のわからない言葉を発していた。
 シーザーとふと目があった。シーザーはドキリとして目をそらそうとしたが、できなかった。彼女は一瞬、以前のような美しい笑顔でいった。
「あなた、綺麗な目をしているわ。とっても好き。シーザー…シーザー…綺麗な目」
 シーザーは立ち尽くすしかできなかった。
 男の妻が彼女をなだめ車にのせるまでその場から釘で打ち付けられたように動かなかった。
 車の閉まる音、車の発射音。シーザーは泣けなかった。



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