黒煙をあげて、崩れ落ちていく街。なんだこれは、どうして。何が。
 頭の中が真っ白になる。窓際にかけよって、光景をはしからはしまで見回す。燃えている家、焼け落ちた家、崩壊している家。無事な場所などない。街路樹も、根本からばっきりとおれているもの、炭になっているもの、そして、燃えている車。
「なんで!!何があったっていうの」
ただの火事なんかじゃない。消防車なんか、一台も来ていない。そもそも、ただの火事で、住宅街が全部焼け落ちるわけがない。
 その時、視界のすみを、何か巨大なものがかすめていった。追いかけるように目線をうごかす。
「……なんて、こと」
 それは、巨大な龍だった。

 その龍を目にして、私はすべてを理解した。天龍院の、最大の式神、天龍が、あれだ。本家は、私を始末したいのだ。
「よくも考えついたものだ」
式神の龍とばっちり視線があう。それをあやつっているものが、いやらしい笑みを浮かべるのが、見えた気がした。私は、その龍にむかって、思い切り親指をたてた拳を、下に振り下ろして見せた。そして、走る。玄関へ。私の、庭へ。そっちがその気なら、こっちだって、考えはある。お前らなどにただで殺されてなどやるものか。

 私の使える全式神を具現化させるのと同時に、私は玄関から走り出た。いきおいをつけて、白良にまたがる。相棒は、承知した、とでも言うかのように、うちの庭である山の、中央へと向かった。
天龍があれだけ派手に暴れているのは、私の気をひくためだ。どこで情報を手に入れたのかは知らないが、私が屋敷に張っている結界が、天龍院家の式神だけは弾くことを奴らは知ったのだ。屋敷に入れなければ、私を殺すこともできない。ならば、と。周りを攻撃すればいい。それが現実なのか幻術なのか、私には判別できないが、どちらにしたって私のとる行動はもはや一つだ。屋敷の結界を解いて、その式神を己の元へひきよせる。それだけが、周りに被害を及ばせないためにできることだから。今や私の脳内には、白澤さんも鬼灯さんもいなかった。
「解ッ――!!」
手刀を振り上げて、結界を解く。さあ、来やがれ、薄汚い本家の龍。天龍院の誇り高き一匹狼の力を、うけるがいい。
 屋敷の周りを旋回していた天龍が、一直線にこちらへやってくる。白良はまっすぐ龍の鼻面に向き合って、次の瞬間頭をまっすぐ天に向けて急上昇した。私はその背にしがみついて、懐からありったけの爆札を取り出し、空中に撒いた。さあ、火を吐け、愚かな龍。
 目の前を舞う紙きれにいらだった龍が、炎を吐く。爆札に点火して、龍の目の前で大爆発がおこる。私と白良は、紙吹雪の空域を脱出していて、直接爆発に巻き込まれはしなかったが、爆風にながされて、きりもみじょうに地面に落ちていった。充分に高度をとっていたから助かったが、すばやく振り返ると、龍も同じように落ちかけて体制をたてなおしているところだった。さすがに、一族最強の式神、あの程度ではさしたるダメージはないらしい。しかし、まさか天龍だけということはあるまい。他の式神もいるのだろうと予測をつけてあたりを見ると、確かに私の式神と戦っている式神が、二、三体。
「うーん、勝敗は五分五分かなあ」
 ついそんな事を言うと、白良がぶるりと身を振った。
「あっはは、いや別に死ぬ気はないから大丈夫だって」
 この相棒は私の一番初めの式神だ。白良は次の瞬間、勢い良く右にはねた。天龍がつっこんできたのだ。私は、護符を自分のまわりに展開させた。



