シャワーを頭からあびながら、私はふと考える。ところで私は死んでいるはずだ。でも、閻魔大王の審判を受けもせずになあなあと生きている。中途半端だよな、これって。死んでいるのか生きているのか、断言できない。なにしろ自分の自覚としては戦いに負けて、寝て、起きたらここにいた、という程度のものだから。
「まー考えてたってしかたないし」
私は得意技の思考放棄をして、体を洗うことに専念した。

 扉をあけると、ご丁寧にたたまれたタオルと替えの着物が用意してあった。ありがたくタオルは使わせていただいて、扉越しにかけられた声にしたがって、ドライヤーで髪も乾かす。幸いにも陰陽師装束を着慣れていたこともあって和服の着方にとまどうことはなかった、なかったのだが。
「なんだこの模様?」
どう見ても、蛇。裾に巻き付く蛇の模様。謎センスどころの話ではない。よく見れば袖には蛇がとぐろを巻いている。誰のセンスだろうか。間違っても鬼灯さんのセンスではないと信じたい。まあ模様に文句を言える立場ではないので、しかたなく袖に腕をとおし、帯を締める。う、うわあこの帯しかも男物だ。貝の口に結んではみるが、蛇の着物は明らかに女物なのもあってアンバランス感しかない。
 意を決して浴室のドアを開け、鬼灯さんの部屋へ逆戻りだ。
「はい、来ましたね」
 私の姿を視認するなりそう言って、待ち構えていた鬼灯さんは私を部屋から追い出す。着物の柄といい、説明もない適当な扱いといい、私はぽかんとしたまま廊下につっ立つ羽目となった。
「……ていうか私の扱い雑すぎか?」
「まあまあ、あなたが突然来たものだから鬼灯様は異動手続きを完了させるのに忙しいのよ」
「はあ……突然とは言っても連れてきたの鬼灯さんだし……むしろ突然連れてこられて混乱してるの私だし……」
「そうは言ってもねぇ、異動手続きを終わらせないことにはあなたはただの亡者っていう扱いになるのかしら……それってあんまり良くないわよね……」
「はあ……確かに亡者が地獄をうろつきまわってたら問題ですしね……ところで」
 私は会話を中断して、ずっと言いたかったことを口に出した。
「失礼ながら、どなたでいらっしゃいますか?」
 私と会話していた青髪の妖艶な美女は、うふふと笑って首をかしげた。
「鬼灯様ったら、説明すらなさらなかったのね。アタシのことはお香さんでもお香ちゃんでもお好きなように呼んでくださいな。今からしばらく、あなたのお世話をすることになるから、よろしくね」
 お香さんはその流れで、簡単に自分が何者なのか説明をしてくれた。曰く、鬼灯さんの幼馴染らしい。そして蛇が好きなのだとも。そこで私は言われずともこの着物が誰のものか察した。丁寧に礼は述べたものの、正直お香さんが帯代わりにしてるピンクの蛇が気になってそれどころではない。もしかして帯が男物なのって、お香さんが帯持ってないからなのか。というか彼女、口紅青だ。大丈夫か。センス。
 長い長い廊下を歩きながら、彼女は地獄のあれこれに関してかなり丁寧に解説してくれた。陰陽師という職業柄、あの世の裁判の形式やら、地獄の区分やらに関してはそこそこ予備知識があったものの、実際に職員がどういう役割で働いているのか、なんてことはまるで知らなかったので大いに助かる。よくわからないが今日から私もここで働くことになったのだから、死ぬ気でお香さんの言っていることを記憶していく。まったく、今までの陰陽師生活はほぼ引きニートだったというのに、唐突に社畜に転業ときた。死ぬんじゃないかな私。もう死んでるけど。
「そういうわけで、まずはあなたの服を買いに行くわ。お金は鬼灯様から多めに預かっちゃったから、遠慮はしないでちょうだいね。それから、日用品も。布団や家具一式は各部屋に備え付けのがあるから、そうねえ……歯ブラシとか、タオルとかかしら。そう、下着も忘れないように。おパンツはモラルよ」
 お香さんのゆるーい口調はなんだか落ち着く。周りに人(というか鬼)もいるのに大声でおパンツとか言い出すあたりちょっと心配でもあるが、かなり好感のもてる人(というか鬼)だ。
「ありがとうございます。ひとまず数日ぶんどうにかなれば、あとは自分でちょいちょい買いに来るので大丈夫です」
「そうねえ、誰か男の人についてきてもらえれば良かったわね。それなら少しぐらい買い込んでも心配なかったわ」
「今度来るときは誰かに荷物持ち頼んじゃいます」
 とは言っても思いつく知り合いの男性なんか鬼灯さんと白澤さんぐらいしかいないけど。そして多分二人とも私が荷物持ちなんかやらせていいご身分じゃない。現世にいたときはばりばりやらせてたけど、そこはそれ。なんたって私は家主様だったのだ。
「透子ちゃん、敬語なんか使わなくていいのよ。鬼灯様に近い人になるんだから、役職で言えば同等かそれ以上になるんだし……」
