裏と表



(気持ち悪い)
(ふざけるな)
(頭おかしいんじゃない)
(死ねよ)



 ――まただ。またいつもの声が聞こえる。
 罵倒と軽蔑。
 人の奥の、汚い声。
「もう……もうこんなのは嫌だ」
 苦しそうに頭を抱えた利休の、左右に結った金の髪がゆらゆらと揺れる。
「……もう何も聞きたくない……誰か……助けてくれ……」
 膝を着き、荒い息を整える。流れて込んでくる黒い声は、自分ではどうにもできない代物だった。両耳を固く塞いでも、声は絶えず鳴り響く。



 (大丈夫?)

 突如、一つの声が鋭く響いた。その声は利休の喧騒を切り裂き、瞬く間に元の静かな世界へと返していった。驚いて振り向くと、見慣れた少女が口を閉ざしたままぽつんと立っていた。
「……あ……あなたは……」
「あんた、こんなところで何してんの?」
 少女の口から発せられたのは、先ほどの優しい声とは違う、ぶっきらぼうな言葉だった。
「いや、ちょっと気分が悪くて……でももう大丈夫だよ」
 心配かけまいとの強がりもあったが、実際、つい先ほどまでうるさいほどに聞こえていた声は、一つ残らず消え去っていた。
「あっそ。今にも死にそうな顔してたの、面白かったのに」
 至極どうでもいいと言った様子で、少女はそっぽを向く。
 その様子がおかしくて、利休は思わず笑ってしまった。
「ふふふ。そうですか」
「なに笑ってんだよ、気持ち悪いな」
「いいえ。……ただ、あなたは本当に優しい方なのだなと思って」
「はぁ!? あたしのどこが優しいんだよ!?」
 思いもよらぬ言葉だったのか、少女はひどく焦ったようだった。小さな愛らしい顔が赤く染まっている。
「僕のことを心配してくれたのでしょう?」
「ち、違う馬鹿! あたしはただ、偶然通りかかった所にあんたがいたから、またからかってやろうと思って……! (嘘、なんでばれてんの!?)」
 利休には確かに聞こえていた。
 少女が放つ言葉の裏、心の内の優しい声が。思わず笑ってしまったのも、憎まれ口の裏の声が聞こえたからだった。

 (――よかった。具合悪そうだったけど、どう声を掛けたらいいのかわからなかったんだ)



 利休は人の心が聞こえる異質な能力をできるだけ明かさぬようにしていた。誰も自分の心など、他人に見られたくはないだろう。彼女もきっと、このことを知ったら傷つくに違いない。
 罪悪感はあるものの、利休は特にこの少女には自分の能力のことを隠し通すと決めていた。ただ単に、この無愛想な彼女に嫌われたくないと思っていた。
「心配してくれてありがとう」
「だから心配なんかしてないって! 勘違いすんな馬鹿! (ありがとう、なんて人に言われたのいつぶりだっけな……)」
「……そういえば、最近伊都殿とよくお会いしますね」
「えっ、そう?」
「そうですよ。偶然でしょうか?」
「偶然に決まってるでしょ。他に何があんのよ。(……まさか、あたしがわざと会いに来てるのもばれてる……わけないよね)」
「……え」
「なによ固まっちゃって……また気分でも悪くなったわけ? はぁ〜、男のくせに貧弱ね〜。(顔色悪いけど……大丈夫かな)」
 挑発するように、伊都はにやにやとわざとらしい笑みを浮かべる。だが、言葉とは裏腹に、その心は利休を心配していた。
「……大丈夫ですよ。それにしても、僕の調子が悪い時には、必ずと言っていいほどあなたを見かけるような気がしますが」
 卑怯かもしれないが、伊都の本心――わざと会いに来ているという言葉の意味――をどうしても確かめたかった。
「だ、だから気のせいだって、しつこいな! あんたがいっつも一人でいるから、しかたなく構ってやってるの! (いつも苦しそうにしてるのが気になって様子を見に来てる……なんて言えるわけないし)」
「……そう、ですか……ふふ、ありがとうございます」
 やはり、この少女はとても優しい子なのだ。それがどういうわけか、口を開けば憎まれ口ばかり叩いている。今まで多くの人の心を聞いてきたが、この類の人間は初めてだった。
 人は大概、口では舌触りの良いことを言いながら、心には薄汚い思いを抱えている。だからこそ、利休は今まで苦しんできた。
 それが、伊都の場合は全くの逆だった。口から吐いて出てくるのは、けして良い言葉ではない。しかし、心には真に人を心配し、気遣う優しさがある。
 利休のような能力のない限り、伊都は誤解されやすい人間であることに違いなかった。

「……なぜでしょうね……あなたといると、僕の心はとても穏やかに凪ぐのです」
「……なによ急に。とうとう頭もおかしくなっちゃったわけ? (それってどういう意味?)」
「ねぇ、伊都殿。僕の友達になって頂けませんか」
「なんで? (……友達?)」
「……僕はね、病気なんです。時々、とても恐ろしい声が聞こえる病気。でも、なぜかあなたといると、その声が聞こえなくなって……とても温かな気持ちになるんです。だから、これからも僕の所へ来て頂けませんか?」
 伊都がいると、不思議とあの声も聞こえなかった。この少女の優しい声だけを聞けたのなら、どれほど幸せなことだろうか。
「えっ……あー……うん。しょうがない。あんた友達いないみたいだし……その、あたしがなってやってもいいよ。(やっぱり病気だったんだ。――友達、か。初めてだな、友達とか。……ちょっと嬉しいかも)」
 そっけない態度で上からものを言う伊都の口元は、明らかに緩んで見えた。隠しきれてないよ、と思わず言いかけたが、すんでのところで口をつぐんだ。
 利休には、この裏表が逆になってしまった少女が、なぜだかとても愛おしく思えた。



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