 戦いはその日の夜に決着がついた。
 私が、負けた。
 焼け焦げた服。死にかけの私にとどめをささず、天龍は消えた。山のなかに横たわる私のそばに、白良が寝そべっている。真っ白だった毛並みは、血と煤でまだらに汚れている。白良以外の式神は、みんななくしてしまった。式神の本体は、私が呪を書いた紙を媒体としてこの世にあらわれる。だから、式神たちが消えたところに散らばっている紙を拾い集めて修復すれば、彼らはまたここにあらわれることができる。
 私は、力をふりしぼって白良をなでた。
「そんな体力はないしね。お前も具現化していてくれるのは辛いだろう」
 白良は、億劫そうにまぶたをあけて、その片目で私を見た。私が死んだら、白良は紙にもどる。そして、もう二度とこの世にあらわれることはない。
 私は、片手を白良にのせたまま空をあおいだ。満天の星空。
 ああ、そうそう。燃えていた住宅街は、元通りだ。あれはどうやら私をおびきだすための幻影だったらしい。ま、確かにそうだ。たかが陰陽師の一家の争いのために、一般ピーポーに死人なんか出したら、色々とまずい。そりゃあもう、一族全員逮捕みたいな流れになるだろう。テレビでも報道されるだろう。陰陽師、警察に逮捕される、って。
 私はそれを思い浮かべて思わず笑ってしまった。
「ずいぶんと、穏やかですね」
「そりゃあ、もう。どうせ死ぬんですから」
「それはいい。透子さんのような優秀な人が地獄に来てくれるのなら、大歓迎ですよ」
「いや、できれば私は天国、に、……」
 言葉をつまらせる私を、上から覗きこんだ鬼。
「いえ、そうはいきませんよ。私の権限で、なんとしても貴方は地獄に連れてきます」
 上から覗きこんでくる、鬼神。ああ、星空にまぎれこんだ髪の色は、間違いなく黒だ。私は、声をあげて笑おうとして、気管に詰まった血だかなんだかを吐き出した。
「鬼灯、さんじゃないですか。まだ、こんな、ところに、いたんですか」
 金棒をかついだ鬼は、私の頭の横にしゃがみこんで、私と目をあわせた。
「地獄に帰ったんですけどね、一度。そういえば貴方にお礼を言っていなかったなと思いまして。白豚から菓子折りも預かって来たんですが、どうも要らなかったようですね」
 私が口をひらこうとすると、鬼灯さんはそれを片手で押しとどめた。
「何があったかはなんとなく察しました」
「マジで?」
「マジです。どうせ天龍院の本家から、暗殺部隊でもおくられたんでしょう。それで、貴方は敵キャラよろしく負けた、と」
「それって何レンジャーですか……」
「そうですね、地獄戦隊鬼レンジャーでどうですか」
「面白くないです」
「知ってます。貴方、死にかけのくせにペラペラしゃべりますね。漫画でよくある死に方ですよ、それ。というわけで、ついでに漫画らしく、死後の世界で私の補佐なんかやってみませんか?」
「どんなスカウト方法ですか……ぜんぜん『というわけで』の繋がりないんですけど……」
「まあなんだっていいじゃないですか」
鬼灯さんは、聞いたこともないような優しげな声音で話していた。ああ、だったら、最後ぐらいは弱音をはいても許されるだろうか。今まで、一人で生きてきたのだから。
「ほー、ずきさん」
「はい」
目元があつくて、息が苦しい。どうやら私は泣いているみたいだった。
「すごく、痛くて、辛くて、苦しいんです」
本当は、声をだすだけで喉がふさがるような痛みにおそわれる。なんだか呼吸も苦しいし、気をつけていないと息を吸えない。
「私、ずっと今まで生きてきて、いつ死んでも、いいやって、思って」
鬼灯さんは黙っている。ふと、手が降りてきて、私の目元をなぞった。
「でも、いざ死ぬとなったら、死にたくないんです。……笑ってもいいですよ」
いよいよ本格的に息ができなくなってきて、それに反比例して涙だけはみっともないくらい流れていく。鬼灯さんは、穏やかにそう言った。
「笑いませんよ」
そう言って、ゆっくりと身をかがめた。いつのまにか金棒をおろして、両手を地面について、私の顔のすぐ近くまでその整った顔をよせてくる。そう短くはない鬼灯さんの髪が、頬をくすぐった。
「これは、呪いです」
ささやくように言った鬼灯さんの冷たいくちびるが、私のそれと触れ合った。
ああ、……なんてことだ。この鬼神は、死にかけの私に、その冷たくて残酷で、ひどく優しい夢をくれたのだ。
最後の呼吸を鬼に吸い取られて、私はゆっくりとまぶたを落とした。




