甘い香りがする。
それに誘われるようにぼんやりと足を動かし、部屋の扉を開く。
そこに飛び込んできた、赤に目を奪われた。
あれ、あれだ。急激に喉に乾きを感じ、ごくりと生唾を飲み込む。音がやけに大きく聞こえた。一歩を踏み出す。あれが、欲しい。

「……会長、どうしました?」
「あっ……」

舞台にぱっと電気がついたように、ふっと視界が晴れて周囲が映し出された。役員たちがきょとんとした顔でこちらを見ている。
しまったと我に返り、顔の前に腕をやって慌てて数歩後退した。

「ばっ、バカ野郎早く傷を塞げ!」
「そんなに怒らなくても。ちょっとカッターナイフで切っちゃったんだあ」

生徒会室の真ん中に設置された応接用のソファに腰掛け、会計が笑う。突き出された右手には、赤い色が付着していた。どうやら血は止まっているらしい。それを甲斐甲斐しく、書記が治療していた。副会長と庶務はその様子を見守っている。

「会長って、血とかダメな人?」
「違う。そんなんじゃない。……おい書記、血を拭いたティッシュは袋の中に入れてから捨てろ」
「やっぱダメなんじゃん」

唇を尖らせてほらみろとこちらを指差す会計へ上手く反論することもできず、口をもごもごさせて結局は隣の給湯室に逃げ込んだ。そのまま冷蔵庫に入っていたペットボトルを取り出し、水を無理やり口内に流し込む。
決して血が苦手なわけではない。まして、ショッキングな物に貧血を起こすなんてこともない。好きか嫌いか二択で示さなければならないのなら、好きに部類されるのだろう。ただそれは好意や趣向での"好き"とはわけが違う。必ず行わなければならないことをしょうがなくとやっているだけで、本当は嫌いなのかもしれない。
詰まる所、俺は血を飲まなければ生きていけない体なのである。
食事というなら聞こえはいいが、それは人を傷付けて更にその血を飲むという、非道徳的な行為だ。血を摂らなければ生きてすらいけないが、どうしても血を飲むことができなかった。

「会長、大丈夫ですか?」
「おー、ちょっと喉が乾いて……」

ひょこりと給湯室の入り口から顔を出した副会長に応じるように手をひらひらと振って見せる。
この乾きや空腹は、満たされることはないだろう。
くらりと揺れた視界を見なかったことにしようと、首を横に振った。





「会長、会長」

二三度肩を揺すられ、意識が呼び戻される。
瞳を開いて周囲を確認すると同時、ひどい目眩に襲われた。いつもより悪化している、それはもはや飢餓だ。

「会長、今日は会議ですよ。……具合が悪そうですね、欠席しておきます?」

目の前の副会長が怪訝そうに眉根を寄せる。いつの間にやら、生徒会室のソファで寝入ってしまったらしい。
ぱちくりとこちらを観察してくる彼を見、ごくりと唾を飲み込んだ。健康そうなその肌の下に流れる、鮮やかな色を想像する。そこに歯を立てて、じわりと染み込むその甘い一滴を、想像する。喉の奥まで潤し満たしてくれる、その色は、

「会長?」
「……なんでもない。会議は出る」

考えを振り払うように額に手を置き、舌打ちをした。
本当に大丈夫なんですかと心配そうに声を掛けてくる副会長に軽く手を上げ返事をしつつ、今日の会議で使う書類を机から漁る。ぼりぼりと頭を掻きどれだともごもごと呟きながら、けれど頭に内容が入ってこずに羅列された文字を眺めた。

「これですよ」
「お、……んん」

横から副会長の手が伸びてきて、二三枚指で摘んでいった。お礼を言おうと口を開くも、すたすたと先へ行ってしまった後ろ姿に言葉を飲み込んだ。目は覚めたものの、ぼんやりと靄が掛かったような視界だ。
大きく息を吐いて、一度呼吸を落ち着ける。
そのまま生徒会室を出て、待っていた副会長と並んで会議室の廊下を歩いた。

この学校は少し特殊で、ほとんどの行事や決め事が生徒主体となって決められる。その中心となって話を進めていくのが、生徒会。生徒を取り締まって生徒会の手伝いをするのが風紀委員会。そして各委員会の委員長が後に続く。今回の会議では役員とそれぞれの長が集まって、行事について話し合っていくものだ。
大きく長方形に並べられた机には、各委員長たちが顔を揃えて向かい合っている。今にも会議が始まるという静寂の中、今回司会進行を務める副会長は、とんとんと指で机を鳴らしながらその場にいる生徒へ圧迫感を与えていた。

