生まれたときから敷かれていたレール。親に決められた道を歩く人生。そんな人生ほど憂鬱なものはない。そんな人生ほど退屈なものはない。
 過ぎ行く日々はいつも色褪せていた。なんの希望も見出だせず、暗がりの中を覚束なく彷徨うだけの日々。ただただ言われた通りに生活し、修行をして、勉学に励む。そんな毎日を飽きもせずに繰り返していた。それがわたしに課せられた枷だった。苦行でしかないただの鎖だった。
 幼少時代は正に希薄だった。灰色そのものだった。どんな色を混ぜても灰色にしかならなくて。色は濃くも薄くもなるけれど、灰色以外の色には染まらなかった。だから、白に憧れた。何色にも染まり、何色にも染まらない白。綺麗で優しくて、安心できる白。すべてを包み込んでくれるような柔らかいそんな白。でも、わたしには遠かった。手を伸ばしても届かなかった。どんなに灰色が薄く淡くなろうとも、決して手の届かない色だった。そんな色だからこそわたしは憧れたのだろう。
 わたしの家系には巫の血が流れている。所謂サニワというもので、それを生業とした者で一族を支えていた。サニワには特殊な力がある。見えざるものを見て、聞こえざる声を聞くことができた。そんなわたしにもサニワとしての能力が備わっていた。修行中の身のため高度な技術は行使できなかったが、段階を踏みさえすれば詞を唱えることで神との対話が可能だった。魑魅魍魎や悪鬼といった存在の調伏もできた。
 しかし、わたしはそれほど力が強いというわけではない。姫神をその身に宿すことのできる泉水子に比べれば、その差は歴然だった。まあ、姫神と比べること自体間違っているのだが、とにかくどんなに努力しようとも米粒ほどにも及ばなかった。そういった力を泉水子は持っていた。
 けれども、わたしはその泉水子と大差なく大事に大事に扱われている。身が縮こまる思いだったけれど、それは致し方ないこと。すべては泉水子のため。彼女の身代わり兼護衛のためだ。わたしという存在が近くにいれば、目眩ましになる。同時に泉水子から危険を遠ざけることができる。魔除けと言ってしまえばそれまでだが、たぶん、間違ってはいないだろう。似たようなものだ。
 泉水子との付き合いは中学の頃からだ。わたしは中学に入学すると同時期に両親の下を離れた。身を寄せることになった場所は玉倉神社だ。神社に訪問したのは初めてだったが、鈴村家とは何度か顔を合わせたことがあった。しかし、顔見知り程度でしかない彼らと暮らすのは抵抗がないわけではなかった。これからのことを考えると不安でしかなった。でも、それはわたしの杞憂に過ぎなかった。右も左も分からないわたしを邪険にする人はいなかった。優しい人たちばかりだった。慣れないことも多かったが、わたしはその日から泉水子の護衛に就いた。わたしの事情を知る人は泉水子の祖父である竹臣さんと神官の野々村さんだけだ。泉水子とお手伝いさんの末森さんには遠縁に当たる子だと告げられているはずだ。
 泉水子の祖父、竹臣さんが宮司を務める神社は自然豊かな地だった。空気は澄んでおり、穢れもほとんど感じなかった。都会とは全く異なった場所。周りには自然しかなかったが、わたしはそこが好きになった。
 泉水子は世間知らずで極度の人見知りだ。親しくない人間とは目を見て話せないほどに委縮してしまい、声も極端に小さくなる。相手の様子を窺いながらビクビクする仕草も一種の人見知りから来るものなのだろう。最初はそんな泉水子に苛々してばかりだったけれど、彼女と接していくうちに泉水子の良さが見えてくるようになった。それからは親友のような、姉妹のような、そんな関係を築いていた。
 時が流れるのは早い。気が付けば季節は一巡りしていた。泉水子と出会ってから迎えた二度目の春、四月中旬。わたしたちは中学二年になった。
 そんなある日、わたしの世界を変える人が目の前に現れた。その人は相楽雪政さん。泉水子の両親の友人で、泉水子の事情を知る関係者の一人だ。初めて会ったときは俳優かモデルではないのかと驚いたほどで、更に驚いたのはその年齢だった。年に似合わず見た目が非常に若い。そして、誰もが見惚れる美貌の持ち主だった。わたしも見惚れた人間の一人で、彼の容姿に胸が高鳴った。
 けれども、それは最初だけだ。雪政さんは極端な人だった。差別とは少し違ったけれど身分や区別をもって接する人だった。特に泉水子とわたしの温度差には落差が激しい。仕方のないことだけど、個人としては少し悲しかった。
 雪政さんは休日になるとよく神社を訪ねてきた。これといった用事があるわけではないようだったが、主に泉水子の様子見と竹臣さんとの打ち合わせというか、話し合いだった。
 季節は六月。梅雨にはまだ入っていない。朝晩は冷え込むが、天気の良い日が続いていた。少し困っているのは湿気の多さだったが我慢できないほどではなかった。その日も雪政さんが訪ねてきた。

