慌てる白澤さんをよそに、翠湖を食ってご満悦な様子の異形を、余裕ぶっこいて観察する私と鬼灯さん。
 空気が、変わる。気温でも、湿度でもない。ただ、その場の空気が変わった。異界が、ゆらぐ。異形が、奇怪な音をたてた。
動きを止めたままの異形は、口から大量の水を吐いている。いや、違う。水が、口から溢れだしているのだ。
「翠湖は、水の式神。…その正体は、水」
異形の口からあふれだす水が、毒々しい色を帯びていく。
「そして、翠湖の原型は、汚染された沼」
緑色、赤色、茶色。ぐちゃぐちゃと絵の具を混ぜあわせたような色合いの水が、溢れ出してくる。水の勢いは止まらない。それもそのはず、その水は、異形自身の、体液。
もはや水は赤色以外のなにものでもない。
「残念だったな」
最初にして、最後の晩餐。食ったのは、汚れた沼の化身だった。
…最後の仕上げに、私は、その異形を粉々に爆破した。



 なんとか色々理由をでっちあげて、依頼人の娘を母親に返す。ザ・陰陽師というイメージの浄衣のまま、しかも深夜にお宅に押しかけてしまったが、結論だけ話すと母親は泣きながら感謝してきた。依頼料は事前に話しておいた通りに渡されたのだが、多額の礼金をおしつけられたのはもはやお決まりの話である。

「すごかったね透子ちゃん、護符なんかものすごい華麗に扱ってて」
白澤さんからお褒めの言葉を頂いた。鬼灯さんもおとなしく同意している。珍しいな二人共喧嘩しないで同意見なんて。
「見事でしたよ。さすが腐っても天龍院の陰陽師なんですねえ」
「おいまてコラ腐ってもってなんだよ」
言葉通りですよ、と笑まれて、腹は立つがしかし眠い。この一本角の鬼神にあとでどんな嫌がらせをしてやろうかと頭の片隅で考えて、やめる。眠くて頭が働かないのもあるけど、正直に言えば報復が怖い。だって鬼灯さん、絶対、報復は100倍返しとかいう人っぽい。
 浄衣のまま畳に寝転がると、こら行儀が悪い、と鬼灯さんのお叱りがとんできた。おのれはかーちゃんか。もちろん口になど出していなかったはずなのに、今失礼なことを考えましたねと指摘された。…鬼神って読心術使えるんだろうか。神獣なら使えそうだけど。っていうかやばい、眠い…


「で、あなたも感じましたか」
「うん。やっぱりお前も?」
「当たり前でしょう。…やはり、あれは」
「地獄の匂い、だよねえ…」


 支離滅裂な夢を見た気がする。思い出せないが。重たいまぶたをこじ開けると、見慣れた部屋の木目が見えた。寝室だ。
 はっとして身体を起こすと、きちんと敷かれた布団に寝かされていた。浄衣は脱がされていて、単衣と袴姿。二人共男性だから、この下には手を付けられなかったのだろうなと思ってちょっと笑ってしまう。世話をかけてしまった。
 電気を付けずともはっきりと状況確認ができるので、カーテン越しに窓からすける光から察すると、お昼前か。丑三つ刻の異形退治、そこから後始末やらなんやらで、家に帰ってきたのは確か午前5時だった気がする。と、すれば、私は惰眠をむさぼったわけではない。その結論に達して、ようやく活動する気になってきた。とにかくシャワーを浴びたい。

 一階に降りると、いたのは鬼灯さんだけだった。
何をするでもなく、ぼんやりと中庭を眺めている。いつもキリキリと働いているようなイメージがあったので、新鮮だった。近づいていくと、物音に気付いたのか彼は振り返り、起きたんですか、と息をはく。
「はい。あの、お世話かけてしまってすみません」
手にもっておりた浄衣をちょっとかかげると、鬼灯さんは表情を柔らかくした。
「気にしないでください。起こすのは酷かと思ったものですから」
むしろ、起こしてもらったほうが迷惑をかけずに済んだのだと思うと逆に申し訳ない気持ちになってくる。
「そういえば、白澤さんは?」
地雷を踏もうがそうでなかろうが、居候人の行方ぐらいは確かめておきたいのでそう問うと、鬼灯さんは、珍しく言葉をつまらせた。
「まあ、その、なんです。…ちょっと調べたいことがあるとか言ってましたけど」
「はあ……」
気になったが、たかが家主の立場でそこまで踏み込んで良いものか逡巡しながら言葉を探していると、鬼灯さんがさりげなく話題をすりかえた。
「シャワーでも浴びるんですか」
彼の視線は、私の腕に抱えられた浄衣に向いている。ああ、そういえばそうだった。
「はい。昨日帰ってきたまんまで寝ちゃったから、ちょっとすっきりしようかなと思いまして」
やっぱり起こしたほうが良かったですかね、とそのタイミングで問われて、苦笑する。
「まあそっちのほうがありがたかったですけど、気にしないでください」
では、と手をふって、水場へと向かうと、後ろから声が追ってきた。
「勝手に使ってしまいましたが、お湯、溜めておきましたので」
なんてありがたいのだろう。後ろにむかって一礼しておいた。

 頭からシャワーをかぶって、目を閉じる。 温かいお湯が顔から身体をつたった。なんとなくベタベタしていた身体を清めて、湯船につかる。やっぱり日本人でよかった。身体をあたためながら、公園にいた異形についてうだうだと考える。異形の身体は砕いたが、それは異形を滅するためではなく鎮めるため。滅するとはつまり存在の消滅を意味し、鎮めるとはその邪性をはらって浄化、もしくは輪廻に返すことを言う。
「ま、正直違いはよくわからないんだけどね」
細かいことは教わる前に、師匠である祖父は死んでしまった。陰陽師としての術はしっかり身につけたが、一番難しい論理を教えてくれるのはもはや祖父の遺した大量の書物以外にない。
 目を閉じると眠気が襲ってくる。さっき起きたばかりなんだけども、しかも今は昼前、ここで寝たら確実に夜眠れない。
「それに、」
湯船で眠って溺れるのは論外として、眠ってのぼせ上がって素っ裸のまま倒れたらどんなことになるかわからない、今の同居人的に。鬼灯さんにしろ白澤さんにしろ、お説教は間違いないだろう。
「…出るか」
バッと立ち上がって、すぐさま自分の失敗に気付いたが、時すでに遅し。
…なんで急に立った私!今さっき自分でのぼせる可能性について危惧してたところだったろ!!
軽いのぼせプラス立ちくらみで急速にブラックアウトする視界。うわー、裸で確保されるわこれ、なんて呑気に考えたのを最後に、意識は遥か彼方に吹っ飛んでいった。



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