「すまん、遅れた」

そんな中甘い匂いを引き連れたソイツは、そう軽い挨拶で会議室へ入室してきた。全員が全員彼に目が釘付けとなる。
風紀委員長、と副会長は眉間にシワを寄せどすの効かせた声で呼ぶ。
俺はといえば、室内に満たされた香りに一瞬くらりと視界がぶれた。がつんと一発殴られたように思考が飛んで、次いで靄がかっていた意識が覚醒する。

「遅れた、じゃないですよ。大遅刻です。いったい何をしてたんですか!」
「いや途中でF組どもに喧嘩売られちまってよ。買ってきた」

副委員長と彼の会話は右から左へと流れていき、よろよろと半ば覚束ない足取りで二人の元へ向かう。気付いたように風紀委員長が軽く手を上げ――けれど油の切れた機械のようにぎこちない動作で止まった。

「なんつー顔してんだお前」

その言葉も耳に届けども頭には入らず、ぼんやりと彼のワイシャツに手をかけ頭を埋めた。周囲がざわりと騒がしくなったような気もしたが、フィルターが張られたようなくぐもった音にしか聞こえない。
一度、深く息を吸い込みその香りを堪能する。まだ傷口から溢れでたばかりである熱い液体の、甘いどろりとしたその香りは、会計が傷を作った時よりも濃厚なものだった。

「お、おい、」

制止しようと伸びてきた手を抑え、その出所を探る。そうして右手に二、三ヶ所、ナイフで切られたような切り傷があるのを見つけた。会計よりかは深い傷だが、それでも重傷には及ばない。ただ、そこからはどんな極上の料理にも劣らない、美味しそうなにおいが、する。
傷が出来たことに気付かなかったのだろう、放置されたそれはじわりじわりと赤い色が滲んでいた。我慢していたのは、これだ。葛藤なんてどこかに消し飛んだ。
無我夢中で右手を取り、指にそっと舌を這わせば舌先からじんわりと味が染み込んでいく。こくりと嚥下すれば、甘いそれが腹のうちに落ちていった。その一滴を皮切りに、もっともっとと指や手のひらに口を付ける。

「……っ、おい! 」

突然腕を振り払われ頭を両手で抑え込まれたと思ったら、強引に目線を合わせられた。まだ欲しい足りないと拘束を解こうともがいていると、ふと目の前の瞳にじっと見つめられ名前を呼ばれていることに気付く。

「……あ」

はっとして視線をそこらにさ迷わせれば、各委員長たちがこちらを呆然と見詰めているではないか。更に近くにいた副会長は顔をひきつらせ口をわなわなとさせている。

「あああのこれ、これはだな……!?」
「……いいんです。もう隠さなくて」

慌てて言い訳をしようにも上手い言葉も見付からず、とにかく腕を振ることだけで応えると、ついに副会長は泣きそうに顔を歪めて叫んだ。

「風紀と付き合っていたなんて、知りませんでした……!何故教えてくれなかったのかと糾弾するつもりはありません。ただ、俺が相談や報告する技量に足り得なかったということですよね……!?」
「いいや全部違う!」

弁解する暇もなく、ついには顔を覆って泣き出し会議室を飛び出した副会長を追える者など居なかった。
ひそひそ、会長様が副会長を泣かせた、ひそひそ、まさか三角関係?、ひそひそひそひそ。隠せていない好奇心が背中にずしりずしりと乗っかる。

「……よくわからんが、追っ掛けてやれよ……」

若干ひくついた声で、風紀が扉を指差した。なんの返事も出せず渋々と頷き、重い足を引き摺って副会長の後を追おうとする。なんだか、空腹が満たされたような感覚だ。少なからず血を含んでしまったからかと思うと、気が重い。
と、そこで風紀委員長に謝罪すらしていないことに気付き慌てて振り返る。

「後で十分に飲ませてやるから、今は行ってこいよ」
「な、なんで知っ」

風紀委員長の姿を見留める前に、耳元で吹き込まれた言葉に固まった。慌てて向き合えば、弧を描いた唇に指を添えしぃっと息を漏らす。

「俺のはうまいだろ?吸血鬼」

嫌な予感しかしない。





フォロワーさんが考えていた設定が素敵すぎて思わず書かせてもらったけど生かしきれなかったアレ。ありがとうございました!
2014,0917.


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