近江国、琵琶湖のほとりで、百名ほどの行列が歩を進めている。武士の行列にしては随分と小規模である。
 武具や道具箱を担いだ男たちの中央、一際目を引く豪奢な駕籠の中で、伊都はげんなりと青ざめていた。縦に横に揺られ、すっかり酔ってしまっていたのだった。
 外の空気でも吸えば少しはましになるかと思い、横の小窓を開けた。目の前に広がる琵琶湖の水面が陽の光を反射し、一瞬目が眩む。爽やかな風を吸い込んだおかげで、胸のあたりがすっと落ち着いた。
 琵琶湖がこれほど近いということは、目的地まであと少しというところか。到着するまでには、この酔いをなんとかしなければならない。久方ぶりに会う息子に、青ざめた母の顔など見せたくはなかった。
 
 この日は、豊臣家臣である石田三成が居城、佐和山城に、その両親である石田正継と伊都が入城する日であった。
 太閤秀吉よりこの城を賜ってすぐ、三成は両親を呼び寄せた。豊臣の左腕として大阪に滞在し、自分の領地を留守にすることが多い三成は、代わりに父、正継にこの佐和山を任せようと考えたのである。

「あんなに小さかった佐吉が、今や立派な城持ち大名だなんて……」
 幼少期より秀吉に仕官していた三成は、当然、母と過ごした時間も少なかった。伊都の記憶にも幼い佐吉の姿しかなく、今の三成の姿は想像もできなかった。
 だからこそ、その活躍の噂には飛びつくように聞いていたのだ。太閤殿下の元で立派に働いているとの噂は、何よりも伊都の誇りであった。
 故に、この日を誰よりも楽しみにしていたのである。

 まもなくして、腹底まで響く鈍い音が轟いた。重い門扉を開く音だ。
 伊都は駕籠の中から佐和山の城を覗き見た。五層から成る天守閣は、大層立派で堂々としている。絢爛豪華な城の外観に、より一層期待と誇らしさが込み上げた。
 
 行列は、ようやく目的地の佐和山城二の丸本殿に到着した。
 やっと狭苦しい思いから解放される――意気揚揚と駕籠から降りた伊都を出迎えたのは、背の高い男に落ち着きのない若い男、それから宙に浮く輿に乗った奇妙な男の三人であった。
「お久しぶりでございます。……母上」
 少しとまどいながら頭を下げたのは、一際背が高く、線の細い男だった。
 確かに聞こえた母上という言葉に、伊都は目を見開き、長い打掛を引きずって男の元に駆け寄った。この日のために新調したお気に入りだったのだが、汚れることなどもはやどうでもよかった。
「佐吉!? あなた、佐吉なのですね!? まぁ……こんなに大きゅうなって……」
 小さかった我が子は、いつの間にか、母の背を軽々と越していた。記憶の中の息子の面影を探すように、伊都はほっそりとした両手で男の頬を包み込み、その顔をまじまじと見つめた。
「あの……母上、お手をお離し下さい」
 男は恥ずかしそうに目を逸らした。
「駄目です。もっとよく見せて」
 伊都は角度を変えながら男の顔をひとしきり眺め、それから肩や腕を一通り触ってその存在を確かめた。ようやくその手を離した時、伊都の瞳には溢れんばかりの涙が浮かんでいた。
「……元服の折、秀吉様より名を頂きました。今は石田三成と名乗っております」
 照れくさそうに、けれども誇らしげに、三成は胸を張って母に告げた。
「ええ、ええ、聞いております。石田三成……良い名を頂きましたね」
 我が子の新しい名を、一音一音ゆっくりと噛み締める。三成のその名に劣らぬ成長ぶりに、伊都はいたく感激した。

