君が足りない6



チャイムが鳴ってから15分程が過ぎたが、敦貴はまだ姿を現さなかった。
もしかして見逃してしまったのだろうか、それとも裏門があってそちらから帰ってしまったのではないだろうかと陽介の脳裏に不安が過ぎる。
しかも、何故か先ほどから女子生徒達が集まってきて、遠巻きにこちらをチラチラ窺っているようだった。
何故だろうと、とりあえず自分の格好を確かめてみるが、別にこれと言って変な格好はしいるわけではないし。どちらかと言うとおしゃれには気を使っている方だから、服のセンスには自信がある。
ならば、もしかして校門前で待っているのがいけなかったのだろうか?
変質者と間違われてしまったとか?
確かに校門の前で、その学校の生徒でも無い男が15分も立っていれば、怪しく思われても仕方が無い。
どうしよう、このままここで待ってるより敦貴に電話した方がいいだろうかと、陽介が携帯を取り出そうとしたその時だった。視界の端に懐かしいグレーの髪の毛が見えたような気がして、慌てて顔を上げた。
するとそこには、間違いなくずっと会いたかった相棒、敦貴の姿があった。
たった一ヶ月会っていなかっただけなのに、会いたくて会いたくて仕方がなかった。
ゴールデンウィークにはまた会えると、5月なんてすぐだって毎日自分に言い聞かせて「会いたい」と言ってしまいそうになるのをずっと我慢していた。
見知らぬ誰かと共にこちらに向かって歩いてくる敦貴は、やっぱりとってもカッコ良くって愛しくて、その姿を見ただけで胸がいっぱいになてしまい、彼に目が釘付けになったまま動く事すら出来なくなってしまった。

『敦貴!』

陽介が彼の名前を心の中で叫んだその時だった。
その声が通じたかのように、友人と話しながら歩いていた敦貴が、こちらを見てしっかりと目が合った。
陽介の存在に気付いたらしい敦貴は、立ちどまった後、激しく驚いているのが離れていてもわかった。でも、彼が驚いて立ち止まったのは一瞬の事だった。
目を見開いて陽介を見つめていた敦貴が、ものすごいスピードでこちらに向かって走ってきたのだ。
遠くにいた彼の姿がどんどん大きくなって近づいてくる。
あと10メートル。
あと5メートル。
あと…………。
ドンッという衝撃と共に身体をギュッと抱きしめられて、懐かしい香りが陽介の鼻孔を満たした。敦貴の匂いだ。
敦貴が陽介を抱きしめた瞬間、周りから大きなざわめきが聞こえた様な気がしたが、今は何も聞こえない。聞こえるのは敦貴の荒い息遣いと自分の荒く脈打つ心臓の音だけだった。

「よう…すけ。」

陽介の肩に顔を埋めた敦貴が、掠れた声で自分の名を呼んでいる。
それに答えようと声を出そうとするのにうまく声が出なくて、かわりに溢れだしそうになる涙を堪えた。そして漸く絞り出した言葉は「うん。」という一言だけだった。

敦貴が帰ってしまったあの日から、まわりにも自分にも平気だって言い聞かせてきたけど、本当はとても寂しかった。
いつの間にか隣に彼がいるのが当たり前になっていて、自分の中で彼の存在がとても大きなものになっていたのだ。彼のいない毎日はとても空虚で、心にぽっかりと大きな穴が空いてしまったように、何をやっても満たされなかった。
その大きな穴が、今一瞬で閉じて心が満たされていくのがわかった。
彼の温もりが、匂いが、全てが陽介を満たしていく。

やっと顔をあげた敦貴と目が合って、以前と変わらない優しい眼差しが陽介を見つめていた。

「本当に陽介だよな?」

「ああ、正真正銘本物の花村陽介だぜ。……驚いた?」

「うん。すごく驚いた。陽介の姿を見つけた瞬間、夢じゃないかって思った。でも夢でもいいからそばに行って抱きしめたいって思ったんだ。そしたら…」

「本物だった?」

「ああ、本物だった。嬉しすぎてちょっとヤバイかも。」

「え?ヤバイって何が?」

「今すぐ―」

陽介を抱きしめたまま、嬉しそうに語る敦貴の言葉は最後まで語られる事無く、二人の隣から突然聞こえてきた大きな咳払いによって遮られてしまった。

「ゴッホン!!ヤバイのはお前たちだ。」

咳払いの後で聞こえてきた知らない声。
声のした方を見てみると、敦貴と同じ制服を着た男子生徒が一人立っていた。
第三者が現れた事により、今まで完全に二人の世界に入り込んでいた陽介の元に、現実が戻ってきた。今まで聞こえなかった周りの音が聞こえ始める。

