何か冷たい感触で急速に意識が浮上する。
浮上した意識が、意識を失う寸前のことに思い至って、私は飛び起きた。
「あ、ちょっと透子ちゃん急に起きたら」
はい、めまいがします。前かがみになりかけた身体を支えられ、ゆっくりと布団に戻される。
「…すみません白澤さん」
いいよ、と軽く返されて逆に申し訳無さが増す。そうだ、お風呂場で倒れたんだ私。なんてこった、とものすごい後悔と羞恥に襲われる。きっちり白の単衣に帯を巻かれているので、おそらく鬼灯さんがやってくれたのだろう。お礼を言いたいのはあるが、正直なところを言うと今いるのが白澤さんで助かった。もし鬼灯さんだったら今すぐ壁に穴を掘って埋まりに行っていただろう。
「身体はどう?」
しぼった布を頭にのせてくれた白澤さんが尋ねる。さっきの冷たいものはきっとこれだったのだろう。
「ちょっとだるいですけど、特にこれと言って悪いところは無いと思います」
そう、と一つ頷いた白澤さんは苦笑するように顔をゆがめた。
「ごめん」
唐突に謝られて、何がというふうに顔を傾けると布が落ちかけたので慌てて戻す。代わりに、何がですかと問いかけた。白澤さんはふいっと顔をそむけて、いつもより少し低い声でつぶやいた。
「…いや、僕らが来て疲れが溜まってたんだろうからさ。…しばらく寝てたほうがいいよ、何か身体に優しい物作るね」
にこ、と私に笑いかけて立ち上がった白澤さんが部屋を出て行くのを見送った。
「そんな、疲れるなんて思ってないのに」
ぽつりとつぶやいた言葉は誰にも聞かれずに消える。
むしろ、逆だ。二人がいてくれて、救われている。祖父が死んで、この大きな屋敷で一人暮らすようになって、毎日骨を噛むような虚しさと戦って生きてきた。大掃除をしたり、依頼を受けて妖を鎮めている時だけ、生きていると痛感する。そして、それが終わればなおいっそうの虚しさに身を食われる。
それが無いのは、鬼灯さんと、それについで現れた白澤さんのおかげだ。一人であることに気を張っていたから、きっとその緊張が途切れての体調不良なのだ。一人でいるときには、体調をくずしても誰も看病などしてくれないという思いがあるから、それとなくはりつめていたのだろう。
思い返せば、祖父が死んでから一度も風邪すらひいていない。
(…だけど)
二人はそう遠くないうちにまた居なくなる。この生活に慣れてしまってはいけない。あくまでこれがイレギュラーなのであって、私はやっぱり一人なのだ。一人で生きていかなければならないのだ。
思い描いてみた。二人が帰ったあとの、家。そこかしこに二人のいた後が残る家。書物は向かいの部屋にはないし、そこには新しく買った寝具が残るのだ。待っていても夕食は出てこないし、朝ご飯の香りで目覚めることもない。浄衣のまま畳に寝転がっても叱る人はいない。
(なんて、虚しいのだろう)
二人のいない生活は。こんな幸せを知らなければ、何も思わなかっただろうに。
「透子さん、入りますよ」
不意に鬼灯さんの声がして、はっとする。ちょっとまった心の準備がーー
「……何してるんですか?」
「……はい」
布団をかぶってなおかつその上(下?)から護符で結界張ろうとしてました、とは言えるはずもなく布団をおろす。最後の抵抗で頭に乗った冷えタオルを目までひっぱりおろすが、あえなく取り上げられた。
「……透子さん」
「……はい」
地獄の鬼のような形相なんだろうとイメージしつつ、しっかりと目を閉じた私は返事をした。っていうか地獄の鬼って比喩じゃなかったわ。
「すみませんでした」
「は?」
ぱっと目を開けると、そっぽ向いた鬼灯さんの横顔が目に入った。
お説教じゃないのか、とか、何が、とか、とりあえず色々と思うことはあったがまず言いたいのは、なんで鬼灯さんも白澤さんも似たような動きが得意なんだろうか、というどうでもいいことだった。だって二人とも同じセリフを吐きながらおなじように顔をそむけているのだ。
「私達が来てから、やはり何かと苦労をかけたようで」
そのまま続ける鬼灯さん。
「いや、その話はもういいですけど、別に疲れませんから大丈夫ですよ」
華麗に遮ってそう言うと、ぱっとこちらに顔を戻した鬼灯さんが、若干顔をゆがめて、白澤さんですか、とこぼした。
「怒らないんですね」
ぽつりと口にすると、一瞬怪訝な顔をした鬼神は、いえ、と溜息をついた。
「もういいですよ、こちらにも非があるわけですし」
まああなたに服を着せるときは理性を総動員しましたが、なんて付け加えるものだから、さっきの強烈な羞恥がよみがえってきて、いたたまれずに布団をかぶろうとするとその手を掴まれて制された。
「落ち着きなさい」
顔が赤いです、と指摘される。ほっとけ、誰のせいだ。最後の抵抗に、鬼灯さんの座った方と逆向きに顔をそむける。
「とりあえず、いいですか透子さん。今日は一日寝ていなさい。今白澤さんが何か作っているようですから、ついでに水も持ってこさせましょう」
はい、と答えるとすっと首に手をあてられ、おもわず蛙がひっくり返ったような声をあげてしまった。もう少し色気のある声は出ないんですか、と呆れ声の鬼灯さんだが、ほんの一瞬ですぐに手を離して、熱はないですねとつぶやいた。心臓に悪いからおでこにしてほしかった。
これがもし白澤さんだったら、確信犯だろうと決めつけて腕の一つでもつねってやるところだった。惜しい。
ねじまげていた首を元に戻して天井を見上げると、視界のはしにうつった鬼灯さんが顔を覗きこんでくる。真上からまじまじと顔を見られて、居心地が悪いとか思いかけた時、勢い良く鬼灯さんの背後のふすまが開いた。
「蓮ちゃんおかゆ……って何やってんだこの好色朴念仁ッ!!!」
両手に盆を持った白澤さんが入ってきざまに鬼灯さんを蹴り飛ばそうとして、華麗に避けられた。
「何もしてませんよ、顔色を伺ってただけです。そんなにナニしてるように見えましたかこの変態野郎」
何を、とまたギャーギャー騒ぎ始めるのを素晴らしきスルースキルでスルーしながら、私の思考はただひとつのことに行き着いた。
…白澤さん、両手に盆持ってるのに今どうやってふすま開けたんだろう?




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