 目が覚めた私の目の前には、白澤さんがいた。目があう。白澤さんはいい笑顔で立ち上がった。
「透子ちゃん、おはよう。気分はどう?」
ここはどこ、私はだれ、とか言う前に私の口は面白くもない返答をつむぐ。
「別に感想を述べるような感じじゃないです。普通です」
 そう、と白澤さんは頷いて、部屋を出て行った。そんで、どこだここ。私は布団にねかされている。間をあけずに、部屋に入ってきたのは鬼灯さん。その鬼神の顔を見て、私はその直前のこと(かどうかはさておき)を思い出した。そうだ、そういえば私、死んだんだっけか。
 なんていうかつまらない死に方をしたなあ、とうんざりしてまばたきをすれば、鬼神様は、そんな私の目の前にずいっと一枚の紙をさしだしてきた。
 それを読まない選択肢は、残念ながらみあたらない。私は近づけられた紙に、黒々と書かれた二文字を読み上げる。
「辞令……」
 鬼灯さんは、紙を手元にもどして、無表情で頷いた。
「はい。貴方は、本日付で私の補佐官となります」
 私は呆気にとられて鬼灯さんの顔をみあげた。なんだって。あれ本気だったのか。ということは、ここはあの世、しかも、地獄?
「そうです。ここは地獄です」
「待って心読まないで」
「言ったでしょう、……呪いです、と」
うーんなんだかそんなようなことを言われた気もしなくはないが、色々と思い出すべきことが多すぎて混乱している私に、鬼灯さんは、ほんの気持ち表情をやわらげて、言った。
「ま、補佐官と言っても、私の雑用みたいなもんです。大したことはありませんよ」
 鬼灯さんはそんな事を言って立ち上がる。雑用って、けっこう大したことある役職じゃないんですか。特に、鬼灯さんの用事となると。私は、ただ黙って鬼灯さんを見送るしかなかった。言いたいことがありすぎて、逆に何も言えないってやつ。入れ替わりに入ってくる白澤さん。神獣様に支えられて、私は身をおこした。
「痛いところ、ない?」
「大丈夫です」
 自分の身体を見下ろす。死んだ時の服が、無傷で着せられていた。怪我もない。ふとポケットに違和感をおぼえて、私はその中に入っていたものを取り出した。
「し、きがみ」
 驚いてその紙くずを見た私に、白澤さんが履物をさしだしながら言う。
「あいつがね、君をここに連れてきてからすぐに引き返して、持ってきたんだよ。僕なら治せるかって聞かれたけど、陰陽道はちょっと勝手が違うから、そのままにしておいたんだ」
 それは、私の式神札。ちぎれた札のくずが片手いっぱいに、それと、無傷の白良の札。私は、思わずこみあげてきたものを必死でのみこんだ。あの鬼神様、案外優しいところあるんだ。
「はい。ありがとうございます」
 お礼をいうと、白澤さんは笑って、私を立ち上がらせた。あわてて履物をはいて、白澤さんのあとについて部屋をでる。薄暗い廊下を歩きながら、白澤さんは言った。
「お礼なら、あいつに言ってやりなよ。僕は何もしてないから」
 相変わらず、私の歩調にあわせてくれている白澤さんの背中を追いながら、私は笑った。
「はい。分かりました」
 ここが地獄でも、私にとってはどうやら地獄ではないらしい。失ったと思っていた式神は、また呼べる。ついでに、あくまでついでだけど、鬼灯さんと白澤さんとも、いつでも会えるようだ。なんだか鬼灯さんにはこきつかわれる気しかしないけど、とりあえずそこには目をつぶろう。
「やれやれ、大変なことになってきたなあ」
 袖振り合うも多生の縁、なんて言うが、袖振りあった彼らとの縁は、前世からどころではなく死後も続くらしい。とりあえず、偉そうな鬼神の部下になってしまったからには色々な人に挨拶しなければならないのだろうと、目下のところそれに頭を悩ませながら、私は廊下を進む。それでも、生きていれば人生はなんとでもなるものだ。死んでるけど。
「明日は明日の風が吹く、だよね」
 だからさ、ま、気楽にやっていこうじゃないか。



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