ゴオオオン…と遠いところで鐘が鳴った。食べ終わった蕎麦の器から外を見つめてふうと息をつく。ああ、今年もまた終わった。また、今年が始まる。そんな実感は全く無いのに謎の感動が私を包んでいた。ただ年が変わるだけだというのにどうしてこう、人間は騒いでしまうのだろうか。不思議だ。蕎麦の器を見下ろしてから、ふと立ち上がる。器を食堂に返そうと思った。自室を見渡して、寒さにぞっとする。常であれば賑やかなこの長屋も冬休みの今は静かだ。くのたまで学園に残っているのは私だけだろう。普通はみんな家に帰って家族と年越しを過ごしたがるものだ。私もそうなのだけど、なんとなく今年は違った。今年は学園で年越しをしたかった。なんて、変なセンチメンタル。ちゃんちゃんこに袖を通して、私は食堂へ向かった。

食堂には灯りが着いていた。誰かいるのだ。特に気にもせずに食堂へと入れば、そこにいたのは忍たまの中在家だった。手にしていたふたつの器を水に浸けてゆっくりとこちらに視線をやる。どうやらひとりらしい。しかし器をふたつ持っていたところから、他に友達がいるのだろう。忍たまは何人か残っているのかも知れない。中在家に近付いて行きながら私は口を開いた。


「明けましておめでとう」

「…おめでとう」

「中在家も家に帰ってないんだね」

「…お前も…」

「うん。私も帰ってない」


ちゃぷん。冷たい水の中に器を落とした。やけに重たい音を立てて底にぶつかったそれは、しかし割れてはいないだろうと分かっている。隣に並んだ中在家を見上げて、目を細めた。中在家は背が高い。低学年の頃から周りよりずば抜けて体格がよかった。手や足も長く骨組みもしっかりしていたが、その所為で中在家は素早い動きが出来ないという忍者にとっては致命的な弱点を背負っていた。急な成長に骨がついていけず痛みを伴うこともあり、眠ることも出来ない日があったと前に話してくれたことを思い出す。いつしか「中在家長次は忍者にはなれない」なんて心の無い噂が立つようにもなった。だけど、中在家はくじけなかった。誰に何と言われようと見向きもせず、そうして、今の中在家になった。日々を重ね、傷を重ね、年を重ね────私達は、六年の歳月を越えた。


「今年で」


中在家が口を開いた。とても小さな声だったけれど、よく聞こえた。どんな音でも聞こえるようそういう訓練をしたからなのだが、なんだか可笑しくなった。私って成長してるんだなって客観的に思えて、心の中で笑った。


「今年で、終わりだ」

「…そう。私達は今年でお仕舞い」

「だから今年は…今年だけは、ここで年を越したかった」

「うん。私も同じ」


後三ヶ月もすれば私達は卒業してしまう。ここで学んだことを生きる糧にしながら、ほんとうの『忍者』になる。どんなに願っても我が儘を言っても戻ることは叶わない。私達は『忍者』になる為に日々を、傷を、年を重ねてきたのだから。もう戻ることの出来ないこの学園で、思い出が欲しかった。きっとここを出れば待っているのは辛いことばかりだ。時々学園へいらっしゃる照代さんが仰っていた。忍者という仕事は、正直、いいものではない。汚れ仕事ばかりだと。それがくノ一であれば尚更だと。だから今の生活を楽しみなさいと、微笑みもせずに仰った。怯えは、ない。後悔もない。ただただ漠然としていたけれど、ひとつだけ分かったのは、このままでいられたなら幸せなんだろうなってこと。隣にいる中在家を見上げる。中在家の目は、とても穏やかだった。


「…中在家」

「……」

「今年の私達は何をしているか分からないけど」


思い出は妄想と同じ。気休めでしかない。そんなもので腹は満たされない。それでも諦め切れないのは人間の欲だ。年を越えて成長する度余計な知能は増えていく。何も知らないままであればよかったのかも知れない。だけどそれが許される訳もなく、私は成長した。『忍者』になるということを、理解出来るようになった。

だけど、この学園で過ごした日々は本物だから。


「よろしくね」

「……あぁ」


よろしく、と言って差し出された手を握る。大きな手はごつごつしていて冷たかったけれどとても優しかった。覚えていよう、と思った。この手を、この日を。忘れられない年にしようと思った。

また今年が始まる。去年とは違う、一年が始まるのだ。





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