セブンデイ・パーソン「さーさーのーはー」
素晴らしい快晴だった。思わず鼻歌を歌ってしまう程度には。
海と空がまるでひとつながりになった様な青さをたたえて、静かに波を打ち寄せてくる。
7月7日、七夕祭りの日の事である。
「しーんちゃーんおふぁよう!」
「欠伸をしながら人に挨拶をするな。おはよう」
あまりの陽気にうとうとと寝ぼけまなこで登校していたら、途中で緑間くんに出会った。衣替えをとうに果たした白いワイシャツがまぶしい。今日も今日とて完璧な緑間真太郎。脚の長い緑間真太郎であった。
「めんご!学校まで一緒にいこう!今日はミセドの半額セールなのだよ!」
「ミセド…?きちんと日本語を喋れ。社会では通用しないぞ。それと下手くそな真似はやめろ」
「やだなあ!ミセスドーナツの事だよ!もしかして緑間くん、行った事ない?」
背の高い彼を見上げるのはいつも一苦労だけれど、それ以上に蒼い空が眺められるのが好きだ。綺麗な彼の顔と、綺麗な蒼い空。同時に拝む事が出来るから。まさに一挙両得だ。(その綺麗な彼の顔は、いつも不服そうに歪んでいるけれど)
今日もそうして彼を見上げて問えば、そうだな…と小さく返事が聞こえた。いつにない歯切れの悪さに首を傾げつつも、それなら、とひとつの名案を思い付く。
「じゃあ今日の放課後、食べに行こっか!」
いえーいと諸手を上げて提案すれば、彼の曲線美を描いた両目がぱしりと瞬いた。長い睫毛に縁取られたそれは、もう何回か開閉された後そっと伏せられる。視線が彷徨ってそれから、やっと彼が開いた口から聞こえたのは今日は部活が無いと言うただそれだけのスケジュールだった。
それをゆっくりと頭の中で噛み砕けば、遠回しな肯定だと言う事に気付く。思わず微笑めば、何を笑っているのだと目を眇められてしまった。
彼の機嫌を直すためにも、今日は勿論おごりだよ、と背中を叩いてやった。広い、背中だった。
「おーこれはまた…」
「混んでいるな」
ガヤガヤと騒がしい店内は活気に溢れていて、右を見ても左を見ても人、人、人。目が回る様だと苦笑いしながら緑間くんを伺えば、げんなりした様な表情をたたえて眼鏡のブリッジを押さえていた。
…これは失敗しちゃったか…?
「並ぶにも順番来るまで大分時間かかりそうだねえ…どうする?帰ろっか?」
諦めた様に肩を落としてリュックを背負いなおせば、視界の端にいきなり動揺し始める影が映りこんだ。何事かと隣を見れば、わたわたとしどろもどろしている緑間真太郎その人であった。
何やらドーナツの並べられたショーケースとわたしとで視線を行ったり来たりさせている。顔も心無しか焦りを含んでいて、いつもの彼とは180度真逆である。面白いのでしばらく眺めていたら、その様子に気付いたのか緑間くんはばつの悪そうな顔をしてそっぽを向いてしまった。本当によく分からない人だ。よく分からない人で、面白い。
「んー…ミセドはまた来週にしよっか。代わりにマジバでも…あっそうだ!」
わたしがパチンと柏手を打てば、その音に緑間くんが振り向く。見上げた彼の表情は未だしかめ面だ。どんだけドーナツ食べたかったのこの人は!
なだめすかす様にある画面を開いたケータイを彼の目の前に突き付けた。一瞬驚いた彼の目が画面を捕えて、文字を追い始める。
「商店街…ここから近いな」
「そう!緑間くんまだ時間ある?良かったら行こうよ!」
「…付き合ってやらなくも無い」
「まいどあり!」
そっぽを向いた彼を観察している間に届いたメールマガジンに、商店街で七夕飾りの特設会場が設けられていると紹介されていたのだ。幸いここから程近い商店街で、帰路の途中でもある。更に得点として来場者には無料で短冊が貰えるのだ。そうとなればここに留まる理由は無かった。ミセドはまた来週って事で!彼の予定が空いているのかは未知だけれど。
ほらほらと緑間くんの背中を押せば、その長い脚は容易く店の敷居を跨いだのだった。
「ありがとうございます」
お礼言って短冊を受け取れば、係の人にそちらの彼氏さんにもともう一枚渡されてしまった。完全に勘違いされてるけどわたしたちは残念ながらそのような関係ではないのだよ。今日が記念すべき一日目なんですよと冗談を言ったら、隣で呆然と緑間くんが固まっていた。それを照れ隠しだと更に勘違いした係の人は、それはおめでとうございます!とサービスで飴玉をくれた。良い人だなあ。
未だ固まったままの緑間くんを一瞥して苦笑した。眉根が寄せられてかなり機嫌が悪そうだ。これは後で謝っておかないと。緑間くんをからかうのは面白いけれど、あとが怖いのは高尾くんもわたしも重々承知している。でもやっぱり面白い。高尾くんが面白がって彼をちゃかす理由がやっと分かった気がする。
「はい、これ緑間くんの分」
「…ああ…」
心ここにあらずと言った感じで短冊を受け取り、用意された机へ向かうわたしの後ろをRPGのパーティーの様に着いてくる緑間くん。
椅子を引いて着席すれば、それに倣って緑間くんも向かいの席に腰を下ろした。伏せられた長い睫毛が本当に綺麗だ。まさに七夕にぴったりだと思う。
そんな緑間くんを眺めながら、ペンを片手に微動だにしない彼に短冊を指差して説明をする。
「これに願い事を書くとね、その願いは織姫さまと彦星さまに届いて、叶えてくれるんだって!」
今年は一体何を書こう。去年は…えーっと…確か中3だったんだから…受験に受かりますように、だったかなあ。
今こうして緑間くんと秀徳の制服を着てここにいると言う事実が、あの日の願いを聞き届けてくれた証なのだと考えると日本の風習も侮りがたしだと思う。
だからこそ人間と言うものは、ついつい欲張ってしまうものだ。
「去年ね、わたし、高校に受かって素敵な友達ができますようにってお願いしたの」
ペンをくるりと回しながら緑間くんに語り掛ける。彼の無言は肯定であるのは、出会って数ヶ月で学習したうちのひとつだ。
「そんでね、その友達と放課後買い食いしたり寄り道したり、夏休みにはどこか遠くへお出かけできますようにって」
「随分よくばりな願い事だな」
「それは言わないお約束だぜ旦那!」
茶化すように飴玉を手渡せば、さっそく包みを開いて口に運ぶ緑間くん。結局甘いの好きだよね。
「それで、それは叶ったのか」
飴玉を転がしながら彼が問う。
もちろん、とわたしは応えた。それを聞いて訝しそうに小首をかしげる緑間くん。一体何を不思議がってるんだか。
「だからさ、夏休み、どっかお出かけしようよ!海とか良くない?あー、山でもいいなあ!」
「何を…」
夢ふくらむわたしとは裏腹に、更に首をかしげて混乱したような表情の緑間くん。
「水着もってさあ!電車のってさあ!」
「なぜ俺に言うのだ」
「あれ!緑間くんもしかして海嫌いだった?こりゃ失礼!」
わたしがだはー!と自分の頭をはたけば、緑間くんは切れ長の綺麗な目を大きく見開いた。
それからやっと合点がいった顔をして、ひゅ、と僅かな息遣いが聞こえたかと思えば、彼は今日何度目かのそっぽを向いた。
その長い前髪からのぞく口元が緩んだのを、わたしは決して見逃さなかった。
セブンデイ・パーソン
「そういえば緑間くんの願い事は?」
「俺はもう良いのだよ」
「え?なになに?叶っちゃった系?」
「なかなかの誕生日プレゼントだったな」
「誕生日!?!?緑間くん今日誕生日だったの!?」
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少し早いけれど!
緑間くんHAPPYBIRTHDAY!
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