嵐の中



昼前から降り出した雨は段々激しくなり、大粒の雨が強風と共に窓にうちつける。
今は日も暮れ、真っ暗な闇の中から聞こえてくるのは激しく降る雨の音と風の音だけだった。

夏野は夜に降る雨があまり好きではなかった。
暗闇から聞こえてくるザーっという雨の音が不安を掻き立てる。
こんな日に限って両親は仕事の関係で朝早くから出掛けていた。当初夕方には帰ってくると言っていたけど、先ほど連絡があり、この雨のせいで道が通行止めになったから帰りは明日になるとの事だった。

一人ぼっちの家の中。外からは嫌いな雨の音。

「こんな事なら徹ちゃんの家に行けばよかった。」

昼間徹から遊びに来ないかと誘われたのだが、両親がいつ帰ってくるかわからないからと誘いを断ったのだ。
後悔してみたところでもう遅い。外は嵐。いくら近いとは言え、ただでさえ暗い村の道をこの天候の中出歩くのは危険だ。

せめて声だけでも聞きたい。そう思って電話の受話器に手を掛ける。でもそこでふと思った。普段電話なんかしないのに何て言えばいいのだろう?間違っても声が聞きたかったからなんてそんな恥ずかしい事は言えない。悩む事数分。結局声が聞きたいと言う心の方が勝って、言い訳なんてどうとでもなると電話をかけた。
数回のコールの後声が聞こえる。

「はい、武藤です。」

声はおばさんのものだった。

「こんばんわ、結城です。あの、徹ちゃんいますか?」

「あら、こんばんわ夏野君。ごめんね、徹は今お風呂に入ってるのよ。あがったら電話させましょうか?」

「あっ、いえ、たいした用事じゃないんでいいです。すみません、ありがとうございました。」

そう言うと慌てて電話を切ってしまった。
夏野はそのままズルズルとその場に座り込み天井を見上げる。
思い切って電話したのになんだか拍子抜けだ。
雨は相変わらず激しく降り続けている。

やっぱり嫌いだな、雨の音。
何もかも押し流してしまいそうな大きな水の音に胸の中がモヤモヤする。
窓の外の暗闇の中へと押し流されてしまいそうな錯覚。

しばらくボーっとした後、いつまでもこんな所に座り込んでいても仕方がないので部屋に戻る為に立ち上がろうとしたその時、急に電話のベルが鳴り響いた。
急に耳元で鳴り響いた大きな音に体がビックっと竦む。

「はい、結城です。」

慌てて受話器を取ると、電話の向こうから聞こえてきたのはずっと聞きたかった徹の声だった。

「よっ!夏野。おまえが電話くれたって聞いたから。どした?」

徹の声を聞いた途端、憂鬱だった心がみるみる晴れてくる。まったく自分の事ながらその現金さに呆れる。

「えっと、たいした用事じゃないんだ。あの……そう!勉強でわからない所があって、それで徹ちゃんに聞こうと思ったんだけど、結局自分で出来た。せっかく電話してくれたのにごめんね。ありがとう。」

「それはいいが……お前が俺に勉強をね……。」

とっさについたウソの言い訳。どうやら徹はあまり納得していないらしい。まあ、当たり前だ。普段徹に勉強の事を聞く事などめったにないのだから。ドキドキしながら徹の次の言葉を待つ。少しの沈黙の後徹が口を開いた。

「夏野、もしかして今一人か?」

「えっ、どうして分かったの?」

「夏野が電話してくるなんて珍しいからなんとなく。おじさんとおばさんは?」

どうやら徹ちゃんは何もかもお見通しのようである。

「この嵐で道が通行止めだって。今日はホテルに泊まって、明日帰ってくるって。」

「じゃあ、朝まで一人なのか…。俺、そっちに行こうか?」

「は?」

「よし、決めた!これからそっち行くからちょっと待ってろよ。」

いったいこの男は何を言い出すのだろう。外が今どんな状態なのか分かってるのだろうか?

「待ってろよじゃないだろ?外がどんな状態かわかってるのか?あんたバカだろう?!」

「大丈夫だって、ちゃんとレインコート着て行くし。」

受話器から聞こえてくる声は相変わらず能天気で、全く状況を分かっていない響きに思わず焦る。このままでは本当にこの嵐の中をやって来そうだ。

「いや、そう言う問題じゃないから。危ないだろ。絶対に絶対にダメだからな!来るなよ!」

夏野は言うだけ言うと、思わず電話を切ってしまった。
こんな嵐の中を外に出るなんて冗談じゃない。確かに徹には会いたいけど、もし徹の身に何かあったらと思うとゾッとする。

今度こそ部屋に戻ろうと立ち上がり、玄関の前を通りかかったときにふと思う。
まさか、本当に来たりしないよな…。
あれだけ来るなと言ったのだから大丈夫だとは思うが、徹の事である、何をしでかすかわからない。

じっと玄関の扉を見つめてゴクリと息を飲む。

もし本当にこちらに向かっていたらどうしよう。外はこんなにも酷い嵐なのに。
雨と風の勢いは気のせいか先ほどよりも激しくなっているような気がする。
電話をかけて確かめようか?でも、もし家にいて俺がまた電話なんかしてしまったら、今度こそ家にやって来るに違いない。
どうしよう。あの雨が何もかも闇へと押し流してしまったら…。嫌な考えに体がブルリと震える。
確かめる訳にもいかず、玄関で立ちつくしたまま悩んでいると“カタンッ”と外から音が聞こえたような気がした。風で何かが倒れたのだろうか?それとももしかして……。夏野はドアに駆けより勢いよくドアを開けた。
そしてドアを開けたその先には急に開いたドアにビックリする徹が立っていた。
レインコートを着ているものの、酷い雨と風のせいでその役目をほとんど果たしておらず、徹はずぶ濡れだった。

「よっ!夏野、ナイスタイミングだ。よく分かったな。」

人の気も知らないで相変わらずヘラヘラ笑って挨拶してくる徹に夏野がキレた。

「この……大馬鹿野郎!!!!いったい何考えてんだあんたは!!」

家中に響き渡る声で怒鳴ると、今だ玄関の外に立っていた徹の腕を掴んで中に引っ張り込む。すばやく扉を締めると、レインコートに手を掛け脱がせ、何処も怪我などしていない事を確かめるとそのまま風呂場まで連れて行く。
突然の出来事にポカンとしたままの徹にタオルとバスタオルを押しつけ、言い放つ。

「いいか、体が温まるまで出てくるなよ。着替えは後で持ってくる。わかったらさっさと風呂に入れ!」

それだけ言って乱暴にドアを締めた。


夏野は鼻息荒く、ドタドタと自分の部屋に戻ると徹の為に着替えを用意する。
スウェットとTシャツと下着を持って部屋を出る。脱衣所の扉をあけると、浴室からシャワーの音が聞こえる。徹は言われた通り風呂に入っているようだ。籠の中に着替えを置いて、そのまま部屋には戻らず台所に行き落ち着く為に水を飲んだ。
全く信じられない。
こんな嵐の中を歩いてくるなんて。何もなかったから良かったものの、もし怪我でもしたらどうするつもりだったのだろう?本当に考え無しで、いつも他人の事ばかり気にして自分の事には無頓着で!今回だって俺が一人だって分かったから…俺の為に来てくれたに違いない……危ないのに…。嫌になる。

「……無事でよかった。」

ホッとしたら一気に体から力が抜けて、夏野はそのまま台所に座り込んだ。

しばらくすると廊下から足音が聞こえ、ドアからひょっこりと徹が顔を出した。
何となくバツが悪そうに、窺うように声を掛けてくる。

「えーっと、お風呂ありがとう。それから………ごめん。」

もし徹ちゃんに犬の耳と尻尾がついてたら、きっと情けなく垂れ下がっているに違いない。それほどしょんぼりとしている。
夏野は座ったまま無言で手招きすると、徹が恐る恐る近寄って来た。
膝を折ってしゃがんだ所で、夏野が徹の首に腕を伸ばして引き寄せ抱きしめる。

「夏野?」

「…心配したんだ。こんな嵐の中を来るなんて言うから。」

「夏野…。心配掛けてごめん。」

徹も夏野の背に腕を伸ばして抱きしめ返す。

「来てくれたのは嬉しいけど、それ以上に怖かった。もし、徹ちゃんに何かあったらどうしようって。」

「うん。ごめん。」

「いくら近いからって、こんな嵐の中を無茶だよ。もう、絶対こんな事しないで。」

「えーっと………努力します。」

徹の答えに夏野の体がピクリと揺れる。

「努力しますってどういう意味?」

心なしか夏野の声に怒気がこもる。

「だって、どうしても夏野の所に来たかったんだ。こんな日に夏野を一人になんてしたくなかった。そばに居たかったんだ。だからもし、次もこんな事があったらやっぱり俺は夏野のそばに行きたくなるよ。」

「だからそれがダメなんだって!」

この男は何にも分かってない、俺がいったいどれだけ心配したと思ってるんだ!
ここは一発殴ってやらないと気がすまない。

「ダーメ。それは俺も譲れないぞ。」

じたばた暴れる夏野を逃がさないように抱きしめて徹が続ける。

「バカ、離せ。人の気も知らないで!」

「まあ落ち着け夏野。ひとつ解決策があるのだが。」

「なんだよ。」

「嵐の日に外に出なくてもいいように、俺達がいつも一緒にいれば良いと思うのだがどうだろう。」

夏野は暴れるのをやめ、しばしの沈黙のあと口を開く。

「…じゃあ、何か?徹ちゃんが俺の嫁にでも来てくれるわけ?」

「出来れば俺が婿で夏野が嫁に来てくれるとありがたいのだけど…。」

互いに見詰め合った後、どちらからともなく笑みが漏れる。

「っぷ。あんたバカだろ。」

「酷いな、俺は本気だぞ〜夏野。」

「じゃあ、徹ちゃんがウエディングドレス着てくれるなら考えても良いよ。」

「何!俺がウエディングドレスを着るのか?うーん、それじゃあ夏野は白無垢な。」

「二人とも花嫁になってどうするんだよ。」

お互いの笑い声が二人を包む。

徹ちゃんと一緒ならこんな嵐の夜も悪くない。
外ではまだ雨が激しく振り続けているはずなのに、聞こえてくるのは幸せな笑い声だけだった。




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1072hitありがとうございました。



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