恋する



 妙な男につきまとわれている。――と言うと、知らない男につけられているように聞こえるかもしれないが、正確に言えば、先程からしつこく話しかけてくるこいつは私の知り合いだ。しかもかなり親しい方の。いつもなら二人で楽しくお喋りといくのだが、今日のこいつはとにかく他人の振りをしたくなるほどに鬱陶しかった。
「伊都ちゃん、いい人はできたかい?」
 にこにこと人懐っこい笑顔を浮かべて、こいつ――前田慶次はまだ話しかけてくる。こいつにはこの手の話題しかないのだろうか。
「……あんたに関係あるの?」
 無性に苛々して無愛想に返してやった。だが、こいつにはこんな程度じゃ効かないこともわかっている。
「そりゃあ、あるよ。俺と伊都ちゃんの仲だろ? 伊都ちゃんは可愛いんだから、周りの男が放って置かないんじゃないかい?」
「さあ? どうかな」
 慶次は口を開けばいつも、恋だの愛だのと並べ立てる。私もそういったことは嫌いではないけれど、そればかりではさすがに疲れる時もある。
「それより慶次、あんた今日はいつにもましてご機嫌じゃない。何かいいことあった?」
 うんざりな話題を変えようと聞いてはみたものの、大体の理由はわかっていた。この浮かれ具合からして、おそらく例の彼女絡みのことだろう。
「えっ……い、いやぁ別に?」
 ――思った通りだ。慶次はきょろきょろと狼狽えて、あからさまに動揺している。本当に嘘のつけない男だ――別に隠すことでもないだろうに。

 もう少し意地悪をしてやろうかと思った時、慶次は急にぱっと顔つきを変え、こちらにぐいと体を寄せてきた。
「あ、そうだ! なぁ伊都ちゃん、俺なんてどう? 自分でいうのもなんだけど、顔も悪くないと思うし、腕にだって自信はあるよ!」
 慶次は良案をひらめいたとでも言わんばかりに、きらきらとした笑顔で言う。
 ――なるほど、無理矢理話題を変えてきたか。
 そこまで話したくないことかと疑問に思うとともに、その態度に少々腹が立った。
「……そうね」
「な、そう思うだろ? 伊都ちゃん、俺のいい人になるかい?」
「うん、いいかもね。あんたはいい男だし、私は好きよ」
「そうだろ、そうだろ……って、えぇ!? 伊都ちゃん!? そ、それ本気で言ってる……?」
 慶次は大きく目を見開いて、私の顔を覗き込んだ。その目には驚きと期待の色が入り混じっていた。
「なに、そんなに驚くこと? 自分で言ったくせに」
「それはそうだけどさぁ……ほ、本当に俺のこと……?」
「うん」
「……そっかぁー……伊都ちゃん、いつもと全然変わらないから気づかなかったよ」
 嬉しそうににやける慶次は素直で可愛いと思う。でも、今の私がこいつのせいで苛々していることを忘れてはいけない。――もうこのあたりでいいか。
 私はわざとらしく大きなため息を吐いて、慶次に向き直った。
「でも、浮気者はお断り」
「……え?」
「あんた、孫市が好きなんでしょう? なのになんで私を口説くのよ。冗談でもそういうこと言う男は信用できないわ」
「――ま、孫市!? ちょ、ちょっと待って! 伊都ちゃんもしかして孫市のこと知ってるのかい!?」
 ついに言ってやった。ひどく焦る慶次に込み上げる笑いを堪えながら、私は続ける。
「まぁちょっとね。というか、別に隠すことないじゃない。言ってくれれば私だって協力するのに」
「……隠してたわけじゃないんだよ。ただなんとなく言い辛かったんだ。――ところで、いつから知ってたんだい?」
「わりと最初から。もう数か月前かな? あんた嘘つくの下手なんだもん。すぐわかるって」
「そんな前から!?……うわぁ……俺、今すごい恥ずかしい……」
 慶次は顔を覆い、長いため息を吐きながら小さくしゃがみ込んだ。大きな手の隙間からわずかに見える頬が赤くなっている。まるで少女のような初心な反応に、思わずもっと意地悪をしてやりたい衝動に駆られる。

「――さっきのは?」
 俯いていた慶次が小声で何か言った。
「え? なに?」
「さっきの……俺が好きって……あれは嘘かい?」
 赤い顔のまま上目遣いでこちらを見上げる慶次に、私は言いようもない高揚感を覚えた。
「――ふふ、さあね」
 恥ずかしさのあまりか、瞳にうっすらと涙を浮かべる慶次の様子があまりにもおかしくて、私は我慢できずについに吹き出した。恨めしそうな視線を寄越す慶次を尻目に、私は一人、高らかな笑い声を上げたのだった。



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