「やあ、名前」
「雪政さん。こんにちは」

 雪政さんと出くわしたのは鳥居の前だった。わたしの格好を目にした雪政さんが不思議そうな顔をした。

「どこか出掛けるのかい?」
「ええ…。家の手伝いです」
「手伝い?」
「憑き物落としです。最近増えているようで……人出不足なので帰省するように言われたんです」
「ああ。そういえばそんな噂を耳にしたな」
「………」

 雪政さんは感心するように頷いた。

「君は優秀なようだね」
「え……」
「その年だと能力が定着するまで不安定なものだが、君はなかなかに力の制御が上手いらしい」

 わたしは目を見張った。そんなことを言われたのは初めてだったからだ。

「わたしの愚息にも見習わせてやりたいくらいだよ」

 その言葉にわたしは一瞬思考が停止した。頭の中で雪政さんの台詞が反響している。でも理解できなかった。理解したくなかった。

「………。ぐ、愚息? あああ、あの、む、息子さんがいらっしゃるんですか?」
「ああ。言ってなかったかな? 随分前に離婚しているが、君と同い年の息子がいるよ」
「そう、ですか」

 離婚という言葉にほっとしたが、気持ちは全く晴れなかった。悲しいのか、苦しいのか、辛いのか、それすらも分からなかった。よく分からない感情が胸の中に蠢いていた。
 わたしが思い悩んだ顔をしていると、雪政さんが少し低い声で諭してきた。

「だから、そんな目でわたしを見るのはやめなさい」
「っ……」
「わたしは答えるつもりはないし、受け止めるなんてこともしない。そんなものを持っているだけ無駄だ。早く捨て去ったほうが懸命だよ」
「……それは……」

 想うことも許してくれないんですか、そう言いたかったが、寸前で押し留めた。

「仕事、応援しているよ。頑張りなさい」

 酷く優しげな声で告げられた。雪政さんはわたしの横を通り過ぎ、後方で足跡を響かせながら去っていく。わたしはそれを物悲しく聞いていた。

「好き、なんです。雪政さん」

 そう呟くが答えはない。答えてほしいと思う人はこの場にはいない。わたしは声を潜めた。嗚咽が洩れそうになるそれを堪えるように唇を噛み締める。周りは静かだ。風に揺られてさらさらと葉が擦れる音だけがその空間を震わせていた。わたしは涙で滲んだ目を乱暴に拭った。そして、空を見上げる。

「………」

 わたしの視界に入ってきたのはどんよりと曇った空だった。まるでわたしそのもので、わたしの心を映しているようだなあと思った。瞬間、ぬるい風が肌を撫でた。湿気が肌に纏わりつき、じわりと汗が滲んだ気がした。少し不快に感じた。

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