スライム×生徒会長
驚いた。世の中には色んな生き物がいることは理解していたつもりだったが、空想上の世界のみだと思っていた生物まで存在していたとは。
「………この場合野良スライムと捨てスライムと迷いスライム、どれなんだ?」
全寮制男子校で生徒会長を務めている俺、千葉誠(ちば まこと)は気晴らしに訪れた裏庭で、黄色いスライムと遭遇してしまった。
【スライムと会長様】
えーと、この場合どうしたらいいんだ?
確か生徒手帳に迷い込んだ動物を見かけた時は警備員に報告するとか書いていた気がするが、そもそもこいつは動物として扱っていいのか?
プルプルと風に揺れているのか自分で揺れているのか分からないが、スライムは何だか怯えているようにも見える。
おそらく目と口の役割を果たしているのだろう3つの窪みは、ムンクのようにも見えなくはないがそれよりは愛嬌があって可愛い。
俺は木の影から姿を覗かせるスライムを見つめながら一歩近付いた。するとビクリ、と驚いたように体が揺れる。
やはり怖がっているのだろう。俺はスライムとなるべく目線が合うようにしゃがみ込むと、敵意がないことを現す為に両手を前に出してみた。
「ほら、怖くないぞー」
笑顔の一つでも見せてみようかと思ったが、普段からあまり表情を出さない性質なので無愛想なのは許して欲しい所だ。
スライムは伺うように俺を見ていたが、暫くして体をゆっくりと俺の方に近付けた。懐いてくれたのだろうか。
手をそろりと伸ばしてみると怖がらないので、そのまま表面に触れてみた。プルプルとしたゼリー状の体は冷たくて気持ちいい。
「それよりこいつ…どうするか…」
冷たい感触を楽しみながら俺は思案する。
その間スライムは俺に慣れてきたのか自分の体を膝の上にまで移動させてきた。なかなか図太い神経を持っているようだ。けれどきょとんと俺を見つめる目が可愛いので良しとする。
ところで校則に従って警備員に預けるとこいつはどうなるんだろうか…。やっぱり保健所に連れて行かれるか…いや、それだと処分されるに決まってるじゃないか。そんな鬼畜なこと出来る筈がない。
「…とりあえず、生徒会室に連れてくか」
膝の上のスライムを持ち上げてみる。
抵抗もなくすんなり俺の手の中に収まってくれる大人しさに安心しながら、俺は「動くなよ」と言い聞かせてブレザーの中にスライムを押し込むと、普段留めないブレザーをキッチリと着込んで周囲を見回しながら校舎内に戻った。
「会長!」
あともう少しで部屋に辿りつく、という所で後ろから声がかかり俺は驚きの余り肩を揺らした。後ろから聞こえる声と足音に振り返れば、最近会う機会の減った親衛隊長が息を切らせて駆け寄ってくる。
俺は平静を保ちながら、気取られぬようブレザーを握り締めつつ首だけを相手の方に向けた。
「お忙しい所すみません。ついさっき、親衛隊会議の方で他の役員の親衛隊解散が決まりました。つきましては役員会議の方でも…」
あぁ、そう言えばこの春騒がしい転校生が現れてからというもの、俺以外の役員が業務を放棄して転校生に付きっきりになっていたんだった。一人で業務をこなすのはさほど忙しい訳でもなく、けれど部屋に一人篭っているのも憂鬱な気分だったので気晴らしに中庭に訪れて今腹の中にいるスライムと遭遇を交わしたという訳である。
正直周りが他の役員をリコールしろとか騒いではいるが、俺はそんなことより誰か手伝いに来てくれればいいのにと考えていた。別に一般生徒の業務の手助けは禁止されてないのに。
逆に俺からすれば、立場だの責任だの義務だのたかが学生の中の表面上の制度で騒ぎ相手を陥れる生徒も業務をサボっている役員と何も変わりはないと思っている。それより最低限の校則を守れよ、とか普段なら思っている俺だが今日は自分も校則違反をしているので何も言えない。
「会長から言い辛いようでしたら、私が風紀にかけあって…」
「話はそれだけか?」
若干興奮しているのか捲くし立てる様に語る親衛隊長に俺は冷めた視線を送る。
すると、自分の一方的な主張が失言だと気付いたのか親衛隊長は戸惑いながら気まずそうに俺の表情を伺った。
「え、あ、あの…」
「俺は今俺の出来ることをしたいんだが。別に心配してくれているのは分かるから好きにすればいいが、これ以上俺の仕事を増やすのっは…っ!」
やめてくれないか、と続けようとした言葉は肌に突然貼りついた冷たい感触のせいで声にならなかった。上げそうになった悲鳴は押し殺して何とか唇を噛み堪える。
どうやらスライムが大人しくしているのに飽きたのか、ブレザーの中で動き回っている。のは、まだいいのだがその冷たい自身の体をシャツの中に侵入させているようだ。
こら、そこは別にダンジョンなんかじゃない!勝手に探検を始めるな…!
その様子に親衛隊長は眉を潜めながら不安な表情で俺を伺い近付いてきた。それから逃げるように体を引かせて、俺は話を切り上げて早く生徒会室に戻ろうと口を開く。
「と…っにかく、その話は、また今度だっ、今日、は…忙しい…っ」
「あ、は、はい…」
呆然としている親衛隊長を横目で見ながら俺は次こそ、と足を部屋に向けて動かした。少し懸念していたが追ってくる様子はなくホッとする。
そのまま他の生徒に会うことなく部屋に入った俺は、すぐに鍵を閉めてブレザーの前を開いた。先程までの丸っぽい形状はどこへいったのか、今はその体を自由に変形させて俺の上半身のシャツの間をすり抜けたり行ったり来たりとやりたい放題のスライムに、俺は冷えた体と共に訪れる熱に舌打ちしつつ呆れながらその一部を引っ張った。
「おい、冒険ごっこは終わりだ」
顔部分はどこに行ったのだろうと思っていたら、どうやら胸付近で遊んでいたらしい。シャツのボタンの間からきょとんとした顔を覗かせつつ(くそ、可愛いなんて思わないぞ今は)スライムは何やら口部分を開閉させて俺を見た。
「かー、かー、いちょー?」
「…おお」
なんだ、喋れるのかこいつ。
俺は驚きながらスライムを見ていると、スライムは「かいちょー、かいちょー」とオウムのようにその単語を繰り返す。どうやら親衛隊長の言葉を聞いて覚えたらしい。
俺はスライムを持ち上げて自分の体から離すと、自分と同じ視線の高さまで持ち上げた。
「俺は会長だけど名前は千葉だ、千葉」
「チー、バ?」
「そうそう。チバ、チバ」
練習するように何度も名前を繰り返す姿に俺は笑ってスライムを脇に抱え移動すると、会長デスクの上にスライムを置いて椅子に腰掛ける。
慣れてきたのか、俺の名前を流暢に言えるようになってきた頃を見計らって俺はスライムに質問した。
「おい、お前は名前なんて言うんだ?」
「?」
「名前、なー、まー、え」
「なー、まー、えー?」
「ないのか?」
「?」
どうやらスライムに決められた名前はないらしい。
「スライムって呼ぶのもなぁ…よし、お前黄色いから沢庵(たくあん)にしよう、沢庵」
暫く悩んで俺はスライムをそう名づける事にした。よく家族や友人からネーミングセンスが悪いと言われるが、自分ではそんなに悪いものではないと思っている。
「たーく、あん?」
「そうだ、たくあん。美味いぞー?」
「?」
頬っぽい所を指でつつけば、沢庵は不思議そうな表情を見せつつ何度も自分の名前を復唱した。
そして俺と自分を見ながら確認するように口を開く。
「た、くあん…と、ち、ば?」
「何だお前頭いいじゃねーか」
頭を撫でると嬉しそうに目を細める沢庵に俺も笑うと、机の上の書類を手に取った。
こんな可愛い動物(?スライム?)を保健所に連れていって処分するとか警備員も何を考えてるんだ。まだ連れてかれるって決まった訳じゃないけども。
「俺は暫く仕事しなきゃなんねーから、沢庵はその間部屋ん中好きに動いてろよ」
そう言って目の前の書類に集中すると、どうやら意思が伝わったのか沢庵は暫く俺の仕事の様子を見つめた後で一人で体から触手を伸ばし机を降りると、姿が見えなくなった。
扉の鍵は勿論、空調を効かせている為窓も閉めきっているので部屋の外に逃げることはないだろうと、俺は改めて今日の分の業務を終わらせるべく積み重なった書類を上から片付けていった。
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