 お香さんはそう言って、私に微笑んだ。
「んー、でもお香さん、私より人生も地獄歴も先輩ですし、尊敬できる人には敬語を使いたいんです。だから、ちょっとこれはご勘弁を」
 私がちょっと申し訳なさを含ませながらそう返すと、お香さんは一つ瞬きをして、うなずいた。
「分かったわ。ありがとうね、透子ちゃん。尊敬に値する先輩になれるように努力してみようかしら。なにか困ったことがあったら、アタシに頼ってちょうだいな」
「そうさせてください、ありがとうございます」
 ううーん、お香さんの好感度がまた上がる。ここで敬語なしを無理強いしてくるようだったら、正直迷惑も甚だしかったが、この返しできたか。最高だ。お香さん、いやむしろお香姐さんと呼ばせていただきたいくらいだ。
 さっき廊下で聞いていたとおり、お香さんの職場は衆合地獄。女性の獄卒も多く、よってショッピングには最適。そういうわけで、私はここでお香さんにつきあってもらって、買うべきものを買いそろえた。
「そういえば部屋、私の部屋ってどうなるんですか」
「アタシたちみたいに寮に住むことになると思うわ。部屋の手配も鬼灯様がなさってるから、それは心配しなくて大丈夫よ」
「なるほど……お香さんも寮なんですか。いい人とか、いないんですか……あ、もしかして鬼灯さんとすでに?!」
 言ったとたんにお香さんは今までで一番面白そうに笑って、笑いながら否定した。
「それは無いわよ。ええ、無いわ。鬼灯様は素敵だし、幼馴染でもあるけれど、恋人ではないわよ。ええ」
「はあ……分かりましたけどそこまで笑うことないじゃないですか。ええーでもお香さん、こんなに美人なんだから、恋人はやっぱりいるんじゃないんですか?」
 なおもしつこく食い下がる私に、やっと笑いをひっこめたお香さんはいたずらっぽく笑った。
「ふふ、アタシの部屋に来てみれば分かるわよ。……そうね、アタシと同じぐらい蛇が好きでなければ、アタシと付き合うのは厳しいかもしれないわ」
「……まさか」
 私は想像してしまった。まさかお香さん、蛇を飼いすぎて蛇のケージの隙間に暮らしてるレベルか……?まあ、このあと帰りの足でお香さんの部屋を拝見した私はこんな甘っちょろい考えをすぐさま改めることになったのだが、それはまたしばらく後の話だ。
 ぐだぐだと話をしながら着物を買いそろえ、日用品を買いそろえ、帰路につく。意外と時間をくってしまったらしいというのは、買った腕時計で分かった。懐中時計が主流らしい地獄だが、あいにく現世生活に慣れている私に懐中時計はあまり便利ではない。着物に腕時計というのもシュールな図ではあるが、許されてほしい。ちなみに現在時刻は午後5時。
「そういえば、着物っていうからにはお高いんだと思ってましたけど意外と普通の洋服ぐらいの感覚で買えるんですね」
 私が言うと、お香さんは頷いた。
「そういえば現世では着物は高いんだったかしら。こっちでは着物が主流だから、普通に買える値段で売ってるのが当たり前なのよ。そうは言っても、ピンからキリまであるから、高いものは高いけれどね」
「ブランド的な感じですか?」
「それもあるし、あとは純粋に生地とか、染めとか。洋服に比べたらデザイン性では劣るけれど、着物は細かい部分で種類がたくさんあるのよ。また機会があったら、アタシに分かる範囲で教えてあげるわ」
「ぜひお願いします。正直に言うと、一応着物を着慣れているとはいえぜんぜん詳しくはないので」
 そういう私が今日買ったのは、どれもこれも似たような暗い色の着流し3枚と、角帯2本だ。今着てる、お香さんの蛇着物はかなりおはしょりを多めにとっているが、現世でも私の着物スタイルは、いわゆる着流しだった。だって楽なのだ。そんな着方は男のものだ!と言われても、それの何が悪い!というのが持論である。陰陽師に男も女もあるかボケ、強けりゃそれでええんじゃ!という寸法である。もちろん、あまり人には言えない。褒められたおはなしではないからね。
 てくてくと歩いているうちに気づいたのは、お香さんが女性に(も)モテるということだ。めっちゃ挨拶されてる。挨拶ついでに私の軽い紹介までそつなくこなすお香さんさすがお香姐さん。女性に好かれる女性というのはとんでもない才能だ。

 お香さんのお部屋訪問を経て、いろいろとショッキングな事実を見てしまったことはひとまず忘れ、鬼灯さんの部屋まで送り届けてもらって、お香さんとは別れた。去っていく背中の蛇とめちゃくちゃ視線があう。いやあ、まさかお香さんのお部屋が野生の森だとは思わなかった。びっくりした。
 そして無事鬼灯さんに回収された私は、ようやくお引越し準備に入ることとなった。



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