朝食の匂いで目が覚める。かつて、家族と暮らしていた時のことをおぼろげに思い出した。母のやわらかい白い手と、炊きたてご飯の香り。幼児に逆戻りした思考を叩き起こして、私は起床した。

 朝食を作ってくれたのは昨日と同じく鬼灯さんで、白澤さんは謎の対抗心を燃やして「夕食は僕が作るからね」とか言い始めた。薬膳鍋、というと漢方の、お世辞にも美味しくないアレなんだろうか。まさかそんなことはないだろうが(夕食というぐらいだし)、念の為にカロリーメイトの保存状態を確認した。よし、まだ5箱ある。余裕だ。
 食器の後片付けまで終えたところで、時計を確認すると午前8時。健康的、と私の普段の生活習慣からすれば言えるのだが、さて二人はどうなのだろうか、と訊く。白澤さんがまず答えた。
「僕は基本的にこんな時間かな。夜が忙しいと寝坊したりするし、店は不定期だけど」
タオタローくんもいるから、と謎の人名を出されるが、そんなことより意味深すぎる“夜”にどう反応したらいいのか分からず、スルーすることにした。
…まあ、顔も性格も問題なし、そりゃあおモテになるのだろう。彼氏いない歴=年齢な私には関係のない話だが。そもそも神様と恋愛しようなんていう火遊び心はもちあわせがない。
「私は…そうですね、普段はもう少し早いですが、仕事の量にもよりますから」
鬼灯さんが次にそう言って、顔をしかめた。おそらく、帰った先に待ち受ける大量の仕事に思いをはせてしまったのだろう。南無阿弥陀仏、…とかいうのは鬼神様には言ってはいけないのだろうか。
 透子ちゃんはどうなの、と白澤さんに訊き返されて、私は思わず苦笑した。
「不健康極まりないですよ、基本。日にもよりますけど、ひどい日で、午後2時起きで活動時間わずか4時間、午後6時就寝とか」
うわっ、と露骨に顔をしかめた白澤さんはまだいいが、くわっと影を濃くした鬼神様の顔がシャレにならないレベルで怖い。え、何がお気に触ったのでしょう。気になったが何も言われなかったので黙る。触らぬ鬼神にたたりなし、だ。


 鬼灯さんは、地獄へ帰る手がかりを探しに街へ出かけていった。白澤さんもきっと行こうとしたのだろうが、色々あったあげく家に残っている。もう二人が喧嘩しないで過ごすというのが無理なのは分かっているが、本当に、せめて、せめて家だけは壊さないでほしいと心からお願いしたので、玄関口でやってくださった。それでも迷惑ではあったが、目を瞑る。鬼神様は、夕方には戻りますと半ば叫ぶようにして出て行った。家出かよ。

