――結局、今日一日三成様の顔を見ることなく終わってしまった。いや、まともに見れなかったってのが正しいんだけど。そんなつもりはこれっぽっちもないのに、三成様を前にすると体が勝手に反対方向に走り出しちまう。
「はぁ……こんなんじゃ嫌われるよなぁ……」
 布団に寝転がると、ため息が出た。見上げた天井をぼーっと見つめる。
「……もう嫌われたかな……三成様に嫌われたら、俺どうしたらいいんだろ……」
 焦点の定まらない視界が、ほんのわずかに滲んだ。――くだらない妄想はやめて、今日はもう寝よう。明日になったら多分、きれいさっぱり忘れてるはずだ。

 布団を頭まで被って目を瞑る。暗闇に、ゆっくりと意識が離れていく――俺の耳にそれが聞こえたのは、まさに眠りに落ちる間際のことだった。
「――左近、起きているか」
 聞き慣れた声が、障子の奥からはっきりと聞こえた。俺は思わず、布団を蹴飛ばして飛び起きた。眠気なんてものも、一瞬でどこかへ吹っ飛んだ。
「み、みみみ、三成様!?」
「開けるぞ」
「あっ、は、はい!」
 返事をしてから、俺は蹴飛ばした布団を大雑把にたたんで部屋の隅へと押しやった。
 三成様は静かに障子を開き、無言のまま俺の真正面に座った。
「……あの……三成様? こんな夜更けに何の御用ッスか?」
 出陣かとも思ったが、三成様の寝衣姿を見るにどうやら違うらしい。じっと俯いた三成様は、いつもと違ってなんだか弱々しく見えた。
「――貴様、私にはもう愛想を尽かしたのか」
 俺は自分の耳を疑った。
「ええ!? いやいや、そんなことあるわけないじゃないッスか! 俺が三成様に愛想尽かすとか、そんなんイカサマッスよ! ……逆ならありえますけど」
「しかし、今日の貴様は私を避けていただろう」
「あー……それはその……」
「やはり私とでは嫌か」
「……え?」
「……まさか、昨晩のことも覚えていないのか」
 三成様にまっすぐな視線を向けられて、俺は必死に記憶を辿った。昨日の夜と言えば、あの夢のことしか思い出せないけど――。
「えっと、昨日は三成様に呼ばれて、少しだけ晩酌にお付き合いして、部屋に戻って寝ました……よね?」
「…………」
「あ、あれ? 違いました? というか、三成様なんか怒ってます……?」
 なんとなく夢のことを見透かされているような気がして、俺はきょろきょろと視線をさまよわせた。怖くて三成様の顔が見れない。
「まだはぐらかすのか? それとも、わかっていないだけか?」 
「え? えっと……」
 言葉の意味がわからずにおろおろしていると、三成様は小さくため息をついて立ち上がった。そのまま俺に近づいて、また腰を下ろす。膝と膝が触れ合いそうな距離。
「左近」
 名前を呼ばれて、反射的に顔を上げてしまった。
 三成様の綺麗な瞳に射止められ、俺はもう目を逸らせなかった。
「――私が望むのはこういうことだ」
 三成様の白い手がゆっくりと俺の頬に触れる。細い指先がぴりりと刺すように冷たい。目の前がちかちかと眩んで気が遠くなる――。









 …………。








 ……三成様が俺を望んでる?









 ……嬉しい。嬉しいけど、でも。








 でも、俺は、いや、こんなの、やっぱり、どう考えても、俺は、三成様を、








 違う、三成様は俺の――










「す、すんません三成様――っ!」




 俺は失いかけていた意識の端を掴んで、なんとか正気を取り戻した。そのまま勢いよく後ずさって、額を思いっきり畳に押し付ける。冷たく固い畳は想像以上に痛くて、涙が出そうだった。
「三成様、本当、本当にすみませんッス……」
「……いや。嫌ならいい。無理強いをするつもりはない」
「俺……昨日の晩に、三成様の夢を見ちまったんです。あ、あの、その……いやらしい方の……」
 口に出すと余計に恥ずかしく、両手が小刻みに震え出す。
「……どういう意味だ? まさか、貴様はこれも夢だと思っているのか?」
 三成様の声は少し刺々しく感じた。怒っているんだろうか。
 いい加減顔を上げろ、と低くたしなめられ、俺は恐る恐るゆっくりと上体を起こした。でもやっぱり三成様の顔は見れなかった。
「いや、今が夢じゃないってことくらいはわかります。……え? 夢じゃないッスよね?」
 三成様が呆れたように小さく頷く。
「そうッスよね……。あ、でも、別に三成様のことが嫌いとか嫌とかそういうんじゃ全然なくてですね……だから……えっと……」
「私のことが嫌いではないなら、やはり男同士の行為が嫌ということか」
 俺のはっきりしない物言いが気に入らなかったのか、三成様は眉をしかめて続けた。
「主従の間でそのような関係になるのはよくあることだ。誰にも咎められはしない」
「……はい、それはわかってます。あと、三成様にそうやって必要とされていることも嬉しいッス。……でも」
「でも、なんだ」
「でも……俺、三成様のことすげー尊敬してて、めちゃくちゃ憧れてるんですよ。知ってると思いますけど。だから……あの夢見た後、俺、ものすごい罪悪感というか自己嫌悪感じちゃって」
 この感情をどう言葉にしたものか。恥ずかしいような申し訳ないような、大声で叫んで逃げ出したくなるような、不愉快で惨めで気持ちが悪くて――もう三成様に合わす顔がないと思った。
「上手く言えないッスけど、三成様は俺にとって最っ高に憧れの人だから……三成様がそういうことをする相手は俺じゃないんじゃないかって、そう思うんです。もっとふさわしい人がいるんじゃないかって」
「――私が貴様がいいと言ってもか」
 三成様が静かな視線を寄越す。俺に向けられたその眼差しも、言葉も、確かに嬉しいはずなのに、胸の奥が変にざわついて落ち着かなかった。
「……すみません」
 三成様の顔が悲しそうに見えたのは、きっと俺の気のせい……だよな。





「わかった。すまなかったな。この件はもう忘れろ」
 一息の間のあと、三成様はそう言って部屋を出ていった。一人取り残された俺は、理由もわからない胸の痛みを抱えながら、もうすっかり冷たくなった布団に潜り込んだ。
「三成様……俺のこと好きなのかな……」
 こっそり呟いてみたが、あまりの愚かさに自分でも呆れた。三成様が俺を好きなわけがない。あの三成様が俺なんかを――この世とあの世がひっくり返ってもありえない。それこそイカサマだ。さっきのは多分、他に手近な相手がいなかっただけだろう。
「三成様も忘れろって言ってたし……明日はちゃんといつも通りに出来っかなぁ……」
 ぼんやりと考えている内に、一度は吹き飛んだ眠気が戻って来た。俺は固く目を瞑り、もうあんな夢は見ませんように、と強く願いながら眠りに落ちた。



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