いつか私も


 
「ワシの夢は絆の力で天下に泰平を築くことだ」

 はっきりと言い切り、青年は屈託のない笑顔を見せた。焼けるような夕日に照らされたその顔が、女にはやけに眩しく思えた。

「……お前は、それが本当に自分になせるとでも思っているのか」
 女――井伊直虎は、語気を強め問いただした。
「ああ、もちろんだ。必ず成し遂げて見せるさ」
 自信あり気に答えた青年――徳川家康は、まっすぐに直虎の瞳を見つめた。
「……まったく……どこから来るんだ、お前のその自信は」
 呆れたように直虎は顔をそらした。一点の曇りもない瞳に見つめられ、一瞬でも頬が熱を持ったのを悟られたくなかった。
「ハハハ……けして自信があるわけではないよ。だが、今の乱世をいつまでも続かせるわけにはいかない。ワシがやらねばならないんだ。……ワシを信じて力を貸してくれる者のためにも。東軍入りを果たしてくれた直虎殿のためにもな」
 冗談めかして笑う家康の中に、揺るがぬ信念と覚悟があるのを直虎は感じ取っていた。

 ――直虎は知っているのだ。家康がすべて自分一人で背負おうとしていることを。明るく振る舞い、何も問題などないように見せて、最後は一人で責任を負うつもりなのだということを。
 それを思うと、悲しいような腹が立つような、釈然としない気持ちが込み上げる。口では何と言っても、結局家康は誰も信用などしていない。――直虎のことも、そうなのかもしれない。

「……これだから男は……」
「直虎殿? どうした? 気分でも悪いのか?」
 俯き呟く直虎の顔を伺うように、家康が腰をかがめ、心配そうな顔を覗かせた。
「……っ! うわあああ! バ、バカ! 急に近づくな!」
 いきなり至近距離に家康の顔が現れ、思わず大声で飛び退いてしまった。
「え、いや、あの……様子がおかしかったから具合でも悪いのかと思って……すまん」
「あ、謝るな! お前は悪くないだろう! わ、私の方こそ……すまない」
 直虎の顔が真っ赤に染め上がる。胸の鼓動を落ち着かせようと深く息を吐いたが、なかなか治まらなかった。
 
 そんな直虎の様子に気づいていないのか、家康は再び直虎に話しかけた。
 ただし、今度はちゃんと相応の距離を置いて。 
「なぁ、直虎殿の夢も聞かせてはくれないか?」
「は、はぁ? 私の夢だと?」
「ワシだけ言うのは不公平だろう?」
「うっ……」
 常日頃、不公平、不平等に口うるさい直虎はこう言われては何も言い返せない。もちろん、家康もそれをわかっているからこそ、こんな言い方をしたのだが。
「……私の夢、か……」
「やはり井伊家の繁栄か?」
「ああ、それはもちろんだ。だが……」
 ふと、遠くから子供たちの楽しげな声が聞こえてきた。もうすぐ陽が落ちる。そろそろ家に帰る時間なのだろう、きゃっきゃっと笑いながら駆けていくその姿を遠目に見つめながら、直虎は呟いた。
「……そうだな……私は……母親になりたいな」
「……え?」
「婿を取って、子を成して……ごく普通でいい、どこにでもいるような、普通の母親になりたい。……な、なんだ、おかしいか」
 家康の反応がないことに不安になって、直虎の顔がまた熱くなる。
「……いや。とても良い夢だ。直虎殿ならきっと、良い母上になれるよ。誰よりも強く、優しい、頼もしい母上に」
 家康はそう言うと、またまっすぐ直虎を見つめる。優しく微笑むその顔には、嘘は潜んでいないように見えた。
「……そ、そうか。……あ、ありがとう」
 言いながら、直虎は家康から顔をそらし、沈んでいく夕陽をじっと見つめた。燃えるように真っ赤な夕陽が、直虎の頬を赤く染め上げていく。
 家康は、その横顔をとても美しいと思った。



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