 向かいの部屋にいる神獣様が何をしているのか気になって、訪ねてみることにした。失礼、とふすまごしに声をかけると白澤さんはすぐに、どうぞと迎え入れてくれた。
「…ってそれ読んでるんですか」
白澤さんは、私の祖父が溜め込んだ書物…元はこの部屋にあったものを一部持ち込んだようだった。あ、ごめん駄目だった?ときかれたので慌てて否定する。
「でも白澤さんには面白くないんじゃないですか?もう全部ご存知でしょ」
「まあね、大体は知ってるんだけど。案外面白いよ、いい感じにねじまがって広まっちゃったのとかも知れるしね」
目を細めて笑う白澤さんは、そういえば中国の陰陽五行説に関わっていたようないなかったような。
「ねじまがった、って…」
「色々。別にねじまがったから駄目っていうものでもないんだけどね。なんて言うのかな、一番理解しやすい道筋にそって説明していくうちに本来の過程からずれちゃった、っていうのが多いかな」
「要するに結果だけ合っていれば良いってことです?」
そうそう、透子ちゃん頭いい、なんて軽口はスルー。この神獣様と出会ってまだ一日だけど、この調子で行くと私とんでもないスルースキルを身につけそうだ。いつ役に立つのかは甚だ不明であるが。
「ざっとあの書庫見た感じだと、お祖父様はかなり知識欲旺盛な方だったみたいだね。一見陰陽師がもつような本じゃないのも多いし…科学とか、でもそういうところに目が行く人のほうが、自分の分野でもかなりの力をつけることが多いっていうしねえ」
ああ、そういえば祖父は陰陽師ながらも現代社会の先端技術にも詳しかった。この屋敷に移り住んで、祖父に学んでいる間に身につけたものには、そういったものも多い。
 軽く思い出にひたっていると、白澤さんがさらりと話題を変えた。
「そういえば透子ちゃんって自炊してるの?人間の女性の一人暮らしって案外外食とかが多いっていうイメージなんだけどさ」
「ええ、まあ」
鬼灯さんにも説明したようなことを口にしながら、気を使われたなと思う。別に、黙っていたのは嫌な思い出があるとか、亡き祖父を偲んでいたとかそういうことでは無かったのだが、…やはりこの神獣様はうまい。
「ああ、そういえば確かにこの付近ってコンビニもないしね」
「はい。ちょっと行くとイオンがあるんですけどね、コンビニも同じような距離なんでやっぱりそっち行くならスーパーかなって。お惣菜買うにしても、コンビニよりはスーパーのほうが安いじゃないですか」
「考えるね。…そこまで倹約するってもしかして、僕らが厄介になるのって結構厳しかったりしないの?」
「ああいえ、」
やっぱり鬼灯さんにしたのと同じような説明をする。白澤さんがここに来たときに、鬼灯さんに説明を頼んだはずだが、二人の犬猿の仲がたたったのか、本当に基本的な部分しか伝えていないようだ、あの鬼神様は。
 ひと通り説明し終えて、ようやく安心したのか、白澤さんはパタンと本を閉じて畳に置いた。何かと思って顔を見ると、彼はにこりと微笑んで、言った。
「おなかすいちゃった」

 ずっと不規則な生活をしていたおかげで「昼食」という考えがすっぽりと抜け落ちていた私は、久々にランチを作るために台所に立った。いや、時間としては特にいつもと変わらないのだが、いつもこの時間に作っているのは第一食である。透子ちゃんが作るならなんでもいいよ、という注文にならない注文をしてきた白澤さん。冷蔵庫と相談して、チキンピカタを作ることにした。本格的に漬け込むやつではなく、簡単に塩コショウをするだけの、あっさりピカタ。ハーブと、残っていた最後の卵を使ってしまったので、次に買い物に行くまで卵料理はおあずけである。今更になって、鬼灯さんに、街に行くのならついでに買い物を頼めばよかったなんて思う。
「そういえば白澤さんアレルギーとかって」
「いや、無いよ」
すでにフライパンに並べる工程にまで入ってから訊くことではなかった、と訊いてから思ったが、白澤さんは全く気にした様子もなく答えた。自分がアレルギー持ちでないと、ついつい忘れてしまう。鬼灯さんが帰ってきたら訊かなくちゃなと思いながら、チキンピカタ完成。皿を増やすのは面倒なので、大皿にいっぺんに盛り付ける。
いただきます、と行儀よく手をあわせた白澤さんは、それを一口食べて、美味しいねと褒めてくれた。本心かどうかはさておき、しかし別に不味くはないと思う。自分も確認するように食べて、いつもどおりの味で一安心。こういう時に限って塩と砂糖を間違えるようなありがちすぎるミスはしなかったようだ。
「ローズマリーとパセリ、バジルかな。あと…タイムも入ってる?」
衣に混ぜたハーブを、白澤さんが当てた。
「正解です、よくわかりますね。ひとつぐらい抜けるかと思いましたけど」
「仕事柄こういうのには詳しいんだ」
漢方も確かに自然のものではあるが、だいぶ趣は違うのではないかなと思う。
「ローズマリーもうちょっと入れようか迷ったんですけど」
そう言うと、白澤さんは、ああ、と即答した。
「そうだね、もうちょっと入れたらもっといい味になると思う」
…ということはやはり、足りなかったのだろう。台詞の端々に細やかな気遣いがあふれていて、内心舌を巻いた。さすが神獣。…というか、女たらし?

 夕方近くになって帰ってきた鬼灯さんは、表情を変えずに、何も見つかりませんでしたとだけ報告してきた。焦ることはない、と言うのは無責任だろうが、それ以外に良いことが思いつかなかったので口にすると、予想外に穏やかな声音で、そうですねと返された。
 そして、一日が終わる。



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