「お連れしました」
ふすまの前で女性が一度正座してそう声をかけると、中から男の声が答えた。
「入れ」
どうぞ、と目で促されて、正式な礼をとって入室する。二人も心得ているようで、私達はまるで江戸時代かどこかへタイムスリップしたかのように振る舞った。まさに時代劇でみるような、2つの部屋のあいだのふすまを開け放った、大きな間だ。手前の部屋の中央にあぐらをかいて腰をおろし、頭を下げる。二人は私から2mほどはなれて腰をおろし、同じような礼をとった。
「面を上げよ」
現当主、そして私の父親である男からの許可をうけて、私達は顔を上げた。
 父は、私の記憶からすこし老けたようだったが、あの能面のような無表情は相変わらずだった。あぐらをかいて、酒の壺をそばに置いているが、飲んではいないようだった。
「長らくご無沙汰しておりました、父上。お変りないご様子、大変喜ばしく思います」
あらかじめ考えていた口上を述べると、父は鼻で笑う。
「心にも無いことを。本当はさっさと死んでほしいのだろう?」
そんなことは、と否定しようとすると、まあいい、と遮られた。別に死んでほしいまで憎んではいない。ただ、私に関わらないでいてくれればよかっただけなのだ。
「それより、後ろに連れているものはなんだ。聞けば前当主の屋敷で飼ってやっているそうではないか。私の許可無く勝手なことはするな」
尊大な物言いはきっと、後ろの二人を怒らせようとしてのことだ。頼むから黙っていてくれよ、と祈りながら、私は口を開く。
「お察しの通り、彼らは人ではございません。地獄から来たと言う鬼神と、天国から来たという神獣ですが、行く宛が無いようなので我が家にお泊めしているだけのこと。父上の気に触るようなことは何もないはずです」
「ふん、どうだかな。また新たな式を作ろうとしているのではあるまいな?本家の許可無くして式神を生むことは決して許されぬぞ」
「心得ております」
どうせ何を言っても信じないのだ。何のために私と彼らを呼んだのか、やっと分かった。私の身勝手を貶めて、私の手にある、継承権を取り消したいのだ。
「ふっ……くだらない」
何かいいかけていた父の言葉など耳に入らず、私は思わず笑ったのだが、不運なことにそれは父の耳にはしっかりと届いていた。
「貴様」
激高しやすい父の、わかりやすく怒気を含んだ声。さて、怒鳴るか、殴るか。薄ら笑いを浮かべて父を観察していると、ところが父はそのどちらの行動にも出なかった。
「全く忌々しいことよ。貴様のような蛭子が我が子であるとはな。…貴様も気付いているだろう、今日呼んだのは貴様の継承権の話をするためだ」
二人のことはついでだ、とでもいいたげな、面倒くさそうな表情をうかべて、父は言葉をついだ。
「継承権を破棄しろ。どうせ忌み子を擁護する者などおらん。貴様が当主になったところで、暗殺されるだけだ。今のうちに継承権を貴様の腹違いの弟へ譲れ。しからば、貴様の命を狙うことはなく、貴様に関わることも金輪際しないと約束しよう」
「お断りします」
間髪いれずにそう断言した私を見る父の顔がどんどん険しくなっていく。
「…貴様、今なんと言った。私がおとなしく譲歩してやっているうちに穏やかに継承権を手放せ。今一度聞く、継承権を弟にゆずれ」
「お断り、いたします」
「貴様ァ!!」
父がついに立ち上がった。片手に酒の壺を持っている。あれで殴るということはさすがにあるまい。私は、近づいてくる父をまっすぐに見据えながら、ただひとつのことだけを念じた。
(頼む、鬼灯さん、白澤さん、動くな。あなた達が動くと、一番面倒なことになる)
ついに目の前にやってきた父は、壺の栓を取ると、私の頭上にそれをかかげた。とっさに下を向く。髪から、顔、首、肩。浄衣まで、酒が染みこんでいく。真新しい酒瓶に並々と入っていた酒を無言で私にひっかけている父。後ろで、漏れてくる神気が禍々しい雰囲気を伴っておさえこまれていた。
最後の一滴まで酒をそそいだ父は、酒瓶を後ろに放り投げ、怒鳴った。
「貴様のような魔物にくれてやる権利など無い!あの時さっさと死んでしまえばよかったものを、のうのうと生き延びおって!恥を知れ!」
闘牛のように荒い息を吐いている父を見上げ、私は静かに言った。
「憎むのなら母を愛した己を憎むことだ。恨むのなら私を引き取った己の父を恨むのだな。私は継承権などというくだらないものにはこれっぽっちも興味はないが、貴様の良いようにさせてやるほど広い心の持ち主じゃあないんだ。諦めて関東に刺客でも放つんだな。返り討ちだが」
私が口を閉じるやいなや、父は私の濡れた髪を掴みあげた。大した力で、座った姿勢から一瞬宙に浮く。痛みよりも、とにかく私は念じた。動くな、二人共。
強烈な殺気をはなつ二人は、動かないでいてくれた。
父は私を持ち上げ、そのまま反動をつけて私を後ろへ、つまり二人の方へ突き投げた。
「っ…」
一瞬息がつまったが、覚悟していた硬い衝撃はない。どうやら間一髪で鬼灯さんが受け止めてくれたようだった。ぱっと振り返ると、父は怒りで顔を真っ赤にして、出て行けと喚いた。
「お前に父親の資格はない」
白澤さんが、すべてを抑えて冷たくそう言って、すぱんとふすまを開けた。私は一応退室の礼をとろうとしたのだが、鬼灯さんに抑えこまれてそのまま部屋を出た。
さきほどは違う、無表情の中年の男性に案内されて控え室まで戻る。自分で歩ける、と主張したが、結局鬼灯さんはずっと私をかかえこんだままだった。
部屋に入ってふすまを閉めたとたん、鬼灯さんはぐっと強い力で一瞬私を抱きすくめ、そして私を突き放した。
白澤さんが、この状況ではむしろ恐ろしい無表情で、着替えを促す。
「とにかく、この屋敷を出ましょう。嫌な感じがする」
鬼灯さんがそう言って、ついたての奥に私を押し込んだ。



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