本当に、○○を逃がしますか?


 
温かかった。

まだ意識もなにもない暗闇で、ただそれだけを感じていた。

この温かさはなんだろう。

お母さん?

ぼくのお母さんは、きっとやさしい人なんだ。

生まれるのが楽しみだなぁ。





いよいよ外の世界へ出れるとき。

ぼくは勢いよく殻を破った。

待っていたのは、やっぱりやさしそうな人だった。

はじめまして、お母さん。

これからよろしくね。

ぼくの鳴き声はちゃんと届いたかな。



生まれてすぐに、ぼくはポケモンセンターというところに連れていかれた。

ここで、ぼくに関するいろんな情報を登録するみたい。

ぼくの名前、親の名前、性格、能力……

お母さんの名前が、ぼくの腕に刻まれた。

とっても、とっても嬉しかった。



それからすぐに、ぼくにはたくさんの兄弟ができた。

ぼくたちはみんなそっくりで、お母さんも見分けるのが大変みたい。

賑やかで楽しくて、でもお母さんがぼくだけを見てくれないことがちょっぴり寂しかった。





ある日。

お母さんは、ぼくたちにさよならを言った。

わからなかった。

なにもかも。

どうして。

どうしてそんなことを言うの。

ぼくたちのことが嫌いになったの。

まだなにもしていないよ。

お母さんとの思い出、まだなにもないんだよ。

――もう、ぼくたちはいらないの?




お母さんは、ぼくらの内の一匹を抱き抱えていた。

――ああ、そうか。その子だけ必要なんだ。その子以外はもう邪魔なんだね。



ただなんとなく。

わかりたくなかったけど、わかってしまった。

きっと、お母さんは始めから一匹だけが欲しかったんだ。

なにかが特別な一匹だけを。

だから、特別じゃないぼくらはもういらないんだね。

始めからそのつもりだったなら、ぼくらはもう、さよならする以外ないんだね。




ぼくたちは、嫌だったけど、とても嫌だったけど、お母さんとバイバイした。

お母さんは、笑顔でバイバイと言った。

だけど、ぼくらは野生で暮らしたことがない。

ごはんはどうしよう。

雨が降ったらどうしよう。

敵に襲われたらどうしよう。

不安だらけで、泣きそうになった。

お母さん、ぼくら、お母さんのところに戻りたいよ。



ある一匹が、許せないと言った。

ある一匹が、恨んでやると言った。

ある一匹が、どうしてなのと泣き出した。

みんながあんなに大好きだったお母さん。

なのに。

ぼくはとても悲しかった。

こんなことになるなんて。

ぼくたちはどうして生まれてきたんだろうね。




――それでも。

今は悲しくて寂しくて仕方がないけれど、それでも確かにぼくらは愛されていたんだと思う。

タマゴのときの記憶。

あのときの温かさは本物だった。

生まれた瞬間のお母さんの笑顔。

ぼくは望まれて生まれたんだって、はっきりそう思ったよ。



ふと自分の腕を見ると、そこには確かにお母さんの名前。

ぼくは、確かにお母さんのこども。

これを見るたびに、ぼくはこの先もきっと、お母さんに愛されていたことを思い出す。

――ちゃんと生きていかなくちゃ。



ねぇお母さん。

少しでいいから、ぼくたちのこと、覚えていてね。

そのくらいは願ってもいいでしょう?




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