空気が変わった。気温でも、湿度でもない。ただ、その場の空気が変わった。はっとして時計を見上げると、ご丁寧に午前二時を指していて、…しかし、その針はひどく読みづらい。真夏の熱された空気の層をすかしているかのように揺らめく文字盤。
 そして、突然それはかき消えた。
 時計と共に照明も消えたはずだが、それでも仄明るい公園。…否、ここは、異界だ。
「さて」
静かに深呼吸をする。後ろの気配2つは、何事もなかったかのようにそこにある。一人ではない、というのが、不思議な安心感をもたらしていた。
 目の前に見えているのは、いつもの公園。しかし、決定的な違いがある。ちょうど公園の中心に立っていた時計と照明のあたり、そこに深い裂け目が存在していた。地面を恐ろしい力で引き裂いたかのような、奈落。依頼主の言ったとおりならば、ここから異形があらわれるはずだ。
「待つしか無いですね」
そう口にすると、肯定の意が返ってくる。意外だ、鬼灯さんあたりなら、引っ張り出しましょうとか言ってくるかと思ったのに。…腕試し、といったところだろうか。私の。
そう思った途端にやたら緊張してくる。さっき凝視されていたのを思い出して、まるで試験監督みたいだなんて考えてしまう。それも、面接試験。特に苦手なわけではないが、決して得意ではない。
 しかし、そう長いこと緊張してもいられなかった。異形はすんなりとおいでなさったのである。
派手な地響きと、ジェット機のような轟音。そんなに派手に来られると怖いものも怖くなくなる。いや、別に怖かったわけではないけれど、アメリカ映画のホラーみたいなオラオラ系のモンスターってあまり好きじゃないのだ。日本の慎ましやかな妖怪は好き。あの、「いるんですけど…あ、気づいちゃいましたね…」みたいな雰囲気、いじましい。あくまで断っておくが妖怪フェチではない。
「…そしてお約束なのは、派手なやつほど弱い」
こりゃ楽勝かな、なんて楽観してみる。着てきた浄衣の袖から護符を取り出しつつ、一応用心で重心を落とし、落としたところで白澤さんが突然声をあげた。心臓に悪い。
「透子ちゃん、あれ」
…振り向いた私はきっと心底迷惑そうな顔をしていたのだろうけど、白澤さんはそんなの目に入らない様子で公園(仮)の入り口を指さした。鬼灯さんもそちらに振り向いていて、闇に飲まれそうなその入り口に浮かぶ人影を目に捉え、私は思わず盛大な舌打ちをした。
 どう見たって、小さな女の子だ。それも、パジャマ姿の。異界に入ってきた、ということは呼ばれたのだろう。妖の領域に立ち入る手段はそれくらいしか無い。
だとすれば、その女の子が誰なのかなんて明白だ。
「依頼主の娘か」
なんて、タイミングの悪い。
保護対象と攻撃対象、どちらを優先するかなど考えるまでもない。私は思い切り良く、登場モーション真っ最中の異形に背を向けて走った。鬼灯さんに大きな声で呼ばれるが、知ったことか。あんた鬼だろ、鬼神だろ?自分でなんとかしとけ。
 小さな公園だ。入り口にいる子供に走りよるまで、そう時間はかからなかった。ぼんやりとした様子のその子に、護符を一枚貼り付ける。背中にかばいながら異形を振り向くと、ちょうど触手のようなキモチワルイ物体で、鬼神と神獣に襲いかかるところだった。
「急急如律令」
ざっと袖から展開した護符を、飛ばす。それぞれ戦闘態勢に入っていた二人を覆うように、半円の盾を作る。二人は不意をつかれた様子で固まった。よし、そのまま動くなよ。
「ーー爆!」
胸の前に切った手刀を薙いで、その半円から外に向けて衝撃波を放つ。遠隔操作のため威力は少々落ちたが、たかが10m程度で獲物を沈黙させられないようでは天龍院の名折れだ。これで数分は時間がかせげたろう、と子供に向き直った。
「お嬢ちゃん、どうしてここに来たの?」
視線を合わせて問いかける。名前なんて今は必要ない情報だ。原因さえ分かれば、この子に用はない。護符の影響下に置かれた子供は、しっかりと自分の意識を取り戻していた。
「よばれたの」
大きな黒目が私の目を見る。
「おいでおいでされたの。だから、おててつないで、ここまできたの」
おててつないで。ということは、あの異形、地域一帯を異界に取り込んだな。
事情は分かった、そうなれば子供はただの保護対象でしかない。
「大丈夫、守るからね」
にこ、と微笑んでやって、懐から式神を取り出す。
白良、この子を守れ。
具現化した、大きな山犬にそう言いおいて、やっと放置していた異形の方へ駆けた。
 護符の盾を解くと、二人はおとなしく引き下がってくる。立ち変わるように前に出て、私はまず式神をもう一体具現化した。
「翠湖」
スイコ、と読む。五行の水属性、大男のなりをした蒼湖という式神の、てっとりばやく言えば兄妹である、小さな女の子の姿。…そう、年頃は、依頼主の娘と同じぐらい。あくまで見た目は、だけど。
「なるほど」
後ろで鬼灯さんが、合点がいったというふうにつぶやいたので、振り向いて笑顔になってさしあげた。白澤さんも飲み込めたようで、つまりは、と口に出す。
「その子を餌にするってことか」
「そうです」
求めてくるのは女の子、ならばこちらにも同じような年頃の式神がいる。
 異形が小さく唸って身を起こした。その姿は、あくまで醜い人間のようであり、しかしスケールが違う。ぱっと見ただけでも、つまりは裂け目から地上に出ている部分だけでも、縦横5mはあろうか。その中央に、口のようなもの。輪郭部分から無数に生える触手のようなもの。
…一番似ているのが、あれだ。
「…カオナシ」
鬼灯さんが絶妙なタイミングで口に出した。そう、まさにカオナシ。それも、食い過ぎで膨らんだ状態の。関係ないけれど鬼灯さんってもしかしてジブリ好きなんだろうか。
 鈍く動いていた異形が、突然戦意をみなぎらせた。触手をめちゃくちゃに振り回しながら、叫ぶ叫ぶ、うるせえ!
『ヨ、ゴゼェ……ニンゲン、ヨコゼ。ヨコセ、ニ、…ン、ゲン』
展開した護符で、今度は大掛かりなドーム状の壁を作る。それにはじかれた触手達が、からまりあいながら再び攻撃してくる。らちがあかない。
「ならば、くれてやる」
翠湖、行け。
命令は正確に幼子の姿をした式神に届く。ドームの中にいた翠湖は、静かに異形の前に移動した。
 歓喜の声。
 そして、翠湖の姿は一瞬で異形の口に消えた。
 触手がすべて本体と合体する。
 私は護符の壁を解いた。
「って?!ちょっと透子ちゃん?!あの子食われちゃったけど?!ねえ?!」
白澤さんが慌てたように後ろから私の肩を掴んだ。
オイ待て、あんたさっき計画理解してなかったっけ?
「まあ、見ててくださいな」
ここからが、お楽しみってね。




戻る

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -