恋心



放課後、日直だった敦貴は日誌を担任であるモロキンに提出して職員室を後にした。
教室へ戻る途中、教室で自分を待っているはずの陽介の姿が窓の外に見えた。

(教室で待ってるって言ってたのにどうしたんだ?)

不思議に思いながら窓へ近づいて声を掛けようとしたら、陽介の前に女の子が立っているのが見えて咄嗟に窓の下にしゃがんで身を隠した。
ここからでは二人の声は聞こえないが、でもたぶんあのシチュエーションは『告白』だろう。
そっと窓の隅から覗いてみると顔を赤く染めた可愛らしい女の子が、陽介に向かって躊躇いがちに何か話しかけている。あまり見かけた事が無いから、たぶん1年生だろう。
陽介はこちらに背を向けるかたちで立っているので、ここからでは陽介の表情は見えない。
ジュネスの店長の息子と言う立場のせいで、偏見に満ちた眼差しを向けられる事はあっても、こちらに越してきてから殆ど好意を向けられる事の無かった陽介だが、最近陽介を見る周りの目が変わってきた。
もともと整った容姿と優しい性格。本来ジュネスの事がなければ、かなりモテる部類に入るはずだ。それを覆い隠すほどの偏見に包まれていた陽介だが、事件の事で精神的に成長した彼は、そんな偏見など消し去ってしまうほど心身ともに逞しくなり、周りが陽介の魅力に気付きだしたのだ。
そんな陽介に想いを寄せる女の子が現れ始めたのも至極当然のことで、陽介に熱い視線を向ける者もいれば、下駄箱にラブレターを入れている女の子を見たこともある。
だが、こうして直接本人に告白している姿を見たのはこれが初めてだった。

(あの子と付き合うのだろうか。)

そう考えた時、敦貴の胸の中をズキッと鈍い痛みがはしった。
痛む胸を押さえながらも二人から目が離せなくて、覗きなんて良くないと分かっていても二人から目を離す事が出来なかった。
その時、俯き気味だった女の子が意を決したように陽介の顔を見据えて口を開いた。

『好きです。』

そう言ったのがここからでも口の動きで分かった。
次の瞬間、敦貴は窓から離れて駆け出した。
階段を駆け上がって2階にある自分の教室へととび込んだ。
後ろ手にドアを閉めて、そのままドアにもたれながらズルズルとその場に座り込む。
誰もいない教室に敦貴の荒い息の音だけが響き渡った。

陽介が周りに認められるのは嬉しい。
商店街が廃れていくのは、別に陽介のせいでもなければ陽介の両親のせいでもないのに、今まで偏見に満ちた目で見られていた事こそがおかしいのだ。
だから陽介がいい奴なのだと理解し、認められる事は自分の事の様に嬉しかった。
でも…
でもそれと同時に、陽介に魅かれてその思いを陽介に告げる女の子達の事が妬ましくて仕方が無かった。

だって、俺にはそんな事は出来ないから。

『陽介の事が好き。』

ずっと前から。
河原で彼を抱きしめた時から……いや、もっと前から。
たぶん初めて出会った時から。

名前と同じ太陽みたいな笑顔が好き。
『相棒。』って呼ぶ声が好き。
柔らかなライトブラウンの髪が好き。
陽介の全部が好き。

でも、この思いを伝えてしまったらきっと彼を困らせてしまう。

ずっと彼のそばにいたい。
いつも自分の隣で笑っていて欲しい。
今は相棒として彼の隣にいる事が出来る。
彼に彼女ができるその時まで……。

「そばにいて、相棒って言って笑いかけてくれるだけでいいと思ってたはずなのにな………。」

そう思ってた筈なのに、実際はあんな場面見ただけでみっともない位にうろたえて、スゲー凹んでる。情けない。
陽介だっていつかは可愛い恋人つくって、結婚して子供が出来て、幸せな家庭を築くんだって分かってたつもりなんだけど、それを改めて突き付けられた様な気がして堪らなかった。
心のどこかで『誰も俺から陽介を奪わないで!』なんて、そんな自分勝手な事を思う自分に反吐がでる。

バカみたいだ。


しばらくすると、自分が座りこんでいるのとは反対側のドアが開いて、誰かが教室に入ってきた。
でも、きっと今の自分はとてもみっともない顔をしているような気がして、顔を上げる事が出来なくてそのまま黙って座りこんでいた。すると俺に気付いたその人物はゆっくりとこちらを窺う様近づいて、声を掛けてきた。

「あいぼー?」

声の主は陽介だった。

「ちょっ、どうしたんだよ、こんなとこに座りこんで。もしかしてしんどいのか?大丈夫かよ?」

いつもと様子の違う敦貴を見て、陽介は酷くうろたえた様な声であれこれ敦貴を心配してきた。
敦貴の横にちょこんとしゃがみ込んで、こちらを覗き込んでくる。

「どっかしんどい?」

「…しんどくない。」

「どっか痛い?」

「痛くない。」

「何かあった?」

「何にも無い。」

「んじゃ、俺に何かできる事がある?」

「………ない。」

「………そっか。」

少しの沈黙の後、陽介は諦めた様に小さくため息をつくと床に尻を付いて座りこんだ。
そして敦貴よりも少し体温の高い手が敦貴の頭を優しく撫でる。

「子供扱いするなよ。」

「何があったか知らないけど、お前がそんなとこに座って拗ねてるからだろ。」

「拗ねて無い。」

子供扱いするなと言いながらも、頭を撫でる陽介の手が酷く心地よくて払いのける事はしなかった。
何なんだろうこの格好悪い状態は。
いつもみたいに頼れるリーダーらしく、しっかりしなきゃって思うのに、床に座り込んで陽介に頭撫でられてるとかありえない。
愛屋の雨の日メニューだって完食したし、ステータスMAXじゃ無かったのかよ俺!
陽介が女の子に告白されてるの見ただけでこんなに凹んでるとか、いったい何処の恋する乙女だよ。

「職員室で何か言われたのか?」

「優等生の俺がそんな事ある訳ないだろ。」

「自分で優等生って言うなよ。じゃあ……職員室出てから何かあった?」

「………ない。」

一瞬言葉に詰まってしまったが、声が震えそうになるのを堪えながら答えた。
敏い陽介には今のでバレてしまったかもしれない。
すると少し呆れたように「うそつきだな。」って呟かれた。
そう言った陽介の笑顔がとても優しくて、この笑顔が先ほどの女の子にも向けられるのかもしれないと思うと胸が苦しくなった。
また少しの間沈黙が続いて、その間も陽介はずっと敦貴の頭を撫でくれた。

「断ったよ。」

「え?」

突然告げられた言葉に思わず顔を上げると、優しく笑う陽介と目があった。

「さっきの告白。見てたんだろ?」

なんて答えて良いのか分からなくて黙っていると、頭を撫でていた陽介の手が頬に下りてきた。

「俺の自惚れじゃなければ、お前が拗ねてる理由ってさっきの告白かなと思ったんだけど。」

「そっ、そんなわけ無いだろ。」

「じゃあさ、何でそんな切なそうな顔してんだよ。」

「そんな顔して無い。」

「泣きそうな声で言われても説得力ねーし。このままだとさ、俺、都合のいいように誤解しちまうぞ?」

陽介の言っている意味が理解できなくて、黙って陽介を見つめれば、優しい笑顔がゆっくりと近づいてきた。
陽介の笑顔、やっぱり好きだなってぼんやり考えていたら、顔のすぐ近くで「嫌だったら避けろよ。」と陽介が囁いた。
何の事だろうと思っているうちに柔らかいものが自分の唇に触れて、それが陽介の唇である事に気付いたのは唇が離された後だった。

「な…んで?」

どうにか絞り出した声は驚きで掠れていた。

「嫌だった?」

フルフルと首を振って否定すれば、

「俺、敦貴の事が好きなんだ。」

「うそ…。」

「いくらなんでもこんな事で嘘なんてつかねーよ。それに好きじゃなきゃキスなんてしねーし。」

「だって、こんな…夢みたいな事が…あるわけ…。」

「夢じゃねーよ。ほれ。」

そう言って頬っぺたをむにっとつままれた。

「いひゃい。」

「な、夢じゃねーだろ?」

頬っぺたをつまんでいる陽介の手をペシッと払いのけると、陽介の胸に抱きついた。勢いが付いていたので、押し倒す様なかたちで二人とも床に倒れ込んだ。

「ちょっ、うわぁっ!」

倒れた時にどこか打ち付けたのか、陽介が小さな声で唸っている。

「いきなり何すんだよお前は。」

「冗談だったら許さない。」

「信用ないな〜。冗談じゃねーって。」

「俺男なんだけど。」

「知ってるよ、トイレでちゃんと付いてるの見たし。」

「どこ見てんだよ変態!バカ!スケベ!アホ!」

とんでも無い事を言った陽介の脇腹に制裁のパンチを数発お見舞いしてやる。

「うげっ!やめっ、ちょっ、げふっ!!」

パンチをくらったせいで陽介が咽るから、陽介の胸の上に顔を乗せている俺にダイレクトに振動が伝わってうるさい。

「陽介うるさい。」

「げほっ、お前が殴るからだろ。」

「自業自得だバカ。」

陽介の胸から忙しない呼吸と少し早い心臓の音が聞こえてくる。

「そんでさ。」

「ん。」

「冗談とかじゃなくて本気だから。だから…お前の気持ちも聞かせて。」

スッと陽介の腕が背中に回されて、優しく包み込むように抱きしめられた。

こんな思い受け入れられるはずが無いって思ってた。
誰からも祝福される事のない思いだと言うことも分かっている。
それでも、やっぱり。

「後でやっぱり無しなんて言ってもダメだからな。」

「言わないって。」

「陽介のくせにカッコいいとか生意気だ。」

「何だよそれ。」

「陽介の事なんか、陽介の事なんか大好きだよ馬鹿野郎。」

「うん、ありがとう。俺も大好き。」

胸に抱きついていた体をグッと引き上げられて、陽介と目が合った。
驚きで開かれた口はすぐに陽介の唇で塞がれた。
少しずつ深くなる口付けに、幸せすぎてクラクラする。
いつの間にか体制が入れ替わり、床に寝かされた俺の上に陽介が覆いかぶさっていた。
朦朧とする意識の中でカチャカチャという金属音が聞こえる。それが自分のベルトが外されている音なのだと気づいて、心地よいキスに酔いしれていた意識が一瞬にして引き戻された。

「ちょっ!待て!!何やってるんだ!」

「へ?何って…ナニ。」

テヘッなんて擬音の付きそうな感じの笑顔がむかつく。

「何馬鹿な事言ってるんだ!ここをどこだと思ってる。ふざけんな!」

「えー。」

「えーじゃ無い、このバカ介。しかもこの流れってもしかして俺が下か?」

「え?何?もしかしてお前、上が良かった?」

男同士でそういった事をするのならば、どちらかが女役をすることになる。それは分かっているし、敦貴としては別に上であろうが下であろうがあまりこだわりは無い。こだわりは無いが…

「さも俺が下で当たり前といった感じなのがムカつく。」

「へ?」

「犯してやる。」

「へ?え?えええええええー!!ちょっ、ちょっとタンマ!待って待って待ってー!」

その後主導権を握るための取っ組み合いがしばらく繰りかえされた。
結局見回りにきた先生にけんかしてると勘違いされ、注意を受けた後に教室を追い出されてしまった。
普通ならお互いに想いが通じて、甘い恋人関係の始まりとなるはずだろうに散々だ。
でも……でもこんな始まり方も俺達らしいのかもしれない。

前を歩いている陽介の手をそっと握ったら、驚いて振り返った陽介の顔が笑顔になって、ギュッと握り返された。
二人の新しい関係はまだ始まったばかり。
焦る必要なんて無い。
この温もりがある限り、どこまでも二人で歩いていけるから。







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