「阪下……いたのか?」

どうやらその男子生徒は敦貴の知り合いの様だった。そう言えば、先ほど敦貴と共に歩いていたヤツがこんな顔をしていたような気がする。

「いたのかじゃない!感動の再会か何だか知らないけどな、場所を考えろ場所を!」

のんきに答える敦貴に向かって、そのお友達君。えっと、阪下君だっけ?は、しきりに場所を気にしているようだった。
………場所?
言われて周りを見渡してみれば、何人もの学生がこちらを見ていた。
女子生徒達は頬を赤く染めながらこちらを見てキャーキャー騒いでいるし、男子生徒に至っては信じられない物を見る様にポカンと口を開けてこちらを見ている。
そして、そこで漸く陽介はここが敦貴の学校の前だと言う事を思い出したのだった。

「う、うわっ!」

いまだに陽介を抱きしめたままだった敦貴を、慌ててベリッと引きはがした。
こんな大勢の前で抱きしめられていたのかと思うと、恥ずかしさで自分の顔が熱くなった。
敦貴に会えた嬉しさのあまり、抱きしめられた瞬間に敦貴以外の事などきれいさっぱり消し飛んでしまっていたのだ。あのまま止めてもらっていなければキスの一つや二つしてしまっていたかもしれない。止めてもらって本当に良かったと、陽介は胸を撫で下ろした。
一方引きはがされた敦貴はと言えば、先程までの笑顔とは打って変わって、不満そうな顔をしていた。でも、その不満の矛先は、陽介にではなく阪下君へと向けられたようだ。

「阪下、俺と陽介の感動の再会を邪魔するとは……覚悟はできているんだろうな?」

一年間シャドーと渡り合い、先頭を切って戦ってきた男の本気の凄味に、お友達の阪下君は一瞬にして凍った様に固まってしまった。

「ばっ、ばか!何してんだお前は!友達に凄んでどうするんだ!」

「だって…。」

「だってじゃない!まったく。」

せっかく忠告をしてくれたお友達君に凄む相棒の頭をペシリと叩き諌めると、すぐにシュンとなって、陽介の背後へと回り、首筋に抱きついてきた。どうやら拗ねてしまったようだ。そんな相棒に苦笑いをしながら、首筋に顔を埋めている彼の頭をワシャワシャと撫でてやる。

「拗ねて無いでこの手を離しなさい。恥ずかしいだろ。」

「俺は恥ずかしく無いもん。」

「いい歳してもんとか言うな。」

離れる気配の無い相棒に溜息をつきながら、陽介は敦貴の友達の阪下君へと向き直った。

「えっと、阪下さん?せっかく忠告してもらったのにすみませんでした。大丈夫ですか?」

ずっと固まったままだった阪下は、陽介の問いかけで弾かれた様に我を取り戻した。

「えっ?!あ、はい。大丈夫です。はい。阪下ですはじめまして。」

「あ、はじめまして。俺、前の学校で敦貴と一緒だった花村陽介って言います。ほんとすみませんでした、こいつが失礼な態度取って。」

「や、ちょっとビックリしただけですから気にしないで下さい。………こんなに表情や態度をコロコロ変える葵を見た事無かったからビックリしちゃって……それ、ホントに葵ですよね?」

信じられない物でも見るかの様に、敦貴を指差す阪下に苦笑いをしながら「そうですよ。」と答えて、敦貴にちゃんと謝るようにと促した。
漸くのろのろと顔を上げた敦貴は、一つ短い溜息をついた後、阪下に謝罪の言葉を述べた。

