だって構ってほしいから



 目の前に女が一人横たわっている。薄手の小袖に、帯を気持ちばかりゆるめた楽な恰好で、艶やかな長い黒髪を床にちらばせている。
 一見すると病人か怪我人が倒れているように見えるが、元親はこの光景をすっかり見慣れていた。

「……またこんなとこで寝やがって……ったく、無用心なんだよ、お前はよ」
 ぶつくさと文句を言う元親の声が聞こえたのか、伊都はうーんと小さく呻って体を動かす。着物の裾がめくれて細く白い脚が露わになった。
 元親は短くため息を吐いて、伊都の傍にしゃがみ、めくれた裾を直してやった。


 ここは長曾我部軍が誇る海上要塞、富嶽の船首楼甲板。
 日当たりのよいこの場所は彼女のお気に入りらしく、気が付くといつもここで昼寝をしているのだった。


「お前、いっつもここで寝てるけどよ、いい加減危ねぇからやめろって。ここじゃ真っ先に敵に狙われんぜ? それによ……せっかくの白い肌も灼けちまうじゃねぇか」

 最後だけは聞かれないように小声で呟いた。
 だが、伊都は相変わらず起きそうにない。
 元親はしゃがんだまま、退屈そうに伊都のちらばった髪を一束掴んだ。指を通すと、合間からするするとこぼれ落ちていく。その感覚がなんとも気持ちよく、犬猫がじゃれるかのように何度も繰り返した。
 それにも飽きてくると、今度は指を絡めて少し引っ張ってみる。伊都の寝顔が少し険しくなった。ううんと呻って眉を寄せる。
 構わずに続けていると、さすがの伊都もようやく目を覚ました。
 
「……なにしてんのよ?」
 寝ぼけた顔で元親を見上げる。焦点が合わないのか、長い睫毛をぱちぱちと上下させた。
「お、やっと起きたか」
 元親の指は相変わらず伊都の髪で遊んでいる。
「お、じゃなくて……髪。なにしてんの?」
 わかりやすく機嫌の悪い声を出したのだが、元親はそれに気付いているのかいないのか、いつもどおりの調子である。
「いや、お前があんまり起きねぇもんだからよ。暇だったんだよ。それよりもこんなとこで寝てんじゃねぇよ、何回言わせんだバカ」
「……はぁ? 私がどこで寝てようがあんたには関係ないでしょ。暇だからって起こさないでよバカ」
 言いながら体勢を変え、伊都は元親にそっぽを向いて目を瞑った。
「おいおい、だからここで寝るなって。いろいろと危ねぇし邪魔なんだからよ」
「私はここがいいの。どいてほしいならあんたがどかしなさいよ。私は動く気ないんだから」
「どかすつってもよぉ……」
 どうしていいかわからずに、元親はぽりぽりと頭を掻いた。



 ――しばらく陸から離れると決めてから、伊都をどうしたものかといたく悩んだものだ。
 できれば一緒に連れていきたい。でも危険な目には遭わせたくない。これが野郎共であれば、胸を張ってついて来いと言えるのだが。
 一介の女、しかも惚れた女にはさすがの鬼も弱気になってしまうのだった。


「決まってるじゃない。もちろんついて行くわよ。ただし、私を退屈させないことが条件」


 正直に打ち明けた時の伊都の言葉が、どれほど心を軽くしてくれたことか。
 さも当然のように、顔色一つ変えずに即答してくれた。それが何よりも嬉しかった。

 だが実際はどうだ。退屈させないと約束はしたが、毎日この有り様だ。
 やはり連れてこない方が良かったのかもしれないと、元親は後悔し始めていた。 

「……いつまでそこにいるつもり?」

 眠ったはずの伊都がこちらに視線を向けていた。
「……なんだよ、寝てねぇのかよ」
「うるさい」
「…………」
「なによ?」
「……いや、悪かったな、と思ってよ……」
「なにが」
「お前を海に連れてきちまったことだよ……大口切ったはいいが、結局こうして退屈させてるだろ」
 元親はしょんぼりと項垂れた。
 さすがに少し可哀想に思えてきた伊都は、彼に近づこうとようやく体を起こした。長い髪がぱらぱらと胸に落ち、その細面をかたどる。座ったまま這い寄るように近づき、元親の顔をじっと見つめた。
「……悪かったよ」
「……バカ」
 元親が不服そうに顔を上げた。二人の視線がぴったり合った。
「別に、退屈なんてしてないわ」
 伊都は怒ったように顔を逸らし、口を尖らせる。
「ここに来てから毎日楽しいわよ。見たことないものばかりだし」
「……そうは見えねぇぞ」
「そう?」
「毎日暇そうに昼寝ばっかりしてるじゃねぇか」
「……それはあんたが……」
「あ? 聞こえねぇよ」
「……なんでもないわよ……昼寝は私の趣味なの!」
 伊都は明らかに何か言いかけたのだが、元親はまったく気付く様子もない。
「それよりいいの? あんたが何もしないなら、私、またここで寝るわよ?」
 目を細めて、脅すように睨みつけてやる。
「……わかったよ。どかせばいいんだよな?」
「どいてほしいならね」
 挑発的な態度で偉そうにしてみせる伊都だが、そんな様子もなぜだか愛しく思えてしまう。
 これが惚れた弱味かもしれないと思うと、言いなりになるのも悪い気はしなかった。

 元親は、座ったままの伊都の腰に手を回し、柔らかなわきまで滑らせる。着物の裾がめくれないように注意しながら、もう片方の手を両足の膝下に入れてよいしょっと持ち上げた。
 伊都は慣れた様子で元親の首に腕を回す。
「で? どこに連れていくの?」
 わずかに見上げながら伊都が聞く。
「とりあえず、俺の部屋でいいだろ」
 くすぐったそうな、ぶっきらぼうな答え。
「ふーん」
「なんだよ」
「別に?」
「……何か期待してんのか?」
 今度は元親が、意地悪な笑みを浮かべて囁いた。
「……さあね」
 伊都も妖艶に笑い、二人は微笑み合って歩き出した。

 途中、野郎共のうるさい歓声を浴びて、元親は恥ずかしそうに頬を染める。うるせぇぞ、と照れ隠しに大声で叫びながらも、その横顔はとても嬉しそうだった。






 伊都は元親の腕の中で、確かな幸せを噛み締めた。













 ――私はあなたに構ってほしいだけなのよ。ちゃんと気付いてよね、旦那様。





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