私の世界はいつだって四角い空と私がいるこの白い空間だけだった。何て狭くて小さな世界だろうか。こんなに小さな世界なのだから関わる人達は必然的に限定されてくる。まずは両親。そしていつも私の体調管理をしてくれる美人な看護師さん。そして最後は無愛想な主治医の先生だ。私の世界にはこの四人しか存在しなかった。他にも入院している患者さんがいるらしいが私は顔を合わせた事がない。何故かは知らないけれど。両親が私の療養の為にと選んだこの真っ白な個室が私の世界で、居場所だった。
白いベッドの上で四角い空を眺めることが私の日課だった。晴れ、雨、曇りと様々な表情を見せる空は見ていて飽きないのだ。雲の形から空の色でさえ毎日違うそれを見ては与えられたスケッチブックに描いていく。今日は雲一つ無い青空だ。水色の色鉛筆をスケッチブックに滑らせているとカラカラ、と部屋の扉が開かれた。視線を上げれば相変わらず無表情な主治医が立っていたのだ。どうやら回診の時間らしい。
主治医は無表情のまま私の傍までやってくる。笑顔の一つも浮かべないなんて、だから小さい子供には怯えられるんだ。私は再び視線をスケッチブックに落とし彼の口から放たれる業務的な言葉を聞いていた。

「体調はいかがですか」
「問題ないです。特に違和感も感じないし」
「熱はどうでしたか」
「平熱でしたよ。今日も元気です」

そうですか、と返す抑揚の無い先生の声を聞きながらふと思い出す。あれはそうだ、昨日のことだ。
花瓶の水を交換していた美人な看護師、もとい美奈さんが嬉しそうな顔で言っていた。まるで内緒話でもするように声を潜めて「私ね、赤ちゃんができたの」と教えてくれたのだ。それを聞いた時、頭を鈍器で殴られたかのような衝撃を受けたことを覚えている。口ではおめでとうと言ったが内心ではそれを祝福など出来なかった。彼女に赤ちゃんができたということは、その父親はあの無愛想な主治医だと分かっていたから。何故素直に彼女を祝福出来ないのか、それは簡単なことだ。報われない、馬鹿みたいな想いを私はあの人に向けてしまっていたのだ。恋人のいる、あの人に。よりにもよって何故あの人なのか、と呆れてしまうが私の小さい世界には父親以外の男といえばあの人しかいないのだ。間違った想いを抱くのは寧ろ当たり前だったのかもしれない。
余計なことまで思い出してしまったが彼に関係のある前者を目の前の先生にぶつけてみる。

「そういえば先生、おめでとうございます。赤ちゃんができたって」
「…彼女から聞いたんですか」
「“先生以外には名前ちゃんが初めて教える相手なの”って言って教えてくれました」
「あいつも口が軽い…」

僅かに眉根を寄せた先生ははあ、と一つ溜め息を吐く。どうやら美奈さんの口の軽さに呆れているようだ。けれど子供ができたというおめでたい話だ、言い触らしたくもなるんだろう。

「でも先生が親になるなんて何だか想像つかないですね。…ほら、先生って子供を愛でるようには見えないし」
「失礼なことを言いますね…まあ確かに聞き分けの無い子供は嫌いですが」
「そんなこと言って。笑顔の一つでも浮かべてみたらどうですか?いつもそんな仏頂面じゃあ生まれてくる子供にまで怖がられちゃいますよ」
「余計な世話です」
「ほらまた冷たい。そんなんじゃあいつか美奈さんに逃げられますよ?」

茶化すように言えば先生は鼻で笑い「本当によく減らない口だな」と口にした。そう言って先生はぱらぱらとカルテを捲る。先生の中で私は口の減らない生意気な餓鬼だと位置付けられているだろう。それでいい。何も、私が抱いている想いが実ってほしいというわけではないのだ。ただ、彼の中で特別な位置にいられるなら、それが近しい距離でなくてもいい。例えそれがただ単に医者と患者という関係であっても、だ。軽口を叩ける今の関係が、一番良い。

「宮田先生、……おめでとうございます」
「…有難うございます」

カルテに何かを書き込む先生に、今度は少しだけ祝福の気持ちを込めた言葉を送る。すると先生はカルテから目を離し、しっかりと私の目を見ながらお礼を口にした。相変わらず抑揚の無い声色だったけれど。
右手に持った水色の色鉛筆はスケッチブックを滑る。紙の中の晴れやかな空が、私の心とは対照的で酷く憎らしい。


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