みじかいはなし | ナノ

▼春風の救世主

4月初旬、桜咲き乱れる季節。
私は中学生活最初の難関に差し掛かっていた。

痴漢だ、入学初日から痴漢に遭遇してしまった。
家の最寄りから中学校前まで出ているバスに乗って行かなければならないのだが、バスの中は他の生徒と出勤の大人達で満員になっている。なんとか押し入って手すりの真ん前というベストポジションでの位置どりを行い、安心したのも束の間、臀部に触れる違和感。

最初は誰かの荷物が当たったのかと気にも留めていなかったのだが、無機物には有り得ない何かが這い回るように触れるものが手だと理解すると、身が強張り恐怖で動けなくなってしまった。
痴漢に遭遇したら叫んで助けを呼ぶとか、そのいやらしい手を掴むなり、するべき手段はいくつも存在するのにも関わらず、人間は本当の恐怖に存在した場合金縛りにあったかのように動けなくなるのは本当なんだなと悠長にも頭の片隅で思ってしまった。

お母さん、お父さんごめんなさい。
せっかくこんな名門に入学させてもらったのに、私はもう通える自信がありません。お嫁にすら行けないかもしれません。

なんとか逃れようと身動いでみるも背後から興奮した男の吐息が微かに荒くなったようで逆効果に終わった。
そうなったら至極悔しいのだが、もうじっと耐えて自身もしくはこの変態が降りるのを待つしかない。気を逸らそうとぎゅっと目を瞑り、バスの到着をじっと待つことにした。

朝から何でこんな目に合わなければならないのだろう。
いよいよ精神的に我慢の限界が近づいて来て、噛み締めていた唇が緩んであられもない声が出てしまいそうになると強く押しつけるように口を手で覆う。

あぁ、もう限界だと諦めを感じた刹那、突如として腰を引き寄せられ、寄りかかった背からは人の温もりがジワリと感じる。

ま、また別の痴漢?!
もう耐えられないとジワリと目尻に涙が浮かぶ。

「大丈夫、俺は君の味方だよ。」

痴漢とは反対側の耳元で囁かれた優しい声色に縋り付くようにコクコクと頷くと、彼の前へ移動する。痴漢も流石に手が出せないのかそれ以上は触れては来なかった。私はそのまま顔の見えない救世主に寄りかかるようにじっと停車駅に着くのを待った。

「さぁ、ここで降りるからちゃんと鞄をしっかり握って。」

相手の声にハッとすれば手を引かれて私と謎の彼はバスを降りた。

ここでようやく救世主の顔が見えた。
緩い癖のついた髪が特徴的な優しい表情の人だった。女子と見間違うんじゃないかと思うくらい綺麗で思わず魅入っていると、彼を呼ぶ友人達の声が遠くから聞こえる。救世主の名を聞き取ろうと耳をすませてみるも急に吹いてきた春風のせいで遮られてしまった。

繋いだ手が優しく解かれるとハッとしたように私はペコリと頭を下げた。

「あ、ありがとうございました!」
「いいよ、あのバスは多いからね。明日からは気をつけるんだよ。」

彼は友人のいる方へ歩いて行ってしまった。春の温もりに似た優しいあの人は誰だろ。また会えるだろうか。

ゆっくり一呼吸置いて、気を引き締める。
期待を胸に、私は校門をくぐる。

これははじまりのおはなし。
2人再び巡り会うのは、もう少し先の話。


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