「…すまなかった。」

「あ、いや、別にかまわないけどさ……。お前にもちゃんと感情と言うものがあったんだな。」

「当たり前だろう?お前は俺の事をいったい何だと思っているんだ?」

少しムッとしながら心外だとばかりに抗議する敦貴に、阪下は

「だって、お前いつもクールですました顔してるからさ、こんなに表情をコロコロ変えるのめずらしくって。俺じゃ無くてもビックリするってーの!」

「そうか?」

敦貴はあまり自覚が無い様だけど、阪下君の言っている事は良く分かる。敦貴はあまり感情を表に出す方じゃないから、阪下君が驚くのも無理は無いだろう。
敦貴がこうやって表情を表に出すのは、俺や菜々子ちゃんの前だけだったりするから。

「はーー。それじゃあ飯食いに行くのはまた今度だな。」

「ああ、悪いな。」

「え?もしかしてなんか約束あったのか?ごめん、それだったら俺、その用事が終わるまでどっかで待ってるけど。」

約束も無しに急にやって来たのは自分なのだからと、陽介が遠慮しようとしたら、阪下が慌ててそんな陽介を止めに入った。

「いや、たいした用事じゃないんで。気にしないで下さい。暇だったらちょっと飯でも食いに行こうかなんて言ってただけなんで。」

「でも。」

「陽介、阪下もこう言ってるんだから気にするな。それに、もし阪下が飯を食いに行くと言い張っても、俺はそんなの無視して陽介と居る事を選ぶけど。」

当然とばかりに言い張る敦貴に、阪下は「酷い!」と言いながらもゲラゲラと笑って楽しそうだった。そんな二人につられて陽介も笑い出す。

「じゃあ、俺帰るから。葵、久しぶりに友達に会えてうれしいのはわかるけど、あまり公衆の面前でベタベタすんなよー。ホモだと思われちまうぜ。じゃあな!」

そう言って走り去ってしまった阪下の言葉に、二人顔を合わせて苦笑いをした。
彼は冗談のつもりだったのだろうが、当たらずと言えども遠からず。二人ともホモでは無いけれど、男同士で付き合っているのは本当だから気をつけなければ。「嬉しくてちょっとはしゃぎ過ぎたな。」なんて言いながら、とりあえずギャラリーの多いこの場から立ち去る事にした。


二人は、とりあえず何処に行くとも決めぬまま、駅に向かって歩き出した。

「それにしてもずいぶん大荷物だな。荷物持とうか?」

肩から下げた鞄の他に大きな紙袋を持った陽介の姿を見て、敦貴が手を差し伸べてきた。

「いや、平気平気。こっちの紙袋は大きさの割にスゲー軽いから。完二からお前にって預かってきたんだよ。中身が何かはしらねーんだけどな。あとで渡すわ。」

「え?俺に?だったらやっぱり俺が持つよ。」

「いーって、いーって。それよかさ。…俺、何も言わずに急に来ちまったけど迷惑じゃなかった?」

「バカだな陽介は、迷惑なはずないだろ?嬉しいよ。電話では言わなかったけど、陽介に会えなくてずっと寂しかったから。」

「…相棒。」

毎晩、電話で話している時は寂しいなんて、そんな素振り少しも見せなかったのに。やはり敦貴も自分と同じように寂しいと思っていたのだ。親しい人達と離れて、一人都会へと帰ってしまったのだから、きっと、誰よりも一番寂しかったはずだ。

「それより陽介、向こうへはいつ帰るんだ?今日は泊っていけるの?」

「え?あ、ああ。一応明日帰る予定。それで、できればお前のところに泊めてもらえればなって思ってるんだけど…無理だったらビジネスホテルにでも泊るし。」

「なら決まりだな。家においでよ。生憎と言うか、幸いにと言うか、丁度両親とも出張で昨日から出掛けてるんだ。月曜の夜までは帰って来ないから二人でいっぱいイチャつこう。」

「お、おまっ!イチャつくってっ!」

「今夜は寝かせないから、覚悟しといて。そうと決まれば急いで帰るぞ!」

そう言って楽しそうに笑った相棒は、照れる陽介の手を掴んで駅へと向かって駆けだした。

「ちょっと、待てよ敦貴!」

そして陽介もまた、つながれた温かい手をギュッと握り返したのだった。








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