「感動の再会ってわけっすね、刑部さん!」
「……ヒヒッ、そうよなぁ……三成も珍しく穏やかにしておるわ」
 三成の後ろでひそひそと話す声が聞こえた。そういえば、他にも出迎えがいたのだったと思い出した。
「三成、あちらの方々は?」
 涙を押さえ、後ろの二人に目をやった。三成も忘れていたのか、はっとして振り返り、こちらへ来いと二人に目で合図する。一人はまるで犬のように喜び勇んで駆けてきた。一人はその後ろから、ふわりふわりとゆっくり近づいてくる。
「母上、紹介が遅れました。こちらは――」
「はいはいっ! 俺、島左近っていいます! 三成様の下で働かせてもらってます! これからよろしくッス、お母さん!」
 赤と茶の奇抜な髪型が目を引く派手な若者が、三成の言葉を遮って名乗り出た。三成に負けず劣らずの長身だが、まだどこか子供のような印象を受ける。幼さの残る人懐っこい笑顔は、こちらの警戒心を容易く解いた。
「左近! 貴様、勝手に名乗るな! 私の言葉を遮るな!」
「ひっ……すすすんません三成様ー!」
 三成の怒鳴り声に驚きながらも、伊都は二人の様子を微笑ましく思った。恐らく三成は、この左近とかいう若者に存外心を許しているのだろう。
「まぁまぁ、そのくらい許して差し上げなさいな。島様、初めまして。伊都と申します。息子がいつもお世話になっております」
 二人を止めながら、伊都は深々とお辞儀をした。
「えっ!? いやいやいや、お世話になってるのはこっちの方ッスよ! 本当、三成様に拾われてなかったら俺どうなってたか……あ、頭上げてくださいお母さん! あと、俺のことは左近でいいっすから!」
 へらへらと笑って見せる左近に、思わず伊都も笑みが溢れた。その横で、三成が呆れたようにため息を吐いた。
「やれ左近、そうやかましくするな。お母上殿もお疲れであろ」
 突如頭上から降った低くしわがれた声に、伊都は一瞬体が強張った。見上げれば、宙に浮く輿に座した男が、こちらを見下ろしている。全身を白い包帯で覆い、顔も目元しか見えない。唯一窺える瞳も、形容しがたい怪しい光を灯している。
「刑部の言う通りだぞ左近。少しは大人しくしていろ」
 三成にも言われ、しょんぼり項垂れる左近が少し可哀想な気もしたが、それよりも気になったことがある。刑部、と聞こえたがまさか――
「刑部……? もしや、大谷刑部吉継様でございますか?」
 伊都の問いに、吉継は軽く頷いて答えた。
「無論……われを覚えておいでか?」
「ええ、もちろんです。まさかあなた様とも再びお会いできるなんて……お久しぶりですね、紀之介殿」
 微笑みかける伊都に、吉継は困惑した様子で俯いた。
「え、刑部さん、三成様のお母さんと知り合いなんスか?」
 先程怒られたことなど忘れたように、左近はすっかり調子を取り戻していた。
「まァ……われと三成は幼少の頃よりの付き合いゆえ、な」
「小さい頃はよく二人で遊んでいましたね。佐吉も、よく紀之介殿の話をしておりました」
「母上、あまり昔の話は……」
 懐かしそうに昔話を始めた伊都を、三成が心底嫌そうに制した。吉継も気まずそうに顔をしかめている。ただ一人左近だけが、続きを聞きたそうに目を輝かせていた。
「……もう。わかりましたよ。これ以上は話しませんから、そんな目で見るのはやめなさい」
 そうは言ったものの、左近にだけは後でこっそり教えてあげようと思った伊都であった。

「立ち話が過ぎました。母上、お部屋に案内致します」
 言ってすぐに三成が歩き出した。待ってくださいよー、と左近もすぐ後に続く。伊都と吉継だけがその場に残された。
「そういえば……大谷様、ご病気のことはかねがね聞き及んでおりますが……大事はありませんか?」
 ずっと気になっていたのだが、二人の前では少々聞きづらかった。紀之介が大谷吉継と名を変え、さらに大病を患ったことは、三成の噂と共に聞いていた。この奇妙な格好も声も、きっと病のせいなのだろう。
「なに、大したことではないゆえ。お母上殿のご心配には及ばぬ」
「……そうですか。お体には十分気を付けてくださいね。……大谷様が今でも三成と共にいてくれること、わたくしはとても嬉しいのですよ」
「…………」
 そっと耳打ちした言葉に、吉継は黙り込んでしまった。伊都は幼い頃から見知った吉継を、もう一人の息子のように思っていた。特に病のことを知ってからは、我が子以上に心配したものだ。
「お母さーん! 刑部さーん! 早くしないと置いてっちゃいますよー!」
 左近の大声が響いた。三成も、その先で立ち止まり待っている。
「はーい! 今行きますよー!」
 精一杯声を張り上げ、一歩一歩足を進めた。後ろから、吉継が滑るようについてくる